2004年9月末、盧春老師が志強武館へ訪れなくなってから数日後、太極拳の指導のためにアメリカへ渡っていた馮秀茜(フォン シィウチエン)老師(馮志強老師の三女で武館の専属教練)が北京へ帰って来られました。
秀茜老師は北京語ではなく標準中国語を話される方で発音がとてもクリアだったので、私はところどころ単語を聞き取ることができました。
「你练一遍二十四式吧!」(二十四式を行ってみなさい!)
ニィ リィエン イー ビエン アール シー スー シー バ!
志強武館へ戻られたばかりの秀茜老師はそう言うと、私が陳式心意混元太極拳二十四式を行うのを厳しい表情で最後までじっと見ていました。
馮志強老師譲りの鋭い眼光の秀茜老師に見据えられた私は、緊張やら恐ろしいやらで、縮こまった身体がますます小さくなり、貧血を起こしたのか顔がスーッと冷たくなり、息も絶え絶えに混元二十四式を通し終えると、思いのほか秀茜老師は褒めてくださいました。
それから「混元二十四式は暫く自分で練りなさい」とおっしゃると、「あなたの身体には剣法が向いているから、今日から混元太極剣を指導します」と言って、武館に常備してある練習用の剣の中で一番軽い剣を私に渡してくださいました。
北京に来ていきなり混元太極剣を学べるとは思っていなかったので、とても嬉しかったのですが、嬉しかったのは最初の30分くらいで、そのあとは「ヒーヒー、ゼーゼー」でした。
秀茜老師は広い武館に響き渡るような声で「横山はまるで小老鼠(仔ネズミ)のようだ!」「小さなネズミみたいにビクビクしていないで、もっと大胆に動きなさい!」という意味の中国語で私を指導してくださったのですが、言われれば言われるほど私は震え上がり、私が震え上がれば震え上がるほど秀茜老師の声は大きくなり、当時体力のなかった私はあっという間にヘロヘロになり、貧血と酸欠で朦朧とした意識の中で「ひぃぃ、これって一体どういう状況? 太極拳ってゆったりして気持ち良いものじゃないの? なんでこんなに激しいの?」とうろたえて、頭が混乱しました。
そんな人生初のスパルタ授業は連日続き、身体のあちこちが痛くなり、これでは秀茜老師の授業が終了するまで体力が持たないと思った私は、練習終了後から翌日の練習に向けてきちんと休息をとるようになりました。それから授業中も意識を消耗し過ぎないようにコントロールし、練習の仕方を「がんばれ一生懸命モード」から「淡々と集中モード」にシフトし、大声で指導を受けても動揺して全力を出し切るのではなく、翌日の体力を残すために冷静に落ち着いて動くように工夫しました。
この体験は当時の私にとって大きな発見がありました。
頭で考えるだけじゃなく、身体を酷使すればいいだけでもなく、ただただ目標に向かって闇雲に頑張っていればいいわけでもなく、ちゃんとそこには方法があって、それを学ぶ準備として自分自身を整えなければいけないんだ、ということを学んだような気がしました。
きっとそれは、秀茜老師の指導者としての正しさと、混元太極剣の不思議な円運動のおかげだと思いました。本当に一番緩ませなくてはならないのは「心」なんだ、ということを頭ではなく身体で知ることができました。
特訓の最終日、秀茜老師は「今日で私の指導は終わりです、1か月後にみんなを集めて試験を行うから、これから1か月間は自分自身で自分の剣を練りなさい」とおっしゃって、少し厳しいけれど温かい目で一瞬私を見ると、武館の鍵を渡してくださり「いつでも練習したい時に武館に来て練習しなさい」と言って、そのまま武館を出て行かれました。
受け取った鍵は小さかったけど、手の中でずっしりと存在感があり、西日の差す広い武館の中にポツンと一人残された私は、その時初めて「剣と私」という不思議な一体感を味わったのです。
初出 2010年4月
つづく