「如果你愿意,下星期六可以到公园吧。咱们一块练功」
(もし君がよければ、土曜日に公園に来るといい。私の仲間たちと一緒に練習をしよう)
いつものように太極拳武館の授業を終え、帰り支度のために靴を履き替えている時、陳項老師は私にそう声を掛けてくださいました。
(公園?なんのことだろう?どうやって行くんだろう?)
東京に住んでいた頃に方向音痴だった私は、せっかくの陳項老師のご好意を喜ぶべき瞬間に「どうやって公園に辿り着けるだろうか?」という心配をしていました(老師からご自宅近くの公園練習に誘われることは大変名誉なことで、程度もありますが信頼されて深い内容を教えてもいいと認められた証なのです)
待ち合わせの時間や公園までのアクセス方法、それから緊急連絡先などを陳項老師に質問しながら手元のノートに控えているうちに、時間差で嬉しさと興奮が込み上げてきた私は、メモを取り終える頃になってやっと「老师,谢谢!我想去!」(老師、私はとても行きたいです!ありがとうございます!)という言葉が出てきました。
(こんなに早期に老師のプライベートな練習会へ参加できるなんて、なんて光栄な事なんだろう!)と感無量になり、(そのことも嬉しいけど、やっとここを出て外の街に出かけられる!)というワクワク感も相まって、約束の土曜日までの数日間、私は狭い旅館の中をウロウロウロウロと、まるで動物園の檻の中の動物のように歩き回って過ごしました。
そして約束の日、最寄の地下鉄の出口で待ち合わせの時間が来るのを待っていると、公園を囲む柵沿いに陳項老師とお弟子さんのアメリカ人(マイケルさんという方)が歩いてきました。
私はまだ中国語がそんなに聞き取れなかったので、お二人が何を話しているのかわからなかったのですが、陳項老師とマイケルさんと一緒に公園の中をゆっくり歩いていると、ただそれだけで楽しくて嬉しくて自然に笑顔になっていました。
少し歩いて辿り着いた場所は木立に囲まれた静かな空間で、明らかに他の場所とは雰囲気が違いました(中国の公園内には、どこも幾つかの練功スポットがあります。毎日ほうきで落ち葉やチリを掃いている練功者もいて、聖域のような凛とした空気が漂っています)
その日から私は、毎週土曜日に陳項老師と数人の仲間たちと一緒に公園で太極拳の練習を行うようになりました。
公園にいる時の陳項老師は、武館にいる時よりほんの少しリラックスしているように見えました。土を踏んで、たくさんの樹々と共に呼吸をするのが気持ちよいのだと思いました。
すっかり公園での練習が気に入ってしまった私は、毎回練習に来ているマイケルさんの中国語も少しずつ聞き取れるようになり、スランプもいつの間にか忘れかけていました。
ある日、陳項老師は公園に刀を持って来られました。
それは太極刀で、武館に置いてあるものより大きくて重そうだったので私物なのかな?と思いました。
陳項老師はマイケルさんと短く言葉を交わした後、少し広い場所に移動され、いつものように静かに「降気洗臓功」を行った後、陳式心意混元太極刀の套路を始められました。
私は、ただ何気なく見ていました。
短く刈られた頭で、飾らない服装で、いつも笑みを湛えていて、深い声を持つ陳項老師が太極刀を空気に滑らせていくのを、私はただ見ていました。
そして、その時、背景が消えて、その境地が私の目の前に突然現れたのです。
見えているのに見えない、聞こえているのに聞こえない、動いているのに動いていない、そこにあるのに、ない。
それは、私がずっと先に、いつか中国で体験するのだろうとぼんやり思っていた「天人合一」の境地でした。
私は、ただ、ただ、「ああ」という声にならない音を漏らしながら、なぜか涙が流れるのに歓喜の笑顔が抑えきれませんでした。
完全に自然と一体となっている「生命」が、そこに体現者として現れたのです。東京の一人暮らしの小さな部屋の中で、自分の心の闇と向き合い、限界の果てに知った何かにつながる感覚、安心できる世界、そしてそれを証明するために学び始めた太極拳、日本から遠く離れた中国北京の小さな公園で、私はまたあの頃に見つけた感覚を発見したのです。
私には、それだけで十分でした。温かい豊かな世界がある。
そして、痺れるような感動を全身に受けながら、ふと感じました。
「この動きは何だろう?太極拳とは少し違うような気がする」
その時は、それが何なのかわかりませんでした。空中を滑るような刀、水中を泳ぐ魚のような滑らかな身法、無重力を思わせるような空間と、その中で展開される運動法則と自由の躍動。
ずっと後に知ったのは、それは陳項老師が習得していた八卦掌の特徴だったのです。
初出 2010年5月
つづく