2004年12月、季節が秋から冬に変わると北京の空気が一変しました。空は暗く重くなり、街中に排気ガスが立ち込めて、酷いときは前を走っている車のナンバーも読めないほど視界が曇りました。
東京の空気ですら18歳で上京した頃は気管支が耐えられず、1か月近くも喉が腫れて水を飲むのも辛かったほど自然児だったので、急に変わってしまった北京の空がとても恐ろしく感じられました。
北京へ渡って2か月目で手の親指の付け根が青緑色に膨れ上がると、それを見た按摩学校の友人に「肺」とか「胃腸」の調子が悪いのだろうと言われ、案の定練習中に突然の胃痛に襲われることがしばしば起こり始めました。
胃痛は慣れない中華料理や海外生活のストレスによるものかもしれませんでしたが、朝から晩まで際限なく濃厚な排気ガスを吸わなければならないのが非常に辛く、運の悪いことに宿泊していた旅館のシャワーの水量が不安定で、頻繁に故障していたので毎日髪を洗うことができず、夜は自分の髪の毛に付いた排気ガス臭で眠れませんでした。
特に武館内で「降気洗臓功」を練習するときには身体的に耐えがたく、24時間逃げることのできない排気ガスに追いつめられた私は辛抱できずに陳項老師に「老师! 空气不好,对身体不好!」(老師! 空気が悪いです、身体に悪いです!)と、失礼極まりない言葉でヒステリーを起こしてしまうこともありました。
陳項老師には、「そんなに薄着してるから胃が冷えて身体が弱ってるんだ、近くに中医薬局があるから、胃を温める薬を買って飲みなさい!」と叱られていましたが、冷静な精神状態を保てていなかった私は、冷えじゃなくて空気だ!と内心反抗していました。
しかし、日本から来た太極拳学習団の方々が「懐かしいわ、戦後の日本もこんな感じだったわ」と言っていたのを思い出して、なんとか耐えていました(因みに馮志強老師はこの時期、北京郊外の環境の良い場所に本拠地を移されていました)
幸い大気汚染が続くときは、北京市内にある天壇公園に連れて行ってもらって練習することができたので(広大な敷地に大樹がたくさんあるので空気が清浄化されている)、その時だけは体調も気分も回復していました。
そして、武館の側にあった胡同(フートン)と呼ばれる北京の古い生活様式を残した裏通りで見かける人達の笑顔が、私に留学を継続する勇気を与えてくれました。
天気の良い日は編み物をしながらご近所さんとお喋りに花を咲かせる女性たち、洗濯物を丁寧に裏返しにして干している人たち(表を向けて干すと埃で汚れるため)、古い木製の椅子を何日もかけて楽しそうに修理しているご高齢の男性、毎日ブルース・リーのような格好でサンドバッグを殴りながら、その合間に自転車修理の仕事をする男性。みなそれぞれ私の目には不思議なくらいとても活き活きと見えました。
その様子を按摩学校の友人は「みんなね、生活を楽しんでいるんだよ、中国人はどんな逆境でも生活を楽しむことを忘れないんだ」と言って笑っていました。
それは日本では見たことのない笑顔で、その場にいるだけで幸せな気分になれる魅力がありました。
胡同に並ぶのレンガ造りの小さな家は、冷暖房もテレビ線もトイレもない環境でしたが、西日が当たる午後はまだ落ちていない街路樹の葉が揺れて、その影が窓ガラスを優しく撫でて、それを眺めると私は感じたことのない暖かさに包まれた様な気持ちになりました。
初出 2010年6月
つづく