2005年6月中旬、実家の宮崎で10日間ほど過ごした私は、太極拳発祥の地である河南省への留学に必要な長期ビザを取得するため、河南中医学院の入学手続き資料を準備し、東京へ向かいました。
宮崎空港から羽田空港に到着し、新宿行きのリムジンバスに乗っている時、ふと「九州と中国ってなんとなく似ている気がするな」と感じました。
と言っても私は、実家を除くと東京都と神奈川しか住んだことがないので、はっきりとしたことはわかりませんでしたが、一度目の帰国では成田空港から出た瞬間に「日本に帰ってきた!」という強い実感があったのですが、今回の二度目の帰国で福岡空港に着いたときは「なんだか日本に帰ってきた実感が薄いなぁ」という感じだったのです。
食べ物が似ていることや、比較的緩やかな風習が私にそう思わせたのかもしれません。
帰国直後、福岡空港からバス乗り場までタクシーを利用したとき、うっかり1万円札しか持っていなかった私に運転手さんが烈火の如く怒り出し、どうしたものかと焦ったのですが、咄嗟に中国語で、
「不好意思,我是中国人,听不懂日语。」
「ゴメンナサイ、ワタシは中国人です、日本語ワカリマセン。」
と答えたら、「仕方ねーなー」とブツブツ言いながら、お釣りを渡して降ろしてくれたので、たぶん東京だったらおっかなくてそんな躱し方はできなかっただろう、中国や九州だからこそ、そういう「ノリ」ができたのだろうと、新宿行きのリムジンバスの中で考えていました。
宮崎の方言に「よだきい」という言葉があります。これは「面倒くさい、億劫だ、やる気が起きない」という意味なのですが、宮崎の人々はこの「よだきい」を連発します。時間の流れも人間関係も東京と比べるとのんびりしているのです。「よだきい」と言いながらも、結局は何となく物事をこなしていくのですが、このゆるやかな風習が中国の文化とどこか似ているところがあります。
そんなこんなで一時帰国の滞在場所へ到着後、まず河南中医学院への提出が求められていた健康診断書(心電図や伝染病の有無など)を取得するため、総合病院へ行き検査を受けました。
検査結果が出るまでの数日間は「万が一、なにか異常が見つかったら留学のチャンスが消えてしまう」と不安で落ち着きませんでしたが、私の不安は大抵外れるので「健康上まったく異常なし」という結果表を受け取り、その後、旅行代理店へ向かい河南省鄭州市への片道切符を購入しました。
「次は短期留学ではなく長期留学だ、少なくとも1年間は帰国しない。今度こそ中国語をマスターして、そして太極拳の発祥地で基礎から徹底的に学ぶんだ!」
留学に必要な書類が無事に揃ったことで心に余裕ができた私は、出発までの数日間を指折り数えながら過ごしました。
初出 2010年10月
つづく