2005年7月中旬、河南省に到着早々食中毒の洗礼を受けた私は、北京の友人の助けを借り何とか体調を持ち直しました。
ただ、裴さんに依頼していた「買い物はなるべく安く済ませたい」というニュアンスが、「買い物は現地の最安値で」という風に伝わってしまったらしく、勧められて購入した激安の竹製ベッドと底の薄い鍋は、1か月も経たずに壊れてしまいました。
北京とは全く違う生活様式に不安もありましたが、それ以上にこれから始まる学びの日々を想像すると、ワクワクが止まらず幸せな気持ちで日々を過ごしていると、再び裴さんから連絡があり「妹家族が旅行に行くから、お留守番をお願いしたい」と伝えられました。
河南省鄭州市の街の作りは、平安京のように縦横が整っていて道路が碁盤の目のように通っているので、例えば「纬一路と经八路の交叉口」というように場所を指定されれば、道路名の標識を見ながら歩いて辿り着くことができます。
翌日、伝えられた場所へ行ってみると、裴さんと裴さんによく似た明るい性格の妹さんが出迎えてくれて、留守番を頼みたい部屋へ私を案内し、ペットのうさぎと金魚の世話の仕方を教えてくれました。

私は金魚もうさぎも大好きなので、1週間も小動物と過ごせることの喜びや、現地の女性からうさぎの食べる空芯菜(もちろん人間も食べられる)を売っている店や、台所の使い方を教えてもらえたことが嬉しくて、食中毒のダメージが癒やされていくのを感じました。
そして、留守番一日目の朝。
妹さんに教えてもらった小さな野菜商店で空芯菜を買って、部屋の台所で綺麗に洗って、水分を切るためにザルに上げました。うさぎさんたちの朝ごはんは、前の晩に用意していた水分が完全に乾いた空芯菜です。それから金魚の様子を見て任務完了。自分用の空芯菜を持って帰って、炒めてお粥と一緒に食べる。
同日の昼。
同じことを繰り返して任務完了。
同日の夕方。
同じことを繰り返し、プラス金魚にフードを少しあげて任務完了。自分用の晩ご飯は、空芯菜とお粥とゆで卵をプラス。
そして、留守番二日目の朝。
前日の朝と同じことをして任務終了。
二日目の昼。
さすがに空芯菜に飽きてきたので、指定の野菜商店で他の野菜を探すも、空芯菜以外の野菜は萎びた人参と見知らぬ野菜がちょこっとだけ。買う気にならず、金魚とうさぎさんのお世話だけして任務完了。
帰り道に食材を売っているお店を探すも見つからず、家に余っていた空芯菜を食べて昼食。
二日目の夕方。
前日の夕方と同じことをして任務終了。
……
(私は空芯菜以外の野菜が食べたいんだー!!)
と心の中で叫びながら、迷子を覚悟で家の近くを歩き回り、やっとトマトをゲットするも、やはりどの店も空芯菜だらけ。
「到处都是空心菜!」(ダオ チュー ドウシー コンシンツァイ)
「どこもかしこも空芯菜!」
裴さんの妹さんが旅行から帰ってくるまで、それを繰り返すこと1週間。
先日の食中毒で落ちた体重がさらに落ち、裴さん兄妹から何か言われるかと思いきや、二人とも痩せ型の体型なので、私の痩せ状態にはノータッチ。
まぁ、それはそれでありがたいのですが、必要な相談は自分から積極的にしないと、どんどん状況が悪くなると思った私は、二人に向かって、
「どの店でも空芯菜しか売ってないんですよ。お腹が空きました。空芯菜以外の野菜と、あと新鮮なお肉やお魚が売っている場所を教えてください!」
と片言の中国語で伝えると、
「この時期、小さな売店で買える新鮮な野菜は空芯菜くらいしかないんだよ。暑いからね。肉と魚は大きなスーパーなら冷凍で売ってるけど、新鮮なものはないよ」
と笑いながら言い、そして留守番のお礼に食事をご馳走すると言ってレストランへ連れて行ってくれました。
私は思い出しました。
「過剰なサポートは避けてほしい、緊急事態を除いて日本語を使うのは控えてほしい」
と裴さんにお願いしていたのは、他ならぬ私自身でした。
最初に訪れた北京の混元太極拳武館では「私は珍しい日本から来た留学生」という甘えがあり、言葉や考え方の違いで誤解が生じて、学習を続けることが難しくなったことを反省し、今度は河南省で自分を一から鍛え直そうと思っていたのです。
たまたま河南省入りした時期が真夏で、たまたま食材が不足する季節だったのだと分析し、レストランであればそれなりに肉・魚・野菜・主食とメニューがあるのだから、探せば色々あるだろうと思い直し、裴さんと空芯菜に感謝しながら留守番の任務を終え自宅に戻りました。

書き下ろし 2025年8月
つづく