中国留学記(再編更新中)– category –
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剣の試験
2004年11月、私が宿泊していた旅館近くの食堂にはオッドアイの白猫がよく姿を現していました。中国語で猫はマオ、猫ちゃんは猫咪マオ ミー、子猫の場合は小猫儿シャオ マオと、カタカナで発音しても十分に通じる音なので、片言中国語の私が呼びかけてもい... -
冬物を買いに
北京へ渡り2か月が経ち、日本から持っていった小さな手帳の日付が11月を迎えた頃、秋物の服しか持っていってなかった私は、武館で会う人会う人に「你穿的太少了、多穿点衣服、要不会感冒的」(そんなに薄着をして、もっと厚着しなさい。でないと風邪を引... -
融合
「如果你愿意、下星期六可以倒公園吧。咱们一块練功」(もし君がよければ、土曜日に公園に来るといい。私の仲間たちと一緒に練習をしよう) いつものように太極拳武館の授業を終え、帰り支度のために靴を履き替えている時、陳項老師は私にそう声を掛けてく... -
無形に迷う
陳項老師に陳式心意混元太極拳四十八式を学び始めてから、私は迷走の日々を送っていました。 この太極拳を学べるという幸運とその計り知れない価値は重々承知していたのですが、まず肝心の型が抽象的過ぎて、どうやって覚えたらいいかさっぱりわからないの... -
言葉の壁
陳項老師に太極拳を学び始めた頃、私の中国語能力はまだ必要最低限の用事を済ませられる程度のものでした。 もともと周囲の人に積極的に話しかけることが得意ではない性格だったのですが、留学生活の特殊な孤独感が私を変え始めていました。 とにかく孤独... -
陳項老師の太極拳
2004年9月の志強武館の周辺は、いつも温かい西日が建物の窓や街路樹の輪郭を縁取っていました。 その日、武館の入り口から陳項(チェン シャン)老師がゆっくりと歩きながら入ってくるのを見た時、私はなぜかその場から逃げ出したい、と感じました。 熊の... -
北京市内へお出かけ
秀茜老師の混元太極剣の特訓が一旦終了した私は、武館と歩いてわずか30秒程しか離れていない旅館との往復の日々に退屈を感じていました。 外出禁止の言いつけ(「水を求めて市内を彷徨う」を参照)はあったのですが、さすがにどこにも出かけないと神経が参... -
混元太極剣との出会い
卢春老師が武館へ訪れなくなってから数日後、太極拳の指導のためにアメリカへ渡っていた馮秀茜(フォン シィウチエン)先生(馮志強老師の三女で武館の専属教練)が北京へ帰って来られました。 秀茜老師は北京語ではなく標準中国語を話される先生で発音が... -
優しい卢春老師
2004年9月22日、北京へ到着した2日目の朝。旅館近くの食堂で朝食をすませた私は、いよいよ太極拳学習をスタートするために『北京・志強武館』(陳式心意混元太極拳の創始者である馮志強老師が創設した太極拳武館)へ向かいました。 志強武館は馮志強老師の... -
水を求めて市内を彷徨う
翌日、中国へ渡って一日目の朝。「とりあえず初日はゆっくり休みなさい」という武館の事務局員の方からのご配慮で、私は長期滞在することになっている武館の近くの旅館で待機していました。 ところが、部屋の中の私はまさにパニック状態! 外国で一人ぼっ...
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