REPORTAGE / 2004–2010

横山春光の中国武術留学記

型を覚えられない

北京・志強武館

2004年10月下旬。

陳項老師に陳式心意混元太極拳四十八式を学び始めてから、私は迷走の日々を送っていました。

この太極拳を学べるという幸運と、その計り知れない価値は重々承知していたのですが、まず肝心の動作が抽象的すぎて、どうやって覚えたらいいか、さっぱりわからないのです。

陳項老師の行う柔らかく重厚な円運動は、どこからどこまでといった動作の区切りがなく、動くスピードも内面の気の流れに沿って、時には速く、時には穏やかに、そしてある時は深く深く丹田に入っていくので、どうやってそれを学んだらいいのか、当時の私には皆目見当もつきませんでした。

陳項老師の後ろについて一緒に動けば、初心者の私でも、その深遠な太極拳の喜びをわずかにですが感じることができました。でもそれは、心地よい水流に浮かんで、流れのままに身を任せながら舞っている木の葉のようなもので、その流れが止まれば、心地よい時間も終わってしまいます。

「どうやったら、あの心地よい流れを生み出せるのだろうか?」

二十四式のほうは、日本にいた頃に、日本の先生の演武のビデオを何度も見返して復習できたので、覚えることができました。けれど、四十八式には、お手本になる映像がありません。中国語もほとんどわからないので質問もできず、見よう見まねで動作をなぞることしかできなかった私は、次第にスランプ状態になってしまいました。

横山春光の中国留学記|単鞭
2004年10月北京志強武館にて

例えば太極拳の基本歩法の「弓歩」「四六歩」「虚歩」ですが、陳式心意混元太極拳は内面の感覚を非常に重要視するので、外形への要求がそれほど厳格ではありません。陳項老師に質問をして歩法を修正してもらおうと思っても、ほんの少ししか手直しを受けられませんし、そんな微妙な手直しをしてもらったところで、まだ私には、それがどうして正しいのか身体で感じることができません。私が納得のいかない顔をしていると、「あとは自分の感覚で立ちなさい」と言われるのです。

太極拳を始めるまでほとんど運動をしたことがなかった私にとって、「内面の感覚」というものがどんなものなのか、正直に言って、まったくわからなかったのです。

練習をしていても自信がなくなった私は、正確な動きが学びたいと強く思いました。

つま先を外へ何度開くのか? 腕をどの角度で上げるのか? どの動きが誤りで、どの動きが正しいのか? 何も分からない初心者の私に、はっきり指し示してほしい! 陳項老師に対して無理な要求をしているとは思いながらも、スランプ真っ只中の私は、抑えきれずに焦燥感を募らせていました。

しかし、武館に通っている多くの中国人学生たちが、陳項老師から個別に太極拳を学んでいる私に「君が羨ましい」「私もチャンスがあれば、ぜひとも陳項老師に学んでみたい」と、入れ替わり立ち替わり語りかけてくるのです。

「一体私はどうすればいいんだろう。私は、陳項老師から太極拳を学ぶ能力がないのではないだろうか?」

滞在期間の残り時間に追われ、自分が思っていたように学べない焦りから、それまでは魅力的に感じていた「気」とか「巡り」とか「丹田」といった、目に見えないものを表現する言葉にすら、アレルギーを感じ始めていました。

初出 2010年5月

つづく