2005年4月、混元太極拳の練習会を終えてご自宅付近の公園から一人で歩いて帰ってくる陳項老師の姿に、私は目が離せなくなっていました。
人気の少ない中庭を歩きながら、なにやら両腕を何度も動かしています。
途中で動きを止めては首をかしげ、また最初から繰り返しています。
だんだんと、私が座っている陳項老師のご自宅のリビングの窓際まで近づいてくると、その動きがはっきりと見えてきました。
それは、いつも練習している陳式心意混元太極拳二十四式の最初の動きである『無極起式』でした。
無極起式というのは比較的シンプルな動作で、シンプルだからこそ難しいとも言えるのですが、陳項老師ほどの武術家が、たった今練習を終えたばかりなのに、家に帰るまでの時間を惜しんで研究をしているのです。
最初の動きを! 誰しもが最初に学んで最初に覚える、始まりの動きを!
陳項老師はご自宅の窓下までたどり着くと、ご息女の怡舫(イー フゥアン)さんと私に気がつき、いつもの笑顔を浮かべて軽く手を振っていました。
私はその姿を見て、自分がその場に相互学習(※『ご息女との相互学習』を参照)で訪れていることを忘れるくらい衝撃を受けました。
学習を開始して1年未満の初心者ならまだしも、八極拳、形意拳、八卦掌など名立たる功夫を修め、最終的に陳式心意混元太極拳の創始者である馮志強老師に師事し、一番弟子と謳われたほどの老師が、誰の目も気にすることなく『起式』の動きを未だに研究しているのです。
一般的に、型をひととおり最後まで覚えた後は、『起式』の難しさを理解はしていても、動作も要求もシンプルが故にどう深めたら良いのか見当がつかないので、とりあえず難しい動きを先に上達しようと躍起になって、結果的に「起式は後回しになっていた」ということになりやすいのですが「やっぱり達人ともなると考え方の根本が違うのだ」と雷に打たれたような衝撃を受けました。
それまで、先生や先輩たちからも「起式(起勢)は奥が深いから、まず套路(初めから終わりまでの型)を覚えて反復練習をして、徐々に分ってくるまで焦らないで待つ」という内容の指導を受けていたので、初めてその先の「起勢を具体的に追い求めている姿」を目の当たりにして、「遠路はるばる北京まで来て本当に良かった!」と胸が熱くなりました。
正直、混元太極拳はどこまでも内面を深めてゆく武術で、型の正確さ(そもそも正確な型の概念がない)は他の武術ほど重視しないので、学習初期の段階ではどういう動きが高度なのか否か判別がつきません。ただ、そんな初級者の私にも陳項老師は普通ではないということは、一緒に過ごす日常を通して理解できました。
老師のプライベートな時間を一緒に過ごせることは学生にとって大変幸せなことですが、この相互学習の期間中は勉強時間が終わるといつもご家族一緒の夕食に誘ってくださいました。
老師のご自宅で食事をいただくのは陳項老師が初めてだったので、とても緊張したのですが、奥様もご息女の怡舫さんも中国語があまり話せない私を気遣ってくださったので、食事が喉を通らないという事態にはならず、いつも珍しい北京の家庭料理を味わうことが出来ました。
食事中の会話は主に外国人の対応に慣れている陳項老師が私に話しかけてくださるスタイルで、中国の食文化や、民間養生法などを身振り手振りで説明してくださいました。
そんな充実したある日の夕食の時間、怡舫さんが興味深いお話をしてくださいました。
「お父さんは、天気が悪くて早朝に太極拳の練習ができない日は、なかなか寝室から出てこないの。起床する前に布団の中で保健拍打功(セルフ按摩)をしているのよ」
私は初めて聞く陳項老師の日常生活に俄然興味を持ち、「わ、そうなんですね!」と返事をすると、怡舫さんは続けて、
「最初は30分くらいだったんだけど、だんだん長くなって1時間を超えるようになって、朝食の時間になっても起きてこないからお母さんも私も待ちきれなくて、でも止めさせる訳にもいかないから、仕方ないから私たちも一緒にやることにしたの」
「ええ! 止めないで、一緒にですか? それは、凄い!」
と思わず片言の中国語でそう返してしまいました。
保健拍打功の内容は全部で40種類以上あり、立った姿勢で行うものもあるので、陳項老師に「どんな内容の拍打功なのですか?」と質問をすると、またまた第一番目の『揉百会』を30分以上行っている、とお答えになりました。
※揉百会とは、両掌を重ねて頭のてっぺんの百会穴をグルグル回す按摩法のこと
理由は、
「保健拍打功は起床前の30分程度で効果があると思ったのだけれど、『揉百会』を30分以上行うと効果が高いことが分かったので、それが終わってから残りのメニューを行っていると1時間以上かかるようになった」
とのことでした。
駆け出しの私でも、計り知れない中国功夫の世界があることを肌で感じることができ、また陳項老師の功夫は紛れもなくこの功夫生活の積み重ねと家族の理解と支持の賜物なのだと感銘を受けました。
初出 2010年9月
つづく