2006年3月、北京から河南省鄭州市に渡って8か月目。
旧正月が明けてしばらく経った頃、ようやく卜文徳老師からご連絡をいただきました。
「ほほほ、そろそろ練功を始めんかね?」
すでに太極拳館で練習を始めていた私は、体の状態もまずまずだったので、「はい! いつからでも始められます!」と元気よく答えました。
翌日の早朝、私は日の出とともに、河南省鄭州市を流れる金水河の河辺へ早朝練習に向かいました。
そして、それからわずか数日の間に、私の中国武術に対する考え方は大きく変わりました。
きっかけは、一人の青年が練習場所を訪れたことでした。
早朝の練習場所だった金水河沿いの広場には、いつも卜文徳老師を中心に、お弟子さんや孫弟子、また知人の武術愛好者たちが不定期に集まっていました。
ほとんどの参加者は自分の練習に集中していてあまり話もしないため、誰が知り合いで誰が初対面なのか、私にはあまり区別がついていませんでした。
春が近づいてきたからなのか河辺は賑わい、弟子以外の武術愛好者も増えていきたある朝、見知らぬ青年が広場で練習をしていました。しばらくすると彼が私に話しかけてきたので話を聞くと、どうやら卜老師のお弟子さんの武術館に通っていたことのある学生らしいと分かりました。
「卜老師に八卦掌を習っているの?」
と彼に聞かれたので、「そうだよ」と答えると、「自分はまだ八卦掌は学んでいない」と言って、再び世間話を始めました。
あまり話し込んでいると、また卜老師のご機嫌が悪くなるので、適当に切り上げて練習を再開していると、青年は今度は卜老師に話しかけていました。
私がそのとき思ったのは、(卜老師が喜びそうな、若くて運動神経の良い人材だ)ということでした。
練習が終わると、また青年が私に話しかけてきたので、彼に誘われるまま、彼が通っている学校の寮の見学をさせてもらうことになりました。練習と食料品の買い出し以外は滅多に出かけることがなかったので、珍しい現地の学生寮を見学しながら武術の話をしているうちに、打ち解けたような雰囲気になり、私はてっきり彼と武術仲間になったと思い込んでしまいました。
彼は自分の部屋から「もらい物なんだ」と言いながらクマのぬいぐるみを持ってきて、「自分は男だし必要ないから、君にあげるよ」と言って渡してきたので、私は素直に受け取ってしまいました。
これが日本での出来事なら、私も十分に警戒して怪しむところですが、中国では習慣も常識も日本とは違います。特に河南省の農村出身者は、友達になると本人が不在でも自由に家に上がり込んで漫画を読んだり、財布の中を見たりします(自分も同じようにされて構わない、という親しさの証だそうです)さらに、男でも女でも、危険な道路を渡るときのボディタッチに抵抗がありません。とにかく「友達は大切にするもんだ!」と何度も言われていたので、私はそういうものだと思うことにしていました。
私がクマのぬぐるみを眺めていると、再び青年が八卦掌の話をし始めたので、私は彼が八卦掌を学びたいのだと思い、「じゃ、午後の練習に一緒に行こう! 卜老師もきっと喜ぶよ」と誘ってしまいました。
私にまったく下心がなかったと言ったら嘘になります。
午後の練習は、卜老師のご自宅がある団地の駐車場での個人指導です。
これが凄まじく過酷で、3〜4時間ぶっ通しになることもありました。普段は温厚な卜老師も、武術の指導となると一変します。87歳とは思えない集中力で、こちらの怠け心を見逃さない鋭い眼差しを向け続け、休憩はほとんどありません。
当時の私の体力では、30分が限界でした。それ以降は意識がぼんやりし、ただ必死に手足を動かすだけで精一杯でした。
例えるなら、飛びたがらないニワトリの私を、卜老師が無理やり飛ばせようと追いかけ回しているような感じです。
昔の武術学校は、そういうものだと聞きました。怒鳴られ、ときには叩かれてでも鍛える。自分の限界を越えるには、それしかないのが分かっているので、耐え続けたのだそうです。
その時の私は恵まれた条件だったのかもしれませんが、しかし30歳になった私にとって、卜老師の練習メニューは非常に辛く感じられました。青年が午後の練習に参加するようになり、学生が二人になれば、自分への鬼指導も少しは軽減するだろうという下心があったのです。
しかし、この勘違いと下心が、大きな事件を起こしてしまいました。

その日の午後、私が卜老師のご自宅前の練習場所に行くと、いつも卜老師が佇んでいる場所には、その青年しかいません。練習中はいつも卜老師の隣で野菜の選別をしたり、豆の皮むきをしながら私を見守って下さっている※師母(卜老師の奥様)の姿もありません。待てど暮らせど、卜老師は一向に姿を現しません。
※師母(シームー)という呼び方は少し不思議で、正式に拝師儀式をしていない老師の奥様にも使います。ちなみに拝師していない老師を师父(シーフ)と呼ぶことは禁じられています。それほど師弟関係とは厳格なのです。
同じ発音で師傅(シーフ)という呼び方もありますが、これは職人やタクシーの運転手を呼ぶときに使います。
いつもと違う雰囲気に違和感を覚え、「おかしいなぁ?」とキョロキョロしていると、ウォーミングアップをしていた青年が話しかけてきました。
「老師、还没来。」
(老師はまだ来ていないよ)
すると、卜老師の家のドアから、普段は見かけない又甥さんが出てきて、私に家に入るよう言いました。
「あれ、卜老師に何かあったのかな?」
そう思った私は急に心配になり、ドキドキしながら家の中に入っていくと、又甥さんは緊張した様子で、私を嗜めました。
「なぜ、あの青年にこの場所と時間を教えたんだ。僕の爷爷(祖父)は午後の時間は、君のために指導をしているんだ。だから部外者を呼んじゃダメだ。君は知らなかったかもしれないが、中国の伝統武術界はすごく保守的なんだ!」
「あの青年は、君を利用して爷爷に教わろうとしているんだ。なぜ君が爷爷に武術を習えているのか、分かってる? それは、爷爷と君の日本の太極拳の先生との信頼関係があって、紹介状があるからだよ。それだけじゃない、爷爷が君の努力と人柄を認めたからだ。そういう厳格な掟のもとで、ようやく許されたんだよ」
……
それを聞いた私は、氷水を全身に浴びせられたような気持ちになり、ひたすら平謝りしました。
どうやら卜老師は、その日は血圧が上がり、自室で休まれているとのことでした。
「爷爷の体調が良くなったら、また連絡するから今日は帰って」と言われ、私はその日、家に帰りました。
私は……、何も、何一つ知らず、愚かなほどに無知だったのです。
自分の脳天気ぶりが恥ずかしく、情けなく、苦しく、申し訳なくて、ご高齢の卜老師の血圧が上がり体調を崩されたのは、すべて自分の責任だと自分を責めて、部屋にいても耳鳴りがするほど苦しく、深く反省しました。よくよく思い返してみれば、卜老師は早朝練習のとき、話しかけてくる人に向かって、たまに不機嫌そうな表情をしていたり、わざと「ボケたふり」や「耳が遠いふり」をしていたことがありました。卜老師は全て計算済みなのです。自分が信頼している弟子や学生以外には、決して武術の手ほどきはしないのです。
ようやく孤独な春節を乗り越え、これからは充実した練習の日々を送れると気持ちを新たにした矢先だったので、突然の失敗と、誰にも助けてもらえない苦しさが重なり、いろいろな思いが胸の内で渦巻きました。
(もう二度とと卜老師に八卦掌を習うことはできないかもしれない…)
(だって知らなかったんだもん…)
(どうして誰も教えてくれないの?)
(あの青年も悪気はなかったのかもしれない…)
(私の無知と勘違いのせいで、巻き込んでしまったのかもしれない…)
(卜老師に本当に申し訳ないことをしてしまった…)
(ご高齢の卜老師が体調を壊して、私のせいで死んでしまったらどうしよう…)
(ううう…)
何時間も苦しんで食事も喉を通らなかった私は、最後には苦しくて泣いてしまいました。
そのとき、私の頭に一つの考えが浮かびました。
古くは戦国時代、中国では多くの民族や人々が、度重なる戦の中で自分たちの命を守るため、必死に奮闘してきた。そういう命がけの時代が、中国伝統思想を礎に、高度な拳理と実践法を備えた一つの大系統としての「中国武術」を確立したんだ。
「保守的」の意味は、ケチだとか時代錯誤だとか、そういう類いのものじゃない。尊重すべき伝統なんだ。
もし、卜老師がお許しくださるのなら。
もし、もう一度卜老師から八卦掌を学ぶことができたなら。
今度は、逃げ腰にならず、まっすぐ向き合って鍛錬に励もう。
そう覚悟し、卜老師の体調回復を祈りながら、連絡が来るのをじっと待ち続けました。
初出 2011年2月
つづく

