2006年の1月14日、私は中国河南省鄭州市の自宅で30歳を迎えました。
中国では誰も私の誕生日を知りませんでしたし、私自身もそれどころではなかったので、何も考えず、過酷な鍛錬の一日をただ過ごして終わりました。
毎朝、早朝から卜文徳(ぼく ぶんとく)老師に「基本功じゃ! 基本功が無くては大成せんのじゃ! 基本功を積むのじゃ!」と、しごかれていたのですが、具体的に何をさせられていたのかと言うと、まずは柔韧性(柔軟性)を高めるために、毎日、来る日も来る日も、早朝と午後の練習前に、
走らされていました…
内心(え~! なんで走らされるの?)と思ったのですが、そんなことは言えるはずもなく、素直に走りました。
早朝は濃厚な排気ガスが充満する鄭州市の金水河辺を、午後は卜老師のご自宅前の駐車場を、ものすごい勢いで走らされました。

脆弱な私の心肺機能は、毎回走り終わる頃には「ヒーヒー、ゼーゼー、ハーハー」という状態です。
卜老師曰く、
その一、中国武術の基礎は、まず十分な体の柔軟性を身につけることから始まる。
その二、そのために、毎日欠かさず柔軟運動(ストレッチ)を行う。
その三、しかし柔軟運動の前には、必ず体を十分に温めなければならない。
その四、そのために、まず走る。
その五、ただ走るのではない、全力で走る!
なのだそうです。
それは分かるのですが、頭を打ったわけでもないのに脳震盪を起こしそうなほど走らされたせいで、私の心臓は「死ぬんじゃないか」と思うくらい、毎度毎度バクバクと鼓動を打ち鳴らしました。ストレッチのために、ここまで走らされる必要があるのかと大いに戸惑い、しかも追い打ちをかけるように大量に吸い込んだ排気ガスで胸まで痛くなり、もう何が何だか訳が分からなくなりました。
走り込みが終わると「ギャー! ギャー!」と悲鳴を上げるほどの激しいストレッチをさせられます。
時折遠ざかる意識の中で(確か私は、大自然と共鳴するために太極拳を学びに中国へ来たような気が…」という考えが何度も脳裏をよぎりましが、その思いを一掃するかのように、ストレッチが終わるとト老師の武魂指導が始まります。
地獄の「自分史上最速の高速腰回転で八卦掌の構え100本」からの、「自分史上最多回数で限界までスクワット」です。
これでまだ基本功です。しかも、一本たりとも眼法を失ってはなりません。
もう、それだけでヘトヘトなのですが、そのメニューでは2〜4時間ある練習時間のうち、たった1時間しか経過しません。まだたっぷり時間が残っているのです。
そんな過酷な基本功の練習を終えると、白湯を飲みながら小休憩します。
大酒豪の卜老師は、休憩中にたまに「ほほほ、今日は寒いから、ちょっとだけ呑まんかね?」と、アルコール度数が50度以上ある白酒(中国の蒸留酒)を私に勧めてきました。ですが、そんなものを呑んで練習したら本当に死んでしまうので、断るのに毎回難儀しました。(確かに中国北部には、霧と冷気が強い日は、少量のお酒を飲んで湿邪を払う、という古い養生法があると聞いたことがあります)
とにかく、白湯を飲もうが、白酒を呑もうが、私の体力が回復するはずもなく、それでも容赦なく後半の練習は始まるのです。
ある時、あまりの疲労に耐えかねた私は、卜老師に質問をしました。
「あのう、卜老師。八卦掌は内家拳(気を練る武術)ではないのでしょうか? なぜ、こんなに柔軟やら筋力やら鍛えなければならないのでしょうか? 気はいつ練るのでしょうか?」
すると、卜老師は一言。
「気を伝える筋肉がなくて、どうやって力を出すんじゃ」
(ガーン!)
それにて、私の中国武術に対する迷信はすべて拭い去られました。
どうして、そんな簡単なことに今まで気がつかなかったのでしょう。
思えば陳式太極拳も、発祥の地は農村ではないですか。毎日の農作業でしっかり体が鍛えられている状態だからこそ、『放松(リラックス)』を求めることができたのです。まずは基礎体力があってこその「力を抜いている状態」なのです。
無い力は、抜けません。
(でも、私、虚弱体質だし…)と一瞬思いかけて、(やめた! やめた! もう虚弱体質はウンザリだ! 私は変わるのだ!)
誰も私に制限などかけていません。私自身が変わろうと思えば、変われるのです。変われるのだ!(心の声)
そう思うと、卜老師の鬼指導さえ楽しく感じられてきました。目の前には本物の武術家がいて、私に本気で指導してくださっているのです。百分の一、いや千分の一も学べないかもしれません。それでも、とにかく限界まで打ち込んでみようと思いました。
そんな過酷な基本功の修行の日々でしたが、毎日の練習が終わると、卜老師は私を家に招き、いろいろなお話を聞かせてくださいました。

卜老師のご自宅の壁には、数多くのメダルや勲章、写真が飾られており、その中にひときわ目を引く一枚がありました。何の写真か伺ったところ、卜老師がまだ現役だった頃、形意拳の達人として名高い沙国政(しゃ こくせい)老師が、卜老師の最も得意とする六合刀を学びに来られた際に撮影したものだそうです。
しかしその頃、沙国政老師はすでに非常に有名になっており、立場上ご自身が学ぶのは都合が悪かったため、お弟子さんを残して帰られたそうです。
卜老師に中国武術の基礎を学び始めてからも、私は毎日、太極拳館にきちんと通っていました。
卜老師が私の太極拳の上達を望んでくださっていたことに加え、私自身も心から太極拳を愛していたからです。
毎日スパルタ鍛錬をこなしていたせいか、通い始めたばかりの頃に抱えていたコンプレックスは、いつの間にか消えていました。
むしろ仲間が驚くほど、私は急速に上達し始めていたのです。
そして、心身ともに充実感が芽生え始めた矢先、人生は波乱万丈です。中国で初めて迎える旧正月が訪れ、またもや大きく調子を崩すことになったのです。

上の写真は、旧正月の前に行われた陳家溝太極拳館の年末イベントで、これから何が起こるかも知らず、のんきに日頃の鍛錬の過酷さを忘れたかのように、テレサ・テンを中国語で熱唱している一枚。
初出 2011年1月
つづく

