2005年7月9日、太極拳発祥の地である河南省に到着して二日目の朝。
気温40度に迫る日中の猛暑と安い旅館の食事が原因だったのか、目覚めた時には明らかな体調不良を感じました。
まず、腹痛と頭痛、全身の倦怠感と体調を崩したことによる不安発作。さらに状況を悪化させたのは、安いホテルの売店で購入したミネラルウォーターの味に馴染めず、満足に水も飲めなくなったことによる脱水症状。
冷房がほとんど効かない部屋のベッドの上で苦痛に身を捩りながら、私は心底焦りました。
(まだ河南省中医学院の入学手続きが終わってない)
(このまま通訳の裴さんに助けを求めてしまったら、もし体調不良が理由で入学手続きが延期になったら、私は日本に帰らなければならない)
(日本に帰るのは怖い。帰るくらいなら、志半ばの河南省で命を落とした方がましだ)
何も命まで落とすことはないのですが、タイミングの悪さと体調不良が重なって、気分は最悪でした。
河南省の入学手続きまでにはまだ日数に余裕があったので、なんとか気合いで回復しようと思いましたが、思うだけで症状が改善するはずもなく、翌日にはさらに悪化して、トイレから出られなくなりました。
最悪なことに、トイレで座ったり立ったりを繰り返しているうちに、安い旅館の安価な設備のトイレの蓋が割れてしまい、意識が朦朧として判断力が低下していた私は、「高額な請求をされたらどうしよう、ブルブルブル…」と不安のあまり震え、ついにさめざめと泣き始めてしまいました。
もう一人ではどうしようもないと覚悟し、北京を離れる前に私を心配してくれていた混元太極拳館で知り合った中国人の友人にPHS電話で、一言「我病了」とメッセージを伝えると、「できるだけ早くそっちに向かうから」という返事をくれました。
友人が来てくれるまで、なんとか持ち堪えようと決意した私は、頑張って通りに出てお客さんが頻繁に出入りしている商店に入り、飲み慣れたメーカーのミネラルウォーターと、大手メーカーのビスケットを買って部屋に戻り、なんとか飢えを凌ぐことにしました。
そして翌日、河南省に渡って三日目の朝。鏡で顔を確認すると、脱水症状が進行したのか、目が落ち窪んでミイラのようになっていました。
(こんな顔を裴さんにみられたら、すぐにでも病院に連れて行かれてしまう。河南省留学がダメになってしまうかもしれない)
不安に襲われた私は、神様に縋るような思いで体調が回復することを願ったのですが、そんな祈りも虚しく、間も無く裴さんから連絡が来て「今日のお昼に私の家族とみんなで外食をしましょう」と誘われました。
他に用事も知り合いもいない私に、断る理由はありません。
もう、どうにでもなれという気持ちで幽霊のように裴さんに連れられ、行きつけの「美味しい地元のレストラン」とやらで、これまた食べたこともない料理を食べていると(すでに食べられる状態ではない)、悪いことは重なるものです、おそらく食中毒が原因の衰弱状態であろう私の目はほとんど焦点が定まらず、皿の上の料理からなるべく小さな塊を選んで口へ運ぶと、口内に強烈な酸味と刺激を伴う何かが滞留しました。
それは…
歯に挟まった、
小さな…
乾燥した、
実山椒…
でした。
しかし、私は乾燥実山椒なんて知る由もありません。
ましてや、お皿の上に食べてはいけないものが載っているなんて想像したこともありません。
体調不良による味覚障害だと信じ、なんとかぶっ倒れずに宿泊していた部屋まで戻りましたが、初めて口にした乾燥実山椒の刺激は容赦無く私の唾液の分泌を刺激し、ただでさえ体内の水分量が減っているというのに、最後の一滴まで搾り取ろうとする悪魔の呪いの如く、私の口内から消えないのです。
その原因が、歯に挟まった実山椒だと気づけなかった私は、ついには口角から流れ落ち出したよだれに死を覚悟し、
(ああ、私の体は河南省で生存できるほど頑丈ではなかったのだ。やはり、現地で陳式太極拳を学ぼうなんて夢物語だったんだ…)
と消え入りそうな意識で最後の希望である友人の到着を待っていると、翌日、河南省に渡って三日目の朝、友人が私の宿泊している旅館を探し当てて助けに来てくれました。
中医学を学んでいた友人は私の様子を見るなり、脱水症状と食あたりを疑い、病院へ行こうと言うので、私が「口水,不停」(よだれ、止まらない)と訴えると、
友人は「それは脱水症状でも食あたりでもないよ、食べ物が原因だよ、何か刺激のあるものを食べんじゃないの? 口をよくすすいでみて!」
と言うので、病院に行く前によく口内を調べてみたら、
「コロリ…」
と私の奥歯の隙間から、小さな赤い実が洗面台に転がり落ち、そして排水溝の中に消えていきました。
なんと、一晩中私の口内から水分を奪い続けた悪魔の正体は、ただの小さな山椒の実だったのです。
その直後、嘘のように水を飲めるようになった私は、おとなしく友人に病院に連れて行ってもらい食中毒の治療を受け、1週間ほどでなんとか日常生活が送れる程度には回復したのでした。

書き下ろし 2025年8月
つづく