氷点下の武館

2005年2月下旬。東京から北京へ戻った翌日、朝からお腹いっぱいワンタンを食べた直後に走ったせいで(※『ワンタンとロッキーのテーマ 』を参照)腹痛に襲われた私は、ベッドに横になっていました。

しばらく休んでいるとお腹の痛みが引いてきたので、気を取り直して陳項(チェン シィァン)老師に電話を掛け、前日に北京に戻ったことを報告しました。

「现在公园里太冷,你可以去武馆练拳」
(今公園内はとても寒いから、君は武館に行って練習しなさい)

かろうじてそれだけ聞き取れたので、陳項老師にお礼を言って電話を切ると、午後は武館に行くことにしました。

「春になるまで公園では練習できないんだなぁ」と少し残念に思ったのですが、武館の中は暖かいだろうし鏡もあるので、それはそれでいい練習になるかもしれないと気を取り直し、日中も混んでいる北京市内のバスに乗って武館へ向かいました。

ひさしぶりに武館の門をくぐると、旧正月が終わったばかりのせいか、いつも賑やかな庭内はひっそりと静まっていて「もしかして誰もいないんじゃないか!?」と不安になった私は急ぎ足で事務所へ向かいドアを叩くと、中から「请进!」(お入り下さい!)という声が聞こえたのでホッとしました。

「自主練習にきました」と事務員さんに告げると、「今日は武館には誰も来ないから一人で練習しなさい」と言うので、「わかりました、ありがとうございます」と言って事務所のドアを閉めようとすると、「あああ! 一人だから暖房はつけちゃダメよ!」という声が聞こえてきました。

「それはそうだよなぁ、武館は広いし、私一人だけのために暖房をフル稼動させたらもったいないもんなぁ」と納得した私は、武館のドアを開けて一礼してから入室すると、館内は冷凍庫のようにしっかりと冷えきっていました。

また出てきそうになった松田優作さんの「なんじゃこりゃ~」を何とか堪え、厳粛な気持ちで準備運動を行ってみたのですが、寒さで一向に関節は緩みません。仕方ないので混元太極拳の套路を行ったのですが、当時まだ虚弱だった私は、動けば動くほど身体が冷えてきて、手がかじかんで手首まで凍りついて動かせなくなってきたので、耐えられなくなり動くのをやめ、どうしたらいいか冬眠しそうな頭で一生懸命考えました。

「そうだ! 走れば温かくなるかも!」

と思いついた私は、誰もいない広い武館の中をグルグル走り始めました。

10周も走ると何とか身体の感覚が戻り、15周走ると手首も温まってスムーズに動かせるようになってきました。

「この隙に!」と混元太極拳の練習を始めたのですが、やっぱり套路を二回も通すと身体が冷えてきます。

冷えたら走る、温まったら太極拳を練習する、そしてまた冷えたら走る、の繰り返しで練習をしていたのですが、走った直後に太極拳を行うので、始終心臓がバクバクしたままです。脈が正常に戻ると身体も冷えます。「これは、間違っているのではないだろうか?」と思ったのですが、それ以外に方法が思いつかないので、ひたすら走る→太極拳→走る→太極拳を続けました。

午後5時近くなり、閉館の知らせを告げようと武館を覗きに来た事務員の女性は、そんな私の姿を見ると、「あなた何やってるの! 何でそんなに走ってるの!」と驚いた様子で話しかけてきたので、私は「太極拳を練習していると寒くて身体が冷えるんです」と伝えると、事務員さんは服の上から私の腕をつかみ、「防寒のインナーを着てないでしょ、だから寒いのよ、近くのスーパーでもどこでも売ってるから、今日帰りに買って帰りなさい」と私が理解できる中国語で教えてくれました。

このとき、私は初めて寒冷地の必需品である「保暖内衣」(バオ ヌゥアン ネイ イー)の存在を知ったのです。

初出 2010年8月

つづく

この記事を書いた人

日本中国伝統功夫研究会の会長。八卦掌と太極拳と華佗五禽戯の講師。中国武術段位5段/HSK6級/中国留学歴6年(北京市・河南省)