2005年5月末、北京・志強武館での留学継続を一旦断念した私は、河南省へ太極拳の源流である陳式太極拳を学びに行くための準備をしていました。
当時の私は、日本の太極拳団体から派遣されている身分だったので(と言っても中国に渡ってからは比較的自由に行動していました)、団体の紹介により河南省の通訳者・裴建国(はい けんこく)さんを通じて、河南中医学院(現・河南中医薬大学)への正式な留学生としての入学が具体的な計画となっていました。
本来の目的は陳式太極拳館に通うことだったのですが、現地の太極拳館ではビザの取得ができないということだったので、自分の体が弱いことと、将来的により深く太極拳を学びたいという決意からこの進路を選びました。
ようやく河南省へ向かう日程が決まったある日、普段はほとんど連絡を取らない母から(私は幼少期、シングルマザーの母親から貧困と孤立を背景としたDVを受けていました)「祖父が危篤状態なので早急に帰国してほしい」との知らせが入りました。
突然の知らせで動揺していたところ、間もなく祖父の訃報の電話が入り、結果的に帰国の必要がなくなりました。
こんな状況で自分の進路を決める旅をすることに躊躇しましたが、実家との縁も薄く、自分ができることも何もないと思い、出発の決意をしました。
目的地である河南省の鄭州火車站(鄭州駅)へは、北京から夜行の寝台列車で向かいます(現在は新幹線で5時間で到着できます)22時30分に北京駅を出発すると、翌朝の7時頃には鄭州駅に到着します。
この時は祖父の死がショックであまり眠れませんでしたが、普段は寝台列車が好きでした。よく眠れるからです。狭く薄暗い空間と、周りの人の気配が妙に安心感を与えてくれるので、寝台列車の切符さえあれば中国国内の移動は苦になりませんでした。薄暗い車両に揺られながら見知らぬ土地へと向かう旅は、まるで松本零士作のSF漫画『銀河鉄道999』の世界に入り込んだようなワクワク感がありました。
翌朝、列車は朝7時直前、ほぼ定刻通りに鄭州駅に到着しました。
出迎えてくれた裴(ハイ)さんは、早朝だというのに真昼のような明るい笑顔で手を振ってくれました。裴さんは旅行会社の通訳で、もともと日本から河南省少林寺を訪れる学習団を担当していた経歴があり、その人情味あふれる人柄で多くの学習団から慕われるようになったそうです。
また裴さんには楽しいエピソードがたくさんあり、私が知る限り一番傑作だったのが、とある禅僧が陳式太極拳四天王の一人である王西安老師に指導を受けている際、王老師が「これは関節技から解脱(ジエ トゥオ、抜け出る)動きだ」とおっしゃったのを、裴さんは禅僧へこう通訳したそうです。
「ハイ!ここは解脱(げだつ)ですよ、解脱してください、ハイ、解脱なんです、さぁ、ここで、今、ハイ、解脱!解脱してください!」
きっと中国語と日本語の意味の違いを知っていて、あえてそう言ったに違いないのです。
その後の河南省での数年間、私は裴さんにたくさんお世話になることになったのですが、この初訪問では、河南中医学院への留学に必要な手続きの調査と、河南省の名所巡りをお願いしました。
少林寺、龍門石窟、開封市の龍亭と鉄塔、などなど。ちょっぴり方言が混じった裴さんの中国語の観光案内は、当時の私にはほとんど理解できなかったのですが、時折日本語を交えて説明してくれたおかげで、北京とは違う、古い歴史を持つ河南省の醍醐味を僅かでも感じることができました。
訪問中の数日間は裴さんの自宅に泊めていただいたのですが、ちょうど裴さんのご両親が田舎からいらしていて、ある晩、家族全員大好物という鶏料理をご馳走になりました。
その料理は、鍋の蓋を開けると大仰天の『鶏頭鍋』でした。
その時の私の驚きは言葉では表現できないほどでした。
目が半開きになった鶏さんたちの頭が、鍋いっぱいにびっしり!入っているのです。
頭、のみ、です。
頭、オンリーです。
その頭を、裴さんの娘さんがお箸で一つ取り、私の持っていたお茶碗の白いホカホカと湯気の立つご飯の上に載せてくれました。
ど、ど、ど、どうやって食べたらいいんだろう?
「食べられないです」というと失礼にあたると考えた私は、なるべく自然な素振りを装いながら、横目でみなさんが食べている様子を伺いました。どうやらトサカから噛み付く作法だということに気づいた私は、同じように食べてみることにしました。
相変わらすご飯の上の鶏頭は半眼で私を見つめています。そのあまりの圧の強さに放心状態になった私は、無念無想の境地でトサカに噛み付きました。
しかし、箸を持つ手元が狂ったのか、トサカに噛み付くはずだった私の前歯はそのトサカ部分を大幅に越え、なんの心の準備もなく頭蓋骨に噛み付いてしまったのです。
じっくりと煮込まれた頭蓋骨はハラリと砕け、中には何か柔らかいものが入っていました。
(中略)
形容し難いので要点だけ書くと、鶏頭を食する際、最も衝撃的だったのは部位は「耳」でした。
くるくるとコイル状になった耳の器官を……、いや、やっぱり書くのはやめます。
なるべく何でもないフリをして一気に食べてしまったのが良くなかったのか、「あら気に入ったのね!」と、今度は裴さんの奥さんが、新たな鶏頭をお箸で掴んで、またもや私のお茶碗の白いご飯の上に載せてくれました。
視覚的に衝撃を受ける→早くその衝撃を解消しようとする→平らげる→追加される
上手に断る中国語を知らなかった私は、計5個も食べてしまいました。
……
『鶏頭鍋』の話はここまで。
その後の計画としては、河南中医学院へ入学して長期ビザを取得し、経絡学と按摩を学びながら、同じく鄭州市にある陳式太極拳四天王の一人、陳正雷老師が開設している『陳家溝太極拳館』へ通うことでした。
この初訪問で、新たに不安に思ったことは(鶏頭鍋は例外として)、それは、河南省訛りがまったく聞き取れないということでした。
散々苦労してやっと少し身に付いた中国語力では、まったく歯の立ちそうにない「河南省訛り」。
「また一から方言を学ばなければならないのか…」、そんな不安が頭をよぎりましたが、北京とは違うなんだかパワフルでワイルドな、そして何百年もの太極拳の歴史が根付いている本場の雰囲気を肌で感じると、目の前が一気に広がったように感じられ、北京での挫折も忘れ、また懲りもせずに期待に胸を膨らませてしまったのです。
初出 2010年9月
つづく