認識能力が低下する

2005年12月、北京から河南省鄭州市に渡って5か月目。

私は自宅近くの野菜市場で自転車を手押ししながら、ただならる自分の状態に立ち尽くしていました。

(トマトを買いたいのに、目の前のトマトがトマトに見えない)

トマトをトマトとして認識できない!

トマトを見ても、ほうれん草を見ても、中国北部の主食である饅頭(マントウ)を見ても、自分との繋がりを認識できないのです。

いやいや、食材を買って家に帰って料理して食べなきゃいけなんだよ。関係性って食べる側と食べられる側の関係だけでしょーが。

と意識の遠くでなんとなくそう思うのですが、トマトを目の前にしている当の本人が反応できないのです。

ことの発端は、陳家溝の民家への学習訪問から鄭州の自宅に戻った後、新たな気持ちで太極拳に取り組む決意を固めたことに遡ります。

ちょうどその頃、授業の内容が変更されていて、やっと覚えたばかりの老架一路(太極拳の基礎となる最も伝統的な套路)から、難易度の高い新架一路に切り替わっていたのです。

私は非常に戸惑いました。

「どうして頻繁に、授業の内容が変わるのだろう?」

太極拳館の年間授業スケジュールは公開されていたのですが、ローテーションが早すぎて、1か月かけてやっと覚えても、また翌月には新しい内容の套路に変わってしまうので、覚えては忘れ、覚えては忘れの繰り返しで、頭も体もついていけませんでした。

基礎も出来てないのに、詰め込み詰め込みで、形ばかりのポーズを覚えなければなりません。

後から考えれば、年間を通じて不特定多数の生徒がいつでも受講開始できるように組まれた授業内容だったのです。そのことをきちんと理解した上で、自分に必要な練習内容にマイペースで取り組んでいけば良かったのですが、当時の私はまだ何も分かっていなかったので、ただ木偶の坊のように言われたことをやっていくことしかできませんでした。その結果、徐々に心理的負担が大きくなっていったのです。

授業中は、下盤(下半身)の筋力や安定感もまだ盤石ではないのに、新架一路の一部激しい動作も練習しなければなりません。

初めは頑張って授業に出ていましたが、時間が経つにつれだんだん嫌になってきました…

周りを見れば、他の生徒たちは楽しそうに新しい動作を「ああでもない」「こうでもない」と言いながら練習しています。一方、私はむっつりと黙ったまま隅の方で基本の型だけを繰り返し、やる気もなく動いている状態でした。

なんだか授業の練習内容に意味を感じられないのです。もっと正確に言うと、基礎ができていないので、実力に見合わない動作でぶざまな姿をさらして自信を失うのが怖かったのです。

授業の練習内容に意味を感じられませんでした。もっと正確に言うと、基礎ができていないために、実力に見合わない動作でぶざまな姿をさらして自信を失うのが怖かったのです。

つまらないプライドのせいで、誰にともなく心の中で八つ当たりをしました。

「こんなのが太極拳なの? まるで少林太極拳みたいじゃん!」

疑心暗鬼で心がいっぱいになり、方言の強い教練に質問することもできず、打開策も見つからないまま、太極拳館の隅っこで座敷わらしのように蠢いていました。

その頃からです。単調な日常の中で、物事を認識する能力が徐々に低下し始めました。

まず、いつものように練習を終えて帰り道に野菜市場に寄っても、野菜を野菜として認識できなくなりました。

練習を続けるためには、いや、もっと根本的な問題です、生命を維持するためには、毎日食事をしなければなりません。

少なくとも3日も食べなければ、体が持ちません。

しかし、その時の私は、トマトを見ても、ほうれん草を見ても、中国北部の主食である饅頭(マントウ)を見ても、自分との繋がりを認識できないのです。

食欲がないわけでも、料理を作るのが面倒というわけでもなく、トマトをトマトとして認識できないのです。

しかし意識の遠くでは、「午後の練習のために、お昼ご飯をタベナケレバ、タベナケレバ、ナラナイ!」という何者かからの指令が聞こえてきます。

困った私は、自転車を手押ししながら野菜市場を5回以上ぐるぐると周回し、最終的にはロボットの用に何かの物体(野菜です)を手に取り、老板(店長)に告げられた金額を支払い、袋に入れてもらった物体(野菜です)を家に持ち帰ると、ほぼ無意識の状態で、とりあえず切って、中華鍋で炒めて、お皿に盛って、テーブルの上に置いてみました。

!?

これは、温かい料理じゃないか!

一口食べると、猛烈な飢餓感が湧き起こり、一気に平らげると、そのままベッドにうつ伏せになって眠ってしまいました。

それが最初の兆候でした。 (おそらく、もう何かしらを受診したほうがいい段階)

それから二週間ほど過ぎた頃には、とうとう何を食べても砂を噛んでいるように味しかしなくなり、毎食2口目以上は喉を通らなくなりました。(当時はノイローゼだと思っていましたが、おそらく適応障害のような症状)

それまでの人生でも心身に不調をきたすことはたくさんありましたが、こんな症状は初めてです。

さすがに恐ろしくなって、毎日頑張って野菜市場に行きました。

並んでいるトマトの前で、正にそのトマトの前で、紛れもなくトマトの前で、念仏でも唱えるかのように、大好物の料理の名前「西紅柿炒蛋」を、

「トマトと卵の炒め物…、トマトと卵の炒め物…、トマトと卵の炒め物…」

と無心に何度も呟いてみました。

……

しかし目の前のトマトは頑として、まるで紙に描かれた絵のように、非現実的な物体にしか見えません。

私はあきらめて家に帰り、三日三晩寝込むことに決めました。

もはや残された方法は、最後の生命力の発動に頼るしかありません。

「ああ、トマトをトマトと思えた頃は、なんて幸せだったのだろう」

そんな訳の分からないことを考えながら、一人部屋のベッドに四肢を投げ出し、無力に天井を見つめていました。

初出 2010年12月

 つづく

この記事を書いた人

日本中国伝統功夫研究会の会長。八卦掌と太極拳と華佗五禽戯の講師。中国武術段位5段/HSK6級/中国留学歴6年(北京市・河南省)