逃亡 〜北京の混元太極拳へ〜

2005年の年末、北京から河南省鄭州市に渡って5か月が過ぎようとしていた頃。

日本ではお正月を迎える時期ですが、中国は旧暦なのでただの年末。そして私は河南省鄭州市に借りていた自宅のアパートで、相変わらず食事も撮れず、重度のノイローゼ(たぶん)状態から抜け出せずに過ごしていました。

何度か所属していた『陳正雷陳家溝太極拳館』の目の前まで足を運んだこともありましたが、授業内容への疑問と練習方法への迷いに再び向き合うのが怖くて、入り口のエレベーターに乗ることができませんでした。

「あんなに河南省の太極拳に憧れてやって来たのに、この有様はなんだ!」

自分でもそう思うのですが、入り口に立った時点で体が震えて呼吸が苦しくなるので、できないものは、できないのです。

行き詰っていた時、何かを察したのか日本の太極拳の先生から国際電話が掛かってきて、「北京の混元太極拳館に顔を出してはどうか」と告げられました。

急に逃げ出したはずの混元太極拳が恋しくなった私は、さっそく駅へ向かって寝台列車の切符を買うと、とりあえず麦当劳(マイダンラオ=マクドナルド)へ行ってでハンバーガーを胃に流し込み、簡単に荷物をまとめると『北京・志強武館』の事務所に電話をかけ、翌日の夜に出発しました。

北京へ向かう寝台列車の中ではぐっすり眠ることができました。夜の11時には消灯するので、『寝台列車だと良く眠れる症候群』の私は、ノイローゼ状態の疲れから一時開放された安堵感もあり、発車すると間もなく気絶するように深い眠りにつきました。

翌朝、乗務員が乗車時に切符と引き換えた「番号が書かれた札」を再び切符と交換するために、乗客を起こして回っていましたが、私は気がつかないほど眠りこけていました。

そして、目を覚ますと、寝台列車はすでに北京西駅に到着していました。

12月の北京の早朝は、河南省に比べると格段に気温が低く、『北京・志強武館』へ向かうタクシーの窓から眺める街は、少し青みがかって見えました。

朝9時に武館の事務所を訪ねると、数か月前に逃げるように去った私を、事務所の職員さんと、馮志強老師の三女である秀茜先生が温かく迎えてくれました。

そして、ちょうどここ数日は武館は無人だと教えてくれて、「好きな時に来て自主練習をしてもいい」と、私専用の練習場所として武館の使用を許可してくれました。

『北京・志強武館』の方々が、半年前に私が北京を離れた理由をあえて多くを聞かないでいてくれる。その配慮がありがたく、私は猛烈に練習へのやる気が湧いてきました。

毎日、朝3時間、午後2時間の自主練習に取り組むことにしました。

武館は無人で、時々事務所の職員が覗きに来る以外は私一人だけでした。私は何かに取り憑かれたように無心で練習に取り組み、当時覚えていた全ての套路(型)を繰り返しました。

もちろん、『北京・志強武館』は「陳式心意 混元太極拳」の武館なので、いくらルーツだとはいえ、流派の異なる河南省の「陳式老架一路」をおおっぴらに練習するわけにはいきません。それでも、誰も覗きに来なさそうな時は、窓から死角になるスペースで、老架一路もこっそり練習しました。

河南省に戻る日程も、そもそも戻るかどうかも、戻らないならこれから先どうするかも、何も決まっていない、自由で無責任な状態で、毎日一心不乱に練習しました。

規則正しい生活リズムで自主練習に励んでいると、徐々に心身が整ってきたのか、それまでの苦しみが和らいでいくような感じがして、久しぶりに心が楽になりました。

武館の中は凍てつくように寒く、練習を止めるとすぐに手足が冷えて痛くなり、宿泊していた旅館も断熱性がほとんどなく、夜は何度も電気ポットとバケツで足湯をして温めなければ眠れない環境でしたが、それでも、私の中にはそれを上回る太極拳への情熱がありました。

思う存分、自由に、誰の目も、評価も、束縛もなく、自分を縛るものすべてから一時的に解放された私は、今までの練習では体験したことのない底知れぬ幸福を感じることができました。

練習すればするほど、体の中が、どんどん、どんどん、充実してきます。

そして、ある瞬間ふと、河南省の老架一路をはじめから通しで練習してみたくなりました。

何かに促されるように、第一式の起勢から、第五式の単鞭まで行った直後、頭に直感が走りました。

「ああ、これか!」

うまく言葉にはできませんが、なぜ自分が北京での混元太極拳学習を中断してまで河南省へ行きたかったのか……、太極拳の発祥の地だからとか、すべての太極拳の源流だからとか、そういう表面的な理由ではなく、感覚的に「行く必要がある」と感じたことを思い出したのです。

「北京へ逃げてきたら、心が解放された」と思っていたのは間違いでした。問題は場所ではなく、自分で自分を縛っていたことだったのです。

人には感情があり、周りの人間関係や環境、過去の経験が判断に影響します。それが役立つこともあれば、逆に自分を縛ってしまうこともある、そのことを改めて実感しました。

もう一度、心を正して、太極拳を学ぼう。

流派や練習方法にとらわれず、プライドや恐怖心に支配されないよう気をつけながら、常に感覚を研ぎ澄ませて学んでいこう、そう思いました。

この時の北京滞在中、タクシーの運転手さんや食堂の従業員さんから、河南省出身者の悪い評判をたくさん聞きました。河南省は黄河の氾濫で難民が増え、他の地方に移り住んだ人たちが窃盗や詐欺で生計を立てていた時期があったため、評判が悪いのだそうです。でも、私は気にしませんでした。

そんなことを気にしていたら、過去に日本兵が中国で行ったことのために、私だって中国にいることができなくなってしまいます。

人は、今を精一杯生きていくことしかできない、と思いました。

そして、2週間に及ぶ北京での滞在中、馮志強老師にお会いすることができ、励ましの言葉をいただくことができました。

馮老師からは、「河南省へは戻るな。ホンシャン(横山)の体質には合っていない。混元太極拳の方が心も体も健康になれる」と言っていただきました。私は馮志強老師を心から尊敬していたので、親身に声をかけていただけたことがとても嬉しかったのですが、自分の長い人生を考えた時、太極拳を本当に理解するには、源流である陳式太極拳を修めなければならないという思いが、すでに信念へと変わっていたので、申し訳ないと思いながらも、河南省に戻ることを決めました。

馮志強老師は、陳式太極拳の「新架式」を修めた後に混元太極拳を創始されました。そして、「新架式」は、あまりの難易度の高さに、私が河南省『陳正雷陳家溝太極拳館』から逃亡した原因でもあります。

やはり同じルートを辿ってみたい。まだ29歳で血気盛んだった私は、そのときどうしても馮志強老師のアドバイスに従うことができませんでした。

複雑な思いもありましたが、感謝の気持ちを忘れず、いつか混元太極拳に戻れるかもしれないと一縷の望みを抱きながら、私は意気揚々と河南省鄭州市に向かう寝台列車に乗り込み、翌日早朝には鄭州駅に戻っていました。

北京西駅から鄭州へ向かう寝台列車
北京西駅から鄭州へ向かう寝台列車

ここまでは良い話ですが、人生そう簡単にはいきません。

早朝なのに大混雑をしている鄭州駅のタクシー乗り場の行列に並ぶと、順番を守らない中国の習慣のせいで1時間以上もタクシーに乗れず、疲労困憊の状態でやっとタクシーに乗れたかと思うと、何故か運転手がもの凄い剣幕で私を罵倒し始めました。

車内のシートの上にスーツケースを乗せたのが気に入らなかたのか、私はスーツケースごと路上に引きずり出され、唾まで吐かれ、周囲を取り巻く大勢の人々も路上に放り出された私をただ見ているだけです。

自宅のアパートに帰る手段を無くし、路上に倒れ伏し、張り詰めていた糸が「プツリ」と切れた私は、路上で「オウオウ」と大号泣し始めました。

「ひどいよー、なんて事するんだよー、我就是日本鬼子!(どうせ私は嫌われ者の日本人だー!) こんなに頑張っているのに、どうしていつも酷い目にあうんだ!」

感情が爆発して、日本語と中国語が入り混じった私の叫び声に、周囲の人々はますますドン引き。

「あァァァんまりだァァアァ」

と、「ジョジョの奇妙な冒険」『戦闘潮流』のエシディシのように(知らない方は読み飛ばしてください)、人目も気にせず泣き叫びました。

本来なら人情に厚く、困った人を放っておかない中国人も、私の奇行に怯えたのか、誰も助けてくれません。

そんな私に突如、悟りが訪れました。

突然泣き止み、まさにエシディシのように「フー スッとしたぜ」とばかりに気が済んで冷静になった私は、スクッと立ち上がり、何事もなかったように駅とは反対の方向に歩き始め、あっさりタクシーを拾って自宅に帰宅。相変わらずチョロチョロとしか出ない水量のシャワーを浴びてから、太極拳館へ練習に行きました。

3週間以上も失踪し、突然太極拳館に現れ、真面目に授業を受けている私を見つけた知り合いのおじさんは、

「アイヨ、きみ何処で偷練(こっそり特訓すること)してたんだい、えらく上達してるじゃないか!?」

と驚いた様子で声をかけてくると、体育会系でいつも厳しい鄭冬霞(ジェン ドンシャア)女性教練も、

「彼女は外見は柔だけど、内面は剛よ。最初に会った時から分かっていたわ。そもそも本当に弱い女性だったら、たった一人で河南省に太極拳の修行になんて来られるはずがないもの」

……

こうして、私は初めての陳式太極拳の挫折を乗り越えることができました。

「よし!  この河南省という厳しい環境で、這いずり回ってでも本気で太極拳を学んでやろう!」

と、めでたく志が高まったところで、河南省へ渡って一年目の2005年は無事に幕を閉じました。

初出 2011年1月

つづく

この記事を書いた人

日本中国伝統功夫研究会の会長。八卦掌と太極拳と華佗五禽戯の講師。中国武術段位5段/HSK6級/中国留学歴6年(北京市・河南省)