北京へ渡り3か月が過ぎ、留学生活に少し慣れてきた頃、武館で一番仲が良く色々と世話を焼いてくれた友人が、「幼馴染の結婚式があるから、しばらく地方へ行ってくるね!」とだけ簡単に言い残して、突然いなくなってしまいました。
当時の連絡手段はPHS電話(通称ピッチ)だったのですが、地方へ出てしまうと繋がらなくなります。行く先も、いつ戻るかも、何も言い残さないで行ってしまった友人の行動がまったく理解できず、いなくなってから2日もすると、何もかも無気力になって旅館から出られなくなってしまいました。
日本を離れて3か月間、慣れない外国で毎日わからないことの連続で、色々なことを必死に理解しようと気を張っていたので、緊張の糸がふっと切れてしまったのかもしれません。
友人が去ってしまい、その後の連絡もなく、いつ戻ってくるのかも分からない不安から、夢中だった太極拳にも興味が持てなくなり、食欲もなくなり、徐々に起き上がる気力も無くなり、毎日ベッドで横になって水だけ飲んでいるような状態が一週間以上続いた頃、とつぜんPHS電話が鳴り、友人から「北京に戻ったよ!」という報告がありました。
島国育ちの私からすると、片道に数日かかるような遠方に出かける用事は大旅行に匹敵する(と思う)のですが、大陸の中国人からすると「ちょっとそこまで」感覚らしいのです。
いや、しかしそれにしても、あまりにも落ち込みが激しすぎるんじゃないかしら、と我ながら思い、また面倒な不安症が出たのではないかと思い、思うとまた余計不安になり、いてもたってもいられなくなったので、思い切って服を着替えて顔を洗って武館に向かいました。
憔悴した姿で武館へ現れた私を見た友人は、
「你怎么搞的! 怎么这个样子,我走的时候你还好好的!」
(どうしたのその姿! 僕が出かけた時はあんなに元気だったのに!)
と言うとヨロヨロしている私の肩をつかみ、食堂へ連れて行き、呆然とする私に春雨の入った白菜と豆腐の鍋を注文してくれました。
おとなしく食べている私を見つめていた友人は、静かに言いました。
「我不知道你以前在日本过的是什么日子。可是你要想开一点吧」
(君が日本でどんな生活を送ってきたか知らないけれど、もう気にしなくていいんじゃない)
思いがけず心の奥に触れられた気がして動揺した私は、鍋の湯気と涙でとてもみっともない顔になり、それを見た友人は「泣かないで、泣かないで!」と慌てて、変顔をして私を笑わせようとしてくれました。
それからその食堂で友人は、自分の子供時代の話を聞かせてくれました。子供の頃、夏は毎晩実家のスイカ畑の見張りを愛犬と一緒にしていたこと、ある日スイカ泥棒を見つけて追い払ったこと、見張り小屋で蚊に刺されながら月明かりの下で犬と一緒に眠ったこと。秋には畑で出来たトウモロコシを毎日毎日食べたこと、私はまだ中国語があまりわからなかったので、友人は身振り手振りに表情まで加えて、私が理解できるまで何度も話しかけてくれました。
そして翌日は朝から武館に小籠包を大量に持ってきて、私に無理やり食べさせると「動物園に行こう!」と行って仲間数人と北京動物園へ連れて行ってくれました。
病み上がりだったので途中のバスで酔ってしまいましたが、北京動物園で初めて見た白孔雀はとても美しく、心が洗われるようでした。
友人たちと園内を歩いて、めずらしい動物をたくさん見て、武館に帰る頃にはすっかり元気を取り戻していましたが、自分に身寄りがないことや日本に友達がいないことが、海を越えた中国でもこんなに不安なんだと思い知らされました。
初出 2010年6月
つづく