2005年8月上旬、河南中医学院の夏休み期間中に入学手続きを無事に完了し、食中毒の後遺症(※『小さな赤い悪魔』参照)からも回復したので、9月から始まる中国語と中医学の授業の準備を進めながら、同時に、留学の本来の目的であった陳式太極拳を学ぶために、陳式太極拳四天王の一人である陳正雷老師が開設している『陳家溝太極拳館』へひと足さきに通うことにしました。
ドキドキしながら陳正雷老師に通うように指示されていた『陳家溝太極拳館』の『老館』の入口へ入ると、17歳くらいの『表演隊』(専門に太極拳の訓練を受けている 陳家溝出身の子供たち)の徐くんという方が迎えてくれました。
当時29歳だった私から見ると、明るい髪色の青春真っ盛りのような徐くんは、その日の私への説明担当者だったらしく、無表情のまま授業の受け方について一通り説明してくれました。(後に知ったことですが、中国人は形式的な愛想笑いをしないので、徐くんはとても親切に丁寧に説明してくれたと思います)
『陳家溝太極拳館』の授業で基本練習となっていたのは、陳式太極拳老架一路でした。型は日本にいる時にビデオで覚えていたので、大勢の生徒たちの後ろについて見よう見まねで動くことができました。
北京の混元太極拳武館では、ほとんどマンツーマン指導を受けていたので、初めて大勢の生徒の中で練習していると、授業担当の張東武(ジャン ドンウー)教練(当時の推手チャンピオン)から、
「横山(ホンシャン)! もっと腕を広げろ!」
と厳しく指導を受け、張教練の丸太のような両腕で私の棒切れのような両腕を大きく開かれた瞬間、初めて感じるその力強さに思わず背筋が伸びるのを感じました。
それまでは太極拳とは柔らかく動くものだけだと思っていたので、本場の陳式太極拳のピリピリとした雰囲気に初日から圧倒されましたが、しかし、北京で感じたような摩訶不思議な感覚がなく、やるべきことがはっきり分かっているような気がしたため、体力的にはかなり厳しかったものの、心理的には楽に感じました。
そして、陳式太極拳館で練習を始めてからわずか2週間後に、毎年恒例の『第七届国際陳氏太極拳高級培訓班』(国内外から陳式太極拳愛好者が集まる国際合宿)が始まったのです!

何が何だかわからないまま参加したのですが、そんな私でも十分に感じられたのはスケールの大きさでした。
まず、周囲を見渡すと、体格が私よりも二回りも三回りも大きい人ばかりです。私の身長は160cmで日本人女性の平均身長ですし、日本で電車に乗っても頭がちょうど中層に位置する感覚でしたが、合宿会場では周囲の人と比べると自分が小学生のような体格差を感じました。(実際に小学生も参加していましたが、体格が私とほぼ変わらなかった)
それから、さまざまな顔立ちの人々が、各地の方言を交えて話す中国語の響きの豊かさ。
そして、陳式太極拳の本家独特の風格と、地方の愛好者たちの風格の違い。
相変わらず猛暑の中での練習でしたが、軽い脱水症状も忘れてしまうほどの興奮と感動がありました。
そして、最も心を打たれたのは、私が参加していた「初級者コース」の指導担当である、広西省から来られた傅能斌(フー ノンビン)教練の太極拳の動きでした。
細身で小柄な身体を完全にコントロールし、太極拳の風格を存分に湛えたその動きは、これまで見たこともない美しさでした。
華麗さといった類いのものではなく、研ぎ澄まされ、洗練された野生の豹の様な美しさでした。
また、太極拳を行っている時以外の何気ない所作も尋常ではない美しさなのです。
歩く姿、水を飲む時のポットの持ち方、目線、全てに無駄がなく、洗練されていました。
あくまで自然で、しかし美しさにおいて一分の無駄も無いのです。
他の参加者に聞くと、傅能斌教練は今回の国際合宿のために広西省の分館から特別に来られており、普段は河南省の本館にいないとのことでした。それを聞いて私はとても残念に思いましたが、一週間という短い合宿期間を最大限に活かそうと決意し、先生の動きをできる限り目に焼き付けようと、毎日全神経を集中して陳式太極拳の基礎動作を繰り返し練習しました。
私が一点集中している一方で、100名近い参加者の間では「おいおい、日本人の女の子が河南省太極拳館に長期留学してるんだってよ、ほら、あの子!」という感じで(後から知ったことですが)非常に珍しがられていたそうです。
この合宿の一週間で、私は生まれて一度もこんなに汗を出したことがない、という程たくさん汗をかきました。
そして、あるぞっとする出来事があったのですが、毎日練習後に自宅アパートに戻り練習着を洗濯すると、アンダーウェアの背中から腰にかけての部分が汗染みで黄色くなっていたのです。生まれて初めての経験だったので「なんだこれは?」と不思議に思い、何度か洗濯を繰り返してみましたが、しかし、全く落ちないどころか、さらに恐ろしいことに、その黄色い汗染みは次々と他のアンダーウェアまでも黄色く染め上げていったのです。
(なんだか自分の体の中で大変なことが起こっている)
そう考えずにはいられない、初めての初めての陳式太極拳国際合宿でした。
初出 2010年11月
つづく