初めての一時帰国から北京に戻った夜、空腹だったにも関らず飛行機に乗った疲れもあってかグッスリと眠った私は、翌朝何ともいえない、まるで中国大陸全体が躍動しているようなパワーに包まれて目を覚ましました。
窓のカーテンを開けると、帰国する前に窓に貼っていた窗花(チュアン ホゥア)がまだ新しいままで、朝日を複雑で美しい古典図案に切り抜いて、私の顔に影を映しました。
外を見ると昨夜の強風は嘘のように穏やかで、マンションを取り囲んでいる小さな食堂が立ち並ぶ通りでは、もうたくさんの人々が仕事を始めていました。
あちこちの門口(メンコウ、中国語で入り口の意味)の脇では、油条(中国の揚げパン)や餛飩(ワンタン)を作る鍋から白い湯気が立ち上っていて、それを見た私は急に昨夜の空腹を思い出しました。
「不行! 我必须得吃那个馄饨!」
(お腹空いた! 絶対あのワンタンを食べに行かなきゃ!)
そう決心した私は勢いをつけ、ベッドの横に開いたまま置いていたスーツケースの中から衣類を引きずり出し、ズボンを二枚穿き、セーターを着込み、一番厚い上着を着ると、階段を駆け降りて部屋の窓から見えたワンタンを茹でるお店を目がけてマンションの外へ飛び出しました。
外は痺れるほど寒かったのですが、空腹と鍋の湯気に取り憑かれていたためかあまり気にならず、ズンズンと歩いて食堂へ辿り着きました。
「老板! 来一碗馄饨!」
(店長! ワンタンスープをひとつ下さい!)
と大きな声で注文し、薄暗い店内の空いていた油だらけのテーブルと椅子に座りました。
あっという間に私の餛飩は出来上がり、目の前に大きな器が置かれた瞬間、その半透明の美しいワンタンの姿に、思わず手を合わせて拝みたくなりました。
しかし、そんなことをしたら日本人だとバレてしまうので、心の中で合掌しただけで実際に拝みはせず、右手に箸、左手にはレンゲを持ち、そーっとワンタンを食べ始めました。
本当はレンゲだけでワンタンを食べるのが中国式なのですが、熱々のスープに浸っているワンタンは非常に熱いので、まだ慣れていない私は箸で掴んでフーフーして食べることしかできませんでした。
……
とても美味しいワンタンを平らげ、満足した私は店員さんに三元(人民元)を払い食堂の外に出ました。
……
パーパパ、パーパパ、パーパパパッ、パッパーパパ、パーパパ、パーパパパッ
マンションの部屋に戻ろうと歩きながら通りに沈んでいる冷気を感じたとき、昨夜の松田優作さん(※『極寒の北京へ戻る 』を参照)に代り、今度は不朽の名作映画『ロッキー』のシルベスター・スタローンさんが『ロッキーのテーマ曲』と共に私の心の中に現れました。
早朝の吐く息が白い灰色の街で、ストイックにトレーニングするロッキー・バルボアと同じようなシチュエーションの中に、なぜか自分がいるような気分になってしまったのです。
突然走りたくなった私は、大通りを目指して小走りに走り始めました。
しかし、大通りに出ると車の排気ガスが凄かったので、諦めてマンションの方へ引き返し、まだ何も手のつけられていない廃墟のような集合住宅地の庭園内を走りました。
大きな庭の中には、夏になったら水が張られる予定の空池や、それをとりまくウォーキングコースがあり、まだ芝生の植えられていない緑地予定スペースには資材が置かれていて、庭園内は土ぼこりが立っていました。
私は当然ロッキーのように格好良くは走れず、足を引きずるようなランニングフォームでしたが、頭の中では「チャチャーンチャーン、チャチャーンチャーン」とロッキーのテーマ曲が鳴り続け、私はなぜか感極まって涙まで流れ出し、あの映画のロッキーがフィラデルフィア美術館前庭の階段を駆け上がった後にガッツポーズをとるような達成感を感じるまで走り続けようと思ったのですが、ワンタンを食べたすぐ後に走ってしまったので横腹が痛くなり、「あいたたたっ」とヨロヨロしながら、すごすごと部屋に戻りました。
ベッドに暫く横になっているとお腹の痛みが引いたので、陳項(チェン シィァン)老師に電話を掛け、前日に北京に戻ったことを報告しました。
「现在公园里太冷,你可以去武馆练拳」
(今公園内はとても寒いから、君は武館に行って練習しなさい)
かろうじてそれだけ聞き取れたので、陳項老師にお礼を言って電話を切ると、午後は武館に行くことにしました。
「春になるまで公園では練習できないんだなぁ」と少し残念に思ったのですが、武館の中は暖かいだろうし鏡もあるので、それはそれでいい練習になるかもしれないと気を取り直し、日中も混んでいる北京市内のバスに乗って武館へ向かいました。
ひさしぶりに武館の門をくぐると、旧正月が終わったばかりのせいか、いつも賑やかな庭内はひっそりと静まっていて「もしかして誰もいないんじゃないか!?」と不安になった私は急ぎ足で事務所へ向かいドアを叩くと、中から「请进!」(お入り下さい!)という声が聞こえたのでホッとしました。
「自主練習にきました」と事務員さんに告げると、「今日は武館には誰も来ないから一人で練習しなさい」と言うので、「わかりました、ありがとうございます」と言って事務所のドアを閉めようとすると、「あああ! 一人だから暖房はつけちゃダメよ!」という声が聞こえてきました。
「それはそうだよなぁ、武館は広いし、私一人だけのために暖房をフル稼動させたらもったいないもんなぁ」と納得した私は、武館のドアを開けて一礼してから入室すると、館内は冷凍庫のようにしっかりと冷えきっていました。
また出てきそうになった松田優作さんの「なんじゃこりゃ~」を何とか堪え、厳粛な気持ちで準備運動を行ってみたのですが、寒さで一向に関節は緩みません。仕方ないので混元太極拳の套路を行ったのですが、当時まだ虚弱だった私は、動けば動くほど身体が冷えてきて、手がかじかんで手首まで凍りついて動かせなくなってきたので、耐えられなくなり動くのをやめ、どうしたらいいか冬眠しそうな頭で一生懸命考えました。
「そうだ! 走れば温かくなるかも!」
と思いついた私は、誰もいない広い武館の中をグルグル走り始めました。
10周も走ると何とか身体の感覚が戻り、15周走ると手首も温まってスムーズに動かせるようになってきました。
「この隙に!」と混元太極拳の練習を始めたのですが、やっぱり套路を二回も通すと身体が冷えてきます。
冷えたら走る、温まったら太極拳を練習する、そしてまた冷えたら走る、の繰り返しで練習をしていたのですが、走った直後に太極拳を行うので、始終心臓がバクバクしたままです。脈が正常に戻ると身体も冷えます。「これは、間違っているのではないだろうか?」と思ったのですが、それ以外に方法が思いつかないので、ひたすら走る→太極拳→走る→太極拳を続けました。
午後5時近くなり、閉館の知らせを告げようと武館を覗きに来た事務員の女性は、そんな私の姿を見ると、「あなた何やってるの! 何でそんなに走ってるの!」と驚いた様子で話しかけてきたので、私は「太極拳を練習していると寒くて身体が冷えるんです」と伝えると、事務員さんは服の上から私の腕をつかみ、「防寒のインナーを着てないでしょ、だから寒いのよ、近くのスーパーでもどこでも売ってるから、今日帰りに買って帰りなさい」と私が理解できる中国語で教えてくれました。
このとき、私は初めて寒冷地の必需品である「保暖内衣」(バオ ヌゥアン ネイ イー)の存在を知ったのです。
初出 2010年8月
つづく