2004年10月、北京へ渡って1か月。私は相変わらず、必要最低限の中国語しか理解できないことで困り果てていました。
1か月前に盧春(ろ しゅん)老師に書いてもらった日常用語集をお守り代わりに毎日復習していましたが、そう簡単に、すらすらと言葉が繋がるようにはなりません。
武館の方たちはとても親切で、一人では日常生活を送れない私の世話をあれこれ焼いてくれたのですが、それでも自分の思いや感情を伝えられないという状況は、毎日無声映画をただ座席でずっと見ているだけのような、そんな寂しい心境にさせるのでした。
日本にいた頃は、自分のコミュニケーション能力が高くなくても、表情や行動でそれなりに周囲の人たちと交流ができていたのかもしれません。でも、文化の違う中国では、まったく通用しませんでした。
日本で普段話していたことを中国語に翻訳して伝えても、きょとんとされることが多く、私の言葉を受けて数人で何かを話し出しても、私には何を言っているのか、まったく聞き取れないのです。
とにかく、中国語ができるようにならなければ、どう考えてもこの先を切り開くことはできません。私は毎日、太極拳の練習以外の時間を中国語に費やしました。日本ともほとんど連絡を取らず、辞書と日常会話のテキストと、盧春老師がノートに書いてくれたたくさんの中国語を、何度も読んで復唱しました。
そして、もう一つの教科書が、武館と隣接している按摩学校の学生の、小钱でした。
小钱は、私が使えそうな短い言葉を一つ選んで、何度も繰り返し発音を直してくれました。完璧に発音できるまで、何度もです。
ある夜、教わったのは、
「老板,来一碗豆浆」(ご主人、豆乳を一杯ください)
「ラオバン,ライ イーワン ドウジィヤン」
でした。とても美しい響きだと感じたことと、北京の朝食で出てくる、温かくて甘くて薄い豆乳を好きになったこともあり、この言葉は私の方から、発音できるようになりたいとお願いしたのです。
翌朝、小钱は本当に私を近くの朝食の店へ連れて行くと、「昨日の言葉を言ってみて」と言いました。小钱のキラキラした目を見てしまった私は、期待に応えたい一心で、店のご主人に昨夜覚えたばかりの「ラオバン,ライ イーワン ドウジィヤン」を言ってみました。すると、ちゃんと豆乳が出てきました。
中国に来て初めて、自分の口で注文ができたことが嬉しくて、豆乳から立ち上がる湯気を見ながら、私は久しぶりに誇らしい気持ちになりました。
それから、小钱と朝ごはんを一緒に食べに行くのが習慣になりました。ある朝、ぼうっと店の中を眺めていると、ご主人がワンタンの入った碗を一つ運んできました。それを見て、私の口から、
「是我的吗?」(これは私のですか?)
という言葉が、ふっと出ました。
隣にいた小钱が「すごい!」と驚いて、発音も文法も中国人みたいだ、と褒めてくれました。私は驚いて(習った覚えのない言葉が、どうして出てきたんだろう?)と思いましたが、毎日、聞いた回数の分だけ、知らないうちに身体に入っていたのだろうと思いました。
とはいえ、こうして一言ずつ増えていっても、人の話が聞き取れるようになるのは、まだ半年以上も先のことです。この頃は毎日「聞き間違え」「言い間違え」「思い違い」の連続で、時にはあからさまに迷惑な顔をされることもありました。
それでも、小钱に連れられて东郊市场(とうこうしじょう)へ買い出しに行くと、値段を聞き、数を言い、ものを受け取るたびに、昨日より一つ、言葉が増えていきました。
「私は、いま中国に住んでいて、ちゃんと生きてるんだ」
初出 2010年4月
つづく
