空から魚が降ってくる

2005年7月8日、私の乗った飛行機は成田空港から北京空港を経由して、太極拳発祥の地である河南省鄭州空港へ無事に到着しました。

空港から外に出ると、北京市内よりもさらに強い排気ガスの臭いがしました。

北京の混元太極拳武館に留学中、深刻な大気汚染に悩まされていたので、その臭気に一瞬たじろぎましたが、出迎えてくれた河南省の名通訳である裴さんの笑顔を見ると、あまり気にならなくなりました。

前回の河南省訪問中に裴さんのお宅で食べた『鶏頭鍋』(※『河南省一人旅と「鶏頭鍋」』参照)がトラウマになっていた私は、今回は自分のアパートに住む手続きが完了するまで現地の安い旅館に滞在することになっていました。

鄭州空港に飛行機が到着したのは19時過ぎだったので、旅館にたどり着いた頃には、既に21時を回っていました。

苦手な飛行機を乗り継いだ長旅で疲れ果てていた私は、そのままベッドに倒れ込むように眠ってしまい、翌朝、通訳の裴さんが部屋のドアのノックをする音で目が覚めました。

裴さんに連れられて朝食を摂るべく旅館の食堂へ向かうと、費用節約のために安い旅館を選んだせいか、朝食バイキングの料理は、まるで「目をつぶって、ただ材料を切って、謎の香辛料を塗しただけ…」というような味でした。

飛行機ボケで感覚が鈍っていた私は、食べたことのない食材(キュウリやセロリに似た野菜)で作られた、食べ慣れない味付けの朝食を機械的に胃に収め、裴さんを見送った後、河南省鄭州市の街へ出かけることにしました。

河南省鄭州市の町並み
河南省鄭州市の街並み

外へ出ると、そこは……

それまで経験したことのない、猛暑でした。

日傘を差してもどうしても直射日光に晒されてしまう手の甲には、一瞬のうちに複数の小さな水ぶくれができました(汗が出るスピードに皮膚の対応が間に合わない)、同時に、体中のすべての細胞がこれまで感じたことのない高温を感じました。

北京の極寒地獄に続いて、今度は河南省の灼熱地獄という試練です。

とりあえず歩き出しては見たものの、熱風に露出した肌を撫でられた瞬間、「ジョジョの奇妙な冒険 第2部」『戦闘潮流』でメキシコの太陽に焼かれて石化するサンタナの断末魔が脳裏をよぎり恐怖に慄きましたが、路上から街並みを見渡すと多くの人々が普通に生活していたので、「慣れるんだ、慣れればなんとかなるはずだ」と自分に言い聞かせることにしました。

「これから数日後には、この灼熱地獄の河南省で太極拳の修行をしなければならないのだ。暑いなどと弱音を吐いている場合ではないのだ!」

すでに正常な意識を失っていた私は、よせばいいのに、そのまま市内を歩き続けました。

前代未聞の暑さにヨロヨロしながら日傘を両手で握り締め、一歩一歩と歩いていると、何やら日傘の持ち手に「ボトッ」という振動が伝わってきました。

(ん? 何かの気のせいかな)

と思い、引き続きヨロヨロ歩いていると、また日傘に「ボトッ」という振動が走ります。

(これは気のせいなどではない!)

通り沿いの商店へ入り、日傘の上を見てみると、なんと「小さい魚」がのっかっています。

「???」

「なぜ? なぜ? なぜ? 何故お魚が空から降ってくるの?」

朦朧とした意識の中、定まらない視線で空を眺めてみると、街路樹のプラタナスの上に大きな鳥が少なくとも5〜6羽留まっているのが見えました。さらに、一本の木に複数の巣まであります。

恐らく、鄭州市の近くに河があり、そこから親鳥が雛のために小魚を運んできているのです。

どうして、あの大きな鳥たちは、わざわざ排気ガスで充満した街路樹の枝に巣を作るのだろう?

謎だらけの鄭州市での一日目はこうして終わり、翌日、私は死ぬかと思う程の体調不良に見舞われたのです。

初出 2010年10月

つづく

この記事を書いた人

日本中国伝統功夫研究会の会長。八卦掌と太極拳と華佗五禽戯の講師。中国武術段位5段/HSK6級/中国留学歴6年(北京市・河南省)