2006年2月上旬、河南省に渡って初めての春節。
陳正雷老師にお招きいただき、ご自宅で過ごさせていただいた新年は、とても温かな雰囲気に包まれていました。
陳正雷老師ご自身がとても温和な人柄であること、そしてご長男(陳氏二十世)がイギリス留学の経験を持ち、国際的でユーモアのある方だったことが理由だと思います。
ただ、日本に太極拳指導のため長期滞在されているという一時帰国中のご長女(陳氏二十世)は、なぜかひどく不機嫌なご様子で、私とは目も合わせず、一言も口をきいてくれませんでした。(後に太極拳館で耳にした噂ですが、日本での生活が厳しく「シャツ一枚も買えやしない。二度と行きたくない」と憤っていたそうです。ただ、真偽は定かではありません。また、なぜ私と口をきいてくれなかったのかも、ご本人に直接確かめていないため分かりませんが、太極拳講師がプロの職業として根付いていない日本では、当時きっとご苦労されていたのだと思います)
ご長男とは、太極拳館で実際に指導を受けたことがあり面識があったため、ご自宅の中を案内していただき、たくさんの写真を見せていただいたあと、リビングで年越しの伝統的な食事である「水餃子」をご馳走になりました。
中国の水餃子は、日本のスープ餃子とは違い、茹で上げたものをそのまま酢醤油につけて食べるのが一般的です。さらに春節の時は、家族で食べる餃子の一つに硬貨(現代では洗ってきれいにした紙幣)を入れておくのだと聞きました。
その餃子を食べた人が、その年にいちばん福のある人になるそうで、一年の大切な決め事や行動の際には、自分が先に立って導く習慣があるのだというお話も聞かせていただいて、とても素敵な風習だと感じて深く印象を受けました。
この日私は、太極拳発祥の地である河南省の省都・鄭州市でスーパースターだった陳正雷老師のご自宅に招いていただいたことで、内心有頂天になっていて、中国伝統武術の礼節を厳格に守れていたとは言い難いのですが、外国人に慣れているご家族のおかげで、表面上は大きな失態をさらすこともなく、楽しく貴重な体験をさせていただきました。
しかも、陳正雷老師は「春節の時期はタクシーが見つからないから」とおっしゃって、ご親切にもお住まいの高級団地の入り口まで見送ってくださいました。
運良く、入り口で乗客を降ろしているタクシーが見つかり、すぐに乗ることができたのですが、さらにありがたいことに、陳正雷老師が運転手に「無事に自宅まで送り届けてください」と伝えてくださったので、おかげで帰り道は、行きの『恐怖のタクシー』のような目に遭わずに済みました。
ところが、その翌日に卜文徳老師のご自宅へ拝年のご挨拶に伺った際は、そう簡単にはいきませんでした。
中国伝統武術界で生きていくには、礼節が何よりも重んじられます。
しかし、マニュアルも取扱説明書もありませんし、解説本が売られているわけでもありません。「教えてください」と面と向かってお願いしても、教えてもらえるものではないため、私にできるのは日本式の礼儀作法で対応することだけでした。
ところが、卜文徳老師のご自宅での新年会では、私は失敗のオンパレードでした。
失敗その一、座る位置
卜老師に勧められて、すぐ右隣の席に座ってしまった。
右隣は老師の一番弟子が座る席。勧められたからといって、私のような余所者の新人が座っていい場所ではない。
通常は、右①、左②、右③、左④の順に、左右交互に立場の上の人物から座っていく。
末席には一番新しい弟子、もしくは学生が座る。では、末席とはどこか。自宅ならキッチンに近い席、飲食店の個室なら店員が出入りするドアの近く、オープン席なら人通りの多い席で、給仕係を担う位置。
間違っても店員にすべて任せて、のんびり食事をしてはいけない。
失敗その二、女性の飲酒
勧められるがままに、どんどん飲んでしまった。
これは中国伝統武術界特有の礼節ではないが、老師の家族が参加している場合、とりわけ女性の家族がいる場合、女性の学生が飲酒すると顰蹙を買う。
一般的な常識として、中国北部では公の場で女性が酒を飲むことはほとんどない。
しかも、太極拳の発祥地でもある中国北部では、体を冷やすビールは夏場にしか飲まない。中国武術家は体を冷やすことを嫌うため、酒を嗜む場合は夏でも白酒(アルコール度数50度以上のスピリッツ)を飲むことが多い。
日本人特有の「断るのは失礼なのではないか?」という気遣いから、勧められるがまま、注がれるがままにどんどん飲んでいると、必ず酔い潰れる。
失敗その三、飲酒の席の作法
自分のペースで飲んでしまった。
中国の会食では、祝辞を述べながら全員で一緒に酒を酌み交わすのが一般的。日本のように各自のペースで飲んだり、隣同士だけで会話をしたり、個別に追加注文したりしてはいけない。手酌も厳禁。
会食中の祝辞は、暗黙の了解として、その日の状況に合わせて一定の間隔で順番に立席し、必ず老師や目上の人に感謝の言葉を述べてから、「敬一杯」と言って一口だけ飲む。つまり、飲みたいから飲むのではなく、老師や兄弟子への日頃の感謝を込めて杯を捧げるのである。
「乾杯」という言葉もあるが、文字どおり杯が乾くまで、つまり一気に飲み干すことを意味するため、滅多に使わない。
数え上げればきりがありません。何度思い出しても赤面して、緊張で汗が吹き出します。
北京の混元太極拳の武館に通っていた頃、現地の学生から海外の訪中団の失礼さを散々聞かされ、気をつけるよう口を酸っぱく言われていたのに、それでも、その情報だけでは遠遠不够(到底足りない)でした。
白い目で見られているのはなんとなく感じ取れたものの、だからといって何をどうすればいいのか分からないので、私は拝年の席に参加したことを後悔しながら、早く時間が過ぎないかと、ずっと下を向いて、次々と注がれる白酒を飲み続けました。
翌日、自宅のベッドの上で目を覚ますと、ひどい二日酔いと前日の失態が頭をよぎり自己嫌悪に苛まれましたが、それでも春節のイベントがどうにか過ぎ去ったと思うと、少しホッとしました。
安心すると同時に空腹を感じましたが、お正月なので商店はどこも閉まっています。年末に買っておいた食材も、すでに底をついていました。
「あ~、頭が痛いよ~、お腹が空いたよ~、気持ち悪いよ~、う~」
と、ひとしきり悶絶した後、困っていても状況は改善しないので、水とキッチンの戸棚の奥にあったトウモロコシ粉で作ったお粥を食べて、商店があくまでの二日間を過ごしました。
なんとか体調が戻ってからも、太極拳館の開館まではまだ一週間以上あったので、私はすることもなく、ひどく孤独を感じました。卜文徳老師からも、年明けにいつから鍛錬を始めるのか連絡がありません。
(本来なら、今こそ自主練習に打ち込むときなんだろうな)
しかし、春節の孤独感と、卜老師のご自宅での失敗経験が尾を引き、どうしても元気が出ません。あまりにも一日が長く感じられ、日が落ちてからは精神的に参ってしまいそうになったので、無理やり気合を入れてジャージに着替え、鄭州市にある大きな公園の一つ『人民公園』へ行って、自主練習をすることにしました。

暗くなった公園は不気味でした。人影のない園内で練習するのは不審者が怖く、公園の入り口にある広い場所で無理やり練習しようとしました。けれど、どれだけ動いても少しも気分は晴れず、体も温まりません。頑張って公園まで来たのに、楽しそうに園内を散歩する家族連れや若いカップルの姿を見て、かえって気持ちは沈み、ますます落ち込んでしまいました。
私は自主練習を諦めて、自宅へ帰ることにしたのですが、歩いて帰るその道のりさえ、ひどくしんどいことに気がつきました。
一歩踏み出すたびに、心がズキンと痛みます。
ひとりぼっちには慣れているつもりでしたが、老師や先輩方に会える機会はあるのに、きちんと礼節を尽くして心を通わせられない苦しみは、ただの孤独よりも苦しいのだと思いました。
(毎日練習していた時はあんなに元気だったのに、たった数日で、どうしてこんなふうになってしまったんだろう…)
普段はあまり言葉を交わさない太極拳館の学生たちに、早く会いたいと思いました。
しゃべらなくても、友達になれなくても、同じ時間に一緒に太極拳を練習できるだけで、どれほど幸せだったのかに気がつきました。
いつでも迎えてくれる陳式太極拳館と、厳格な礼節を尽くさなければ仲間として認めてもらえない伝統八卦掌。
母の愛情を知らず、父の顔も知らずに育った私にとって、何度失敗しても受け入れてくれる太極拳と、妥協なく鍛えてくれる八卦掌を同時に学べたことは、後にとても幸運だったと気づくことになりました。
日本人の私の場合、中国伝統武術界の礼節は、失敗を通してしか学ぶことができません。
何度失敗しても、何度落ち込んでも、諦めない。
こうして私は、まだ弱々しいながらも、確実に中国伝統武術界の門の入り口へと向かっていたのです。
初出 2011年2月
つづく

