REPORTAGE / 2004–2010

横山春光の中国武術留学記

陳式太極拳「老架一路」と筋肉痛

河南省・陳家溝太極拳館

2005年10月、河南省鄭州市の『陳家溝太極拳館』に通い始めて3か月が経った頃、私は陳式太極拳「老架一路」の套路をなんとか覚え、教練や学生たちと一緒に、授業の練習メニューである「老架一路・連続2回通し」(約30分)についていけるだけの体力がついてきました。

老架一路は陳式太極拳で最初に学ぶ套路で、剛を生む「柔」の力を練る大切な練習だということで、どのレベルの授業でも必ず練習メニューに入っていました。

とはいえ、まだ周りの人たちに合わせて動き、最後まで倒れずに立っているだけで精一杯です。重心を右左前後に移しながら両手を決まった位置に運ぶだけで、頭の中は「アシガイタイ、アシガイタイ、アシガイタイヨー」という悲鳴でいっぱいでした。

陳家溝太極拳館の練習場で、鏡の前に並んで太極拳を練習する人たち
陳家溝太極拳館で練習する人たち

授業は一回2時間。始めの30分は基本功を含めた準備運動、次の30分は両足を踏ん張って四種の纏絲勁(てんしけい・円運動)を練ります。この時点で私の両足はもう限界で、生まれたての子鹿のようにプルプルと震えだすのですが、誰も目もくれません。短い休憩のあと、老架一路(74式)を休みなしで2回、計148の動作を30分かけて続けます。一言でいえば「太腿筋地獄」です。

上午班(朝)、下午班(昼)、晩上班(夜)と、毎日計6時間授業に通っていたので、筋肉痛が治る暇はありませんでした。それでも休むと、以前学んでいた混元太極拳の心地良い練習とのギャップを思い出してモヤモヤしそうだったので、もう何も考えまいと、体力の続く限り拳館に通い詰めました。

そうしているうちに、少しずつ別の感覚が生まれてきました。「一定のリズムを保ち、ただ一つのことに皆で打ち込む」集中力です。北京でも日本でも、ほとんど一人での自主練習か、ときどき先生に直接見ていただく練習ばかりだった私には、仲間と言葉を交わさずに同じ時間を練り続けるのは初めてのことでした。何式太極拳なのか、ファンソンなのか、丹田なのか、気なのか、正しいのか間違っているのか。何も考えず、筋肉痛に無言の悲鳴をあげながら、ただ皆と体を動かしました。

「自分は虚弱体質だ」という後ろ向きな言い訳が、「なんとか克服してみせる!」という前向きなやる気へと変わっていきました。

休憩時間は相変わらず地元の学生の方言が聞き取れず、一人でストレッチをしていましたが、ときどき顔を合わせる「表演隊」の少年たち(若い人は標準語を話せます)が正しいストレッチの仕方を教えてくれたおかげで、落ち込まずに通い続けることができました。

わずか3か月で、私の体は老架一路のおかげで「もやしっ子体型」から見事に脱却し、少なくとも普通に茹でた「そうめん」くらいには進化を遂げました。「もやし」と「そうめん」では、太極拳の練習において格段の差がある(と、私は本気で思っていました)のです。

けれど11月に入ると、私はじりじりとしたプレッシャーに追い立てられるようになりました。日本では習える教室も少なく、特別な太極拳だと思われていた陳式太極拳を、その発祥の地で学んでいる。ふとした瞬間にそれがとても非現実的に感じられ、そのたびに「大変な所に来てしまった」と不安が押し寄せてきました。

動きは目で追って覚えられても、それをどう深めればいいのかが分かりません。教練の話す河南省の方言が聞き取れず、質問もできないのです。仕方なく、せめて筋力だけでもと、闇雲に練習を重ねました。

窓の外に囲いのある、鄭州の集合住宅の外観

その頃から、夜な夜なスパルタな夢を見るようになりました。ジャッキー・チェンやブルース・リー、ジェット・リー、陳小旺老師(陳式太極拳の四天王の一人)が代わる代わる現れて、「もっと練習しろ! もっと練習しろ!」と急き立てるのです。毎朝うなされて目を覚まし、ぐったりした体を引きずるように拳館へ向かいました。

そして、ある朝。目が覚めると、妙な違和感に包まれていました。

(あれ、金縛りかな?)

と一瞬思いましたが、目はしっかり開いていて、意識もはっきりしています。部屋の天井のひび割れも、いつもと変わらない場所にちゃんと見えます。それなのに全身が麻痺していて、手の小指一本動かせないのです。

携帯電話はベッドのサイドテーブルの上、手から1メートルほどの所にあるのに、数キロ先のように遠く感じます。焦れば焦るほど、体は固まっていくようでした。

「落ち着け! 落ち着くのだ! リラックス、そうだ、太極拳のように! 放松、ファンソ~ン…」

すると、携帯電話のある側の左腕に、少しずつ感覚が戻ってきました。30分ほどかけて心を落ち着け、左腕に集中していると、やがてなんとか動かせるようになりました。半身になって携帯電話をつかみ、泣き出さんばかりの勢いで、知り合いで通訳の裴さんに電話を掛けました。

「朝起きたら全身が麻痺していたんです、病院へ連れて行ってください!」

「それは“落枕”(寝違え)でしょう」

裴さんはそう言って、“鄭州市内の寝違え治療の名医”がいるという病院へ連れて行ってくれました。そこで分かったのは、後頭部の玉枕というツボのあたりに、大きなしこりができていたことでした。いつの間にそんな塊ができていたのか、私はまったく気づいていませんでした。

「こりゃ、重症だね。按摩治療に通いながら、太極拳の練習方法を変えなきゃ危ないよ」

中医にそう言われて家に帰ると、情けないやら、どうしたらいいのか分からないやらで、途方に暮れました。一体どうやったら、太極拳の正しい練習方法を学べるのだろう。暗中模索のど真ん中にずっぽりと落っこちて、私は改めて「中国語を使いこなせるようにならなければ!」と、言葉の大切さを思い知りました。

後日談

その後、筋肉痛も破裂せんばかりの膝の痛みも治まり、頭でっかちの「もやし太極拳」は、水の流れに身を任せる「流しそうめん太極拳」へと少しずつ変わっていきました。動きにはまだ無駄が多く、正しい動きを理解するまでには苦労しましたが、一生できないだろうと諦めていた頭の高さの蹴りや、低い姿勢からの片足立ちが、数か月でできるようになりました。自分の体が思っていたより早く変わっていくことに驚き、その変化が心の底から嬉しかったのです。

後年、陳正雷老師の講習会で、姿勢が歪んでいると後頭部のあたりで気が詰まる、というお話を聞きました。私はすぐに、あの朝の体のことを思い出しました。当時は姿勢の正しさよりも、「とにかく体力と筋力をつけなくては!」という思いで、かなり無理をしていたのです。

この出来事から得た教訓は、太極拳の練習において、極端は「ダメ。ゼッタイ。」ということです。

初出 2010年11月

つづく