REPORTAGE / 2004–2010

横山春光の中国武術留学記

たまご餃子

北京・志強武館

2004年9月20日。

北京空港から車で移動して目的地のレストランに着くと、まず初めに黄色い菊花茶(ジュウ ホゥア チャア)が出てきました。(このお茶は太極拳の老師方がよく飲まれていました。私は初めは「うわ、草っぽい!」と感じて飲み慣れませんでしたが、しばらくすると好きになりました。飲むと鼻と喉が太陽と草の匂いで満たされて、子供の頃に野原で遊んだ日々を思い出したのです)

黄色くて不思議な味のする菊花茶を飲みながら、お二人がお料理を注文されているのを見ていると、三人分の食事とは思えないほど、ずいぶんたくさんのお料理を頼んでいるようでした。私は一瞬不思議に思いましたが、想像力を働かせて(そうか、中国には遠方から来た客人を手厚くもてなす習慣があるらしいから、歓迎の意味を込めてたくさん注文してくださっているに違いない)と思い、恐縮しました。けれど「いえいえ、もうそれだけで十分です」という中国語を喋ることなど当然できず、ただただ身を任せるのみでした。

注文が終わり、お料理が出てくる間も、お二人はいろいろと私に向かって話しかけてくださったのですが、やはりほとんど聞き取れず、会話にならず、不安やら申し訳なさやらプレッシャーやらで、だんだん気分が落ち込んでしまいました。

この時になってやっと、自分が言葉の分からない外国にたった一人で来てしまったのだという実感が湧き、それまでの社会経験で積んできた自信が吹き飛び、自分はまるで、大人でも子供でも動物でもない不思議な生き物のようだと思いました。

そんなことを考えながらも、(それでももう来てしまったんだし、大事な目標もあるんだから、まずは目の前の食事をちゃんと食べて元気を出そう!)と思い直し、次々と服務員(店員)さんが運んできてくれるお料理たちを眺めていると、

(なにか? ちょっと? い、違和感が……)

初めに出てきた菊花茶に負けない黄色いお料理たちが、テーブルの上にいっぱいです。(うわぁ、目の前がすごく黄色いや)と思いながら、そのひとつひとつをよく見てみると、どうやら全てが『たまご料理』なのです。(あれ? 北京の人はたまごが大好きだなんて、ガイドブックには書いてなかったなぁ)と考えていると、なんだか心の中が「ざわざわ」してきました。

(なんだろう、この心のざわめきは?)

……

ん?

ん、ん、ん?

(そっか! 私の発音が間違ってたんだっ!)

“清淡”的料理
“さっぱり”したお料理

レストランに来る途中の車の中でお二人に何が食べたいか聞かれた時に、「清淡的」(さっぱりした)と伝えたつもりだったのですが、「清淡」は中国語で qing dan、無理やりカタカナにすると「チンダン」、そして鶏蛋(鶏卵)の発音が ji dan で「ジーダン」。

そう、私の発音が正確でなかったため、「鶏蛋料理」と誤解されてしまったのです。

テーブルいっぱいの『たまご料理』の謎は解けたのですが、いまさら「たまご」ではなく「さっぱり」の間違いでしたとは申し訳なくて言えず(言いたくても中国語が出てこなかったのですが)、そんなに大好物ともいえない、次々と出てくる卵料理を、下を向きながらモグモグモグモグと食べるはめになってしまったのでした。

食事のあと、宿へ送っていただく前に、お二人は武館に立ち寄ってくださいました。もう夜で、武館は暗く、周りの様子はよく見えませんでした。

広くはない中庭に、一人の男性が立っていました。

よく見るとそれは、站椿功(ジャン ジュアン ゴン)でした。

日本にいた頃から站椿功があることは知っていましたが、身近で実際に鍛錬している人を見る機会はあまりなかったので、誰に見せるでもなく、暗い中庭に一人で立っているその姿を見て、私は(ここでは本当に、武術が日常にあるんだ)と感激しました。

後日談

その後も馮志強老師や武館の方々は、日本から一人で来た私を気遣ってくださり、よく食事に誘ってくださったのですが、この「横山はたまご好き」というイメージが強かったらしく、行きつけの餃子館に行くといつもたまご入り餃子を頼んでくださいました。

初出 2009年3月

つづく