北京へ渡り2か月が経ち、日本から持っていった小さな手帳の日付が11月を迎えた頃、秋物の服しか持っていってなかった私は、武館で会う人会う人に「你穿的太少了,多穿点衣服,要不会感冒的」(そんなに薄着をして、もっと厚着しなさい。でないと風邪を引いてしまうよ)と注意をされていました。
一度武館の事務員の方に、市内にある『秀水街』という大きな商店街へ連れて行って貰ったのですが、売っている服の殆どが外国人向けのお土産用の服だったので、結局一着も買えずに帰ってきてしまったのです。
事あるごとに薄着を注意されましたが、自力で買い物に行けないので成す術もなく過ごしていると、そのうち説教までされるようになり、さすがに気まずさと実際に寒くなってきた苦痛に耐えられなくなった私は、意を決して武館から歩いて30分程の場所にある筈の大型スーパーマーケットに冬服を買いに行くことにしました。
その日、夕方5時に武館の練習を終えたあと、私は旅館へは戻らずにそのまま大通りへ出ました。
空は無機質にどんよりと曇っていて、帰宅ラッシュの北京中心部の道路は排気ガスで100メートル先が灰色にぼやけており、鼻を突く濃い排気ガスが漂っていました。
その光景の不気味さと、自分が方向音痴だったことを思い出した私は、一瞬恐怖で足がすくんでしまったのですが、冬物の服はいつか買わなければならないし、武館の人達もとても忙しそうなので、行くしかない!と気持ちを奮い立たせて出発しました。
「诶,春光!你去哪儿了?」
(おーい、春光!どこに行くの?)
トボトボと頼りなさそうに歩いていたのが目に付いたのか、歩き出して5分と経たない内に、付近の按摩学校の授業を終えた生徒の一人に後ろから声をかけられました。
「我要去买衣服…」
(服を買いに行こうと思って…)
突然声をかけられてビックリしたのと、相手が陳項老師について太極拳を習っている小王(シャオ ワン)だと気が付いた私は、また勝手に外出したのが武館の人にバレてしまうと心配になり、その場で言葉が出なくなってモゴモゴ呟いていると、小王は「我带你去!」(僕が連れて行ってあげるよ!)といって、乗っていた年季の入った自転車の後ろに私に乗るように促しました。
それは武館で噂になっている程の骨董品級の自転車で、二人乗りなんてしようものなら何が起こるかわからないような状態だったのですが、断るにも何と言っていいのか中国語がわからず、また断ったら小王を傷つけてしまうのではないかと思った私は、おとなしく自転車の後ろに乗り、もの凄いスピードで後ろから追い越して行く車と、ガタガタと凄い音を立てて走る自転車に震え上がりながら、なんとか目的の大型スーパーマーケット「家楽福」に辿り着きました。
初めて中国の大型スーパーの中に入って、まず驚いたのが、食用油の棚でした。樽といってもいいような大きさの容器に入った黄色い液体が、広大な敷地一面に陳列されていました。「トウモロコシの油」「大豆の油」「落花生の油」「見たことのない油」が沢山並んでいました。
山東省訛りの小王は天真爛漫な性格の男の子で、外国人で言葉があまり分からない私をまったく気にせず、カートに大量の商品を放り込みながら自分の買い物をしていました。
買い物をしながらも私にスーパーの中を案内してくれているのか、ずっと喋りっ放しの小王は、返事ができない私を物ともせず連れ回し、必要なものをカートに入れ、慣れた足取りでレジへ行って会計を済ませると、次は衣類売り場のある上階へ連れて行ってくれました。
またまた大量の衣類を目の前にした私が圧倒されていると、小王は、「もう疲れたから早く買って帰ろう」と言って、有無を言わせず私に一着のダウン・ジャケットを渡し、レジへ連れて行きました。
何はともあれ、これで旅館へ帰れると思った私は、おとなしくレジでお金を払い、一人で帰れるから大丈夫!と強力に身振り手振りで小王に伝えるも、結局また骨董自転車に乗せられ、武館の入り口まで運ばれていきました。
入り口で自転車を止めた小王は、突然「下吧!」と私に自転車を降りるように言うと「我有事儿,要去一趟武馆。」(僕はちょっと用があるから武館へ寄ってくる)と言って振り返りもせず自転車を漕いで武館へ入っていってしまいました。
相手に親切にして貰ったらお礼を言ったり、帰り際にはちゃんと挨拶をする習慣しか知らなかった当時の私は、(あっ、あ、あ、挨拶、まだ挨拶をしていない、お礼も言っていない、ということは小王の用事はすぐに終わるもので、だからすぐに出てくるんだろう、それから最後に何か言って帰るんだろう)と判断し、暗くなりビュービューと北風の吹き始めた武館の門で小王を待ちました。
しかし、待てど暮らせど小王は一向に武館から出てきません。
練習疲れと、買い物疲れと、夕食を食べていなかった私は、寒さと疲労で座り込んでしまいましたが、それでも「お礼を言わなければ、失礼な人だと思われてしまう」という純日本人の社会通念が、そのまま帰ることを許さず、結局一時間近く待ち続けました。
そして、とうとう武館から出てきた小王は、哀れな私を見つけると、
「你干什么?快回去休息吧!」
(なにやってんの?早く帰って休みなよ!)
と、自転車を止めもせず言い放ち、その場を走り去ってしまったのです。
立ち上がってお礼を伝えようとしていた私は、一言も発することもできず立ち尽くしました。
ずっと後に知ったのは、中国では普段の生活の中で滅多に「謝謝」や「再見」は言わないのです。そして「こんにちは」にあたる「ニーハオ」すら言いません。こんな風に、小さな勘違いから大きな勘違いを繰り返し、私は少しずつ中国人の感覚を身に付けていきました。
初出 2010年5月
つづく