2004年12月、私は北京の空気から逃げられる場所を探していました。
冬の北京は、石炭の暖房と車の排気ガスで、空が暗く重くなる日が続きます。ひどい日には、前を走る車のナンバープレートも霞んで読めないほどでした。喉の奥はいつもザラザラしていて、慢性化した胃痛を抱えたまま、私は毎日、旅館と武館を往復していました。
大気汚染が特にひどい日は、北京市内にある天壇公園へ連れて行ってもらい、そこで練習しました。皇帝が天へ祈りを捧げたという広大な敷地には大樹が何本もそびえていて、園内の奥に入ると、空気の質が変わるのがはっきりと分かるのです。木々が空気を清浄化してくれているのだと感じました。深く息を吸える場所で身体を動かしていると、その時だけは、体調も気分も回復していました。
しかし、ずっと天壇公園にいるわけにもいきません。生活拠点の旅館と練習拠点の志強武館は、国貿という北京市内の中心部にありました。高層ビルと幹線道路に囲まれたその一帯には、常に車の排気ガスが充満していたのです。
逃げ場のないまま武館と旅館を往復する日々の中で、私はふと、大通りから一本入った裏路地に目を留めるようになりました。
そこでは時々、誰に飼われているのか分からないワンちゃんたちが、縦横無尽に路地を練り歩いていました。使用済みのモップのような毛なのに、どこか誇らしげに自分の道を行くその仔たちの目を見ていると、私の慢性化していた胃痛も、頭の中でぐるぐると回り続けていた考えごとも、いつの間にか忘れていました。
その裏路地こそが、胡同(フートン)と呼ばれる、北京の古い生活様式を残した場所でした。
胡同には、大通りとはまったく違う時間が流れていました。
天気の良い日には、女性たちが日向ぼっこをしながら、編み物とお喋りに花を咲かせています。洗濯物を干す人たちは、一枚一枚を丁寧に裏返しています。表を向けて干すと、埃で汚れてしまうからです。ご高齢の男性は、古い木製の椅子を何日もかけて、実に楽しそうに修理していました。買い替えた方が早いのかもしれませんが、その手つきを見ていると、直すこと自体が暮らしの一部なのだと分かるのです。
一番忘れられないのは、自転車修理屋の男性です。毎日ブルース・リーのような格好で店先のサンドバッグを殴り、その合間に自転車修理の仕事をこなしていました。仕事の合間に鍛錬しているのか、鍛錬の合間に仕事をしているのか、最後まで分かりませんでした。
働くこと、直すこと、鍛えること、話すこと、笑うこと。そのどれもが切り離されず、ひとつの生活の中に混ざり合っている。胡同の人々は、私の目には不思議なくらい、とても活き活きと見えました。
その様子を話すと、按摩学校の友人は笑って言いました。
「みんなね、生活を楽しんでいるんだよ。中国人はどんな逆境でも、生活を楽しむことを忘れないんだ」
それは、日本では見たことのない笑顔でした。
胡同に並ぶレンガ造りの小さな家は、冷暖房もテレビ線もトイレもない環境でした。それでも、西日が差し込む午後、冬枯れの前に最後まで残った街路樹の葉が風に揺れて、その影が窓ガラスを優しく撫でるのを眺めていると、私は、感じたことのない暖かさに包まれたような気持ちになりました。
初出 2010年6月
つづく
