2005年11月、河南省鄭州市に渡って4か月目。
私は相変わらず河南省鄭州市の『陳家溝太極拳館』に通い詰めていました。そしてそれは、じりじりとしたプレッシャーに追い立てられる日々でもありました。
太極拳の発祥地にやってきて、太極拳界のダイヤモンドと呼ばれる陳式太極拳(2005年当時、日本でそう呼ばれていた)を現地で学んでいる。ふとした瞬間、その状況がとても非現実的に感じられ、その度に「大変な場所に来てしまった」という不安が押し寄せてきました。
振り返ってみると、私の人生はこう始まりました。
幼少期から父親不在の不安定な家庭で育ち、学校にも馴染めず不登校になりました。私が中高生だった1980年から1990年代の宮崎の過疎地では、家庭や学校に馴染めない子供たちが現実から逃れる手段は、家で本や漫画を読むか、ラジオで音楽を聴くくらいの選択肢しかありませんでした。当時はバンドブームだったこともあり、音楽を選んだ私は就職氷河期の第一世代として高校卒業後にカバン一つで上京。アルバイトを掛け持ちしながら「音楽で自己実現する!」とバンド活動に励みましたが、人脈も才能もなく数年後には生活苦に追い詰められて挫折に終わりました。
23歳になった頃、バイト先の先輩の勧めで派遣社員としてwebデザイナーの職につきましたが、当時のweb業界はほとんどの人材が独学で技術を学ぶスタイルだったので、土日も専門書を読んで勉強しなければ実務に追いつけない状況でした。無い才能を絞り出して制作するwebページや画像は、一定期間を過ぎると更新となりweb上からは消えてしまいます。派遣先の会社の依頼で小さなプログラム制作の勉強もしていましたが、急速に進化するIT業界の技術に追いつくための勉強と、不安定な雇用環境に心身ともに消耗し、それでも数年間は頑張り続けましたが、元々の体の弱さと長時間デスクワークによる運動不足が重なり、ついには会社の自席に座ると「無数の虫が背中を這いずり回り、数秒も耐えられない」という深刻な状態に陥りました。
その頃には「努力と気合い」だけでは乗り越えられないほど生きることに疲弊してしまい、何のために上京したのかもわからなくなり、「もう十分頑張った、これ以上頑張るエネルギーがない、だったらいっそのこと生きるのをやめてもいいのでは?」と思い詰めていたその時期に、私は太極拳を探し当て、学ぶことを決意したのです。
勤めていた会社も、休日返上で習得したweb業界の技術も、ローンで買った通勤用のルイヴィトンのバッグ(当時流行していた)も、婚期も老後の心配も、全てを投げ打って、何とか今を生きるために学ぼうと決意した太極拳なのです。
何があっても後へ引ける訳がないのです。背水の陣なのです。
過去を思い出すと、「前進するのみ!」と心が奮い立つので、毎日一生懸命に太極拳館へ通いました。
太極拳の授業は教練が話す河南省の方言が聞き取れなかったので、動きを目で追って学ぶしかありませんでした。
動きを覚えた後は、それをどう深めていったら良いのか知りたかったのですが、方言の壁があり質問ができません。
仕方ないので、筋力だけでもアップしていこうと、とにかく闇雲に練習しました。

その頃から、夜な夜なスパルタな夢を見るようになりました。
毎晩の様に、ジャッキー・チェンや、ブルース・リーや、ジェット・リーや、陳小旺老師(陳式太極拳の四天王の一人)が代わる代わる夢に現れて、「もっと練習しろ! もっと練習しろ!」と、しごかれるのです。
実際に習っている中国人の教練とは言葉でのコミュニケーションが取れないので、映画や字幕で見たことのあるマスターのイメージが夢に出てきたのだと思います。
「うーん…、うーん…」
毎朝、夢にうなされて目が覚めるとグッタリと疲れ果てていて、重い身体を引きずるように太極拳館へ向かいました。
そして、ある朝、目が覚めると妙な違和感に包まれていました。
(あれ、金縛りかな?)
と、一瞬思ったのですが、目はしっかり開いています。意識もしっかりあります。部屋の天井のひび割れもいつもと変わらない場所にちゃんと見えます。
しかし、全身が麻痺していて、手の小指一本動かせないのです。
私は、さすがに怯えました。
携帯電話はベッドのサイドテーブルの上、おおよそ手の位置から1メートル程の所に置いてあるのですが、全身麻痺の私には遥か数キロ先のように遠く感じました。
頭は完全にパニックです。パニックになればなる程、全身が強固に麻痺していくように感じました。
「落ち着け! 落ち着くのだ! リラックス、そうだ、リラックスするのだ! 太極拳のように! 放松、ファンソ~ン…」
すると少しずつですが、携帯電話を置いてある側の左腕に感覚が戻ってきました。
そのまま焦らず、30分ほどかけてじっくりと心を落ち着け、左腕の感覚に集中していると、やがて何とか動かせるようになってきました。
左腕を動かし、半身になりサイドテーブルの上の携帯電話を取ると、泣き出さんばかりの勢いで知り合いで通訳の裴さん(※『河南省一人旅と「鶏頭鍋」』参照)に電話を掛け、「朝起きたら全身麻痺していたんです、病院へ連れて行ってください!」と頼むと、「それは“落枕”(寝違い)でしょう」と言われ、裴さん曰く“鄭州市内の寝違い治療の名医”のいる病院へ連れて行ってくれました。
その病院で発覚したのは、後頭部(玉枕というツボの部分)にできていた大きなしこりでした。
そんな塊がいつの間に形成されていたのか、本人である私はまったく気づいていませんでした。
中医からは、「こりゃ、重症だね、按摩治療に通いながら太極拳の練習方法を変えなきゃ危ないよ」とアドバイスを受けたのですが、家に帰ると情けないやら、どうしたらいいのか解からないやらで、途方に暮れました。
「一体どうやったら太極拳の正しい練習方法を学べるのだろう」と、暗中模索のど真ん中にずっぽりと落っこちてしまい、「中国語を使いこなせるようにならなければ!」と改めて言葉の重要さを痛感しました。
〜後日談〜
『陳家溝太極拳館』の創立者である陳正雷老師の講習会で知ったのですが、小周天を通す(気が任脈と督脈を一周すること)段階で、姿勢が歪んでいると、後頭部あたりで気が詰まってしまうそうです。
微妙にでも腰が反ったり、首が曲がったりした状態で、長時間・長期間に渡り太極拳の練習に取り組むと、容易にこの症状になるので、型の正確さは大変重要です。
さすがに私のように一時的にでも全身麻痺になるくらい、特殊な環境で行き過ぎた練習をする人はいないと思いますが、何事も中庸が大事だといいうことは伝わるのではないかと思います。
【この出来事の私の教訓】
いくら人生に追い詰められていても、太極拳の練習において極端は「ダメ。ゼッタイ。」
初出 2010年12月
つづく
