REPORTAGE / 2004–2010

横山春光の中国武術留学記

氷点下の武館

北京の冬

2005年2月19日。東京から北京へ戻った翌日、朝からお腹いっぱいワンタンを食べた直後に走ったせいで腹痛に襲われた私は、ベッドに横になっていました。

しばらく休んでいるとお腹の痛みが引いてきたので、気を取り直して陳項(チェン シィアン)老師に電話をかけ、前日に北京に戻ったことを報告しました。

「现在公园里太冷,你可以去武馆练拳」
(今公園内はとても寒いから、君は武館に行って練習しなさい)

かろうじてそれだけ聞き取れたので、陳項老師にお礼を言って電話を切ると、午後は武館に行くことにしました。「春になるまで公園では練習できないんだなぁ」と少し残念に思ったのですが、武館の中は暖かいだろうし鏡もあるので、それはそれでいい練習になるかもしれないと気を取り直し、北京市内のバスに乗って武館へ向かいました。

ひさしぶりに武館の門をくぐると、旧正月が終わったばかりのせいか、いつも賑やかな庭内はひっそりと静まっていました。「もしかして誰もいないんじゃないか!?」と不安になって急ぎ足で事務所のドアを叩くと、中から「请进!」(お入りください!)という声が聞こえたので、ホッとしました。

「自主練習にきました」と阿甄に告げると、「今日は誰も来ないから、武館は好きに使っていいよ」と言うので、お礼を言って事務所のドアを閉めようとすると、「あ、でも 一人だから暖房はつけちゃダメよ!」という声が聞こえてきました。

それはそうだよなぁ、私一人のために広い武館の暖房をフル稼働させたらもったいないもんなぁ、と納得して武館のドアを開け、一礼してから入室すると、館内は冷凍庫のようにしっかりと冷えきっていました。

また出てきそうになった松田優作さんの「なんじゃこりゃ~」を何とかこらえ、厳粛な気持ちで準備運動を行ってみたのですが、寒さで一向に関節は緩みません。仕方ないので混元太極拳の套路を行ったのですが、動けば動くほど身体が冷えてきて、手がかじかんで手首まで凍りついて動かせなくなってきました。耐えられなくなって動くのをやめ、どうしたらいいか、冬眠しそうな頭で一生懸命考えました。

「そうだ! 走れば温かくなるかも!」

と思いついた私は、誰もいない広い武館の中を、グルグル走り始めました。

10周も走ると何とか身体の感覚が戻り、15周走ると手首も温まって、スムーズに動かせるようになってきました。「この隙に!」と混元太極拳の練習を始めたのですが、やっぱり套路を2回も通すと身体が冷えてきます。

冷えたら走る、温まったら太極拳を練習する、そしてまた冷えたら走る。走った直後に太極拳を行うので、始終心臓がバクバクしたままです。脈が正常に戻ると身体も冷えます。「これは、間違っているのではないだろうか?」と思ったのですが、それ以外に方法が思いつかないので、ひたすら走る→太極拳→走る→太極拳を続けました。

午後5時近くなり、閉館の知らせを告げようと武館を覗きに来た阿甄は、そんな私の姿を見ると、「ホンシャン何やってるの! 何でそんなに走ってるの!」と驚いた様子で話しかけてきました。私が「太極拳を練習していると寒くて身体が冷えるんです」と伝えると、阿甄は服の上から私の腕をつかみ、「防寒のインナーを着てないでしょ、だから寒いのよ、近くのスーパーでもどこでも売ってるから、今日帰りに買って帰りなさい」と、私が理解できる中国語で教えてくれました。

このとき、私は初めて、寒冷地の必需品である「保暖内衣」(バオ ヌゥアン ネイ イー)の存在を知ったのです。

保暖内衣とは、厚い裏起毛の上下セットのインナーです。値段はピンからキリまでありますが、質の良い物を見抜く目のなかった私は、何度も失敗しました。

最初に買ったものは、安物だったので硬くて締めつけがきつく、太極拳の練習に着ると繊細な動きがまったく感じられませんでした。二度目に買ったものは、着た直後からビヨンビヨンに伸びてしまい、まったく保温効果がなく、混元太極拳二十四式の練習を終える前に、ズボンの股上が太腿の真ん中まで落ちてしまいました。三度目に買ったものは、まあ何とかそれなりに練習できたので、一応納得することにしました。

それでも、まだ甘かったのです。南国宮崎出身の私は「たくさん着れば暖かい」という概念しか持ち合わせていなかったので、保暖内衣の上にシャツ、セーター、ウインドブレーカー、仕上げにお気に入りのパウダーブルーの厚いジャケットを着こんで練習し、「脱いだり着たりして体温を調節する」という手段を知らなかったので、毎回たっぷり汗をかきました。

そして、すべての授業が終了する夕方5時になると、汗が引かないまま練習を終えて、北風吹きすさぶ北京市内を、武館から地下鉄「国貿駅」付近のバス停まで15分以上かけて歩き、なかなか来ないバスを延々と待っていました。

北風の強い日は、上空のスモッグは全部吹き飛ばされて、氷のように白い月が夜空で輝いていました。

真っ黒な夜空にひとつ光る月
2005年 北京で見上げた月 当時の携帯電話で撮影

バス停の行列に並びながら、私の汗も氷水のように冷え、薄手の太極拳シューズを履いていた両足は、凍えて感覚がなくなりました。

子供の頃から滅多に風邪を引かなかった私は、「寒いと風邪を引く」というのは迷信だと思っていたのですが、このときは3日で見事に風邪を引きました。治りかけてはまた引き、治りかけてはまた引き、熱っぽさと喉の痛みが、なかなか途切れませんでした。

週に数回武館に訪れる陳項老師は、いつも青白い顔の私を見ると、「また冷えたんだろう、胃を温めなさい。薬局へ行って温胃舒(ウェンウェイシュー)という漢方薬を買いなさい。1箱1週間分だから、5箱買いなさい」と勧めてくれました。

こうして、私の中国留学初となる越冬は、風邪と胃痛の合間に太極拳の練習をする、というものになりました。排気ガスの濃度が高くて市街地の武館に行けない日は、空気の良い日を選んで陳項老師のご自宅近くの公園で気功の練習をし、「早く春が来て、暖かくなって、武館も賑やかになって、また陳項老師やマイケルさん、それから名前はわからないけど優しそうな人たちと一緒に公園で練習がしたいな」と思って、春を待ちました。

後日談

この冬、周囲の人たちを観察して分かったのは、綿の服を何枚重ねても風を通すので意味がなく、羽毛をたっぷり使った柔らかめのダウンジャケットを一枚着る方が暖かくて動きやすい、ということでした。丈は、腰(命門)から冷気が入らない膝上までのハーフがよく、着たまま単鞭もできます。移動中は底の厚い靴に履き替えること。ただ、店頭に並ぶ原色の服たちに心がめげて、その年の冬は素直に諦めました。

初出 2010年7月/2010年8月

つづく