REPORTAGE / 2004–2010

横山春光の中国武術留学記

初・太極拳大会出場

卜文徳老師のもとで

2006年8月中旬。私の初の太極拳大会出場の舞台となった『第二届中国陳家溝国際太極功夫精英賽』が、中国河南省鄭州市で開幕しました。

大会前、女性特有の月に一度の腹痛に見舞われ、全身の筋力と精神力を一時的に失った私は、泣きじゃくって癇癪を起こしました。

「出場しない!女の子には武術なんて向いてない!」

韓国のお兄さん達に“なだめすかされ”、何とか大会初日を迎えました。

大会は開幕式を含めて3日間。私は最終日に2種目、ジュアン兄さんは2日目と3日目に一種目ずつ、という予定になっていました。

開幕式の前日までは、緊張してワナワナと震える私と、それを励ます韓国ブラザーズ、という構図でした。ところが開幕式の当日になると、なぜか見事に正反対になっていました。ジュアン兄さんは朝から何も食べられず、ヘソ兄さんは私の代わりに緊張し始め、当の私はケロッとしていたのです。

そう言えば、私は本番に強かったのです。

小学生の頃、私は短距離走が得意でした。でも運動会の練習では、いつも二位でした。どうしても一番足の速い同級生に勝てないのです。確かにその娘は、私より身体的能力が上でした。

しかし本番になると、なぜか私は最高のスタートが切れるのです。あの「位置について、よ〜い……、ドン!」の「……」の時間に、体の全細胞がフル稼働する感覚を、子供ながらに知っていました。練習ではいつも一位の同級生はメンタル面が弱かったのか、肝心の“スタート・ダッシュ”で一歩出遅れ、そのショックが後半の粘りに影響して、私が最終的にごぼう抜きしてしまうのです。

別にわざと練習で手を抜いている訳ではなかったのですが、その娘には誤解をされ、嫌われてしまいました。

そういう特性もあるのか、自分の出番までの時間が迫れば迫るほど、気分は落ち着いてきて、食欲も湧き、むしろ「ワクワク」してきました。だって競技が終われば、あの“大会前”という緊張感から解き放たれるのです。それに、少なくとも「ここまでやったんだ!」という自信だけは、ありました。

会場に入り、一番目の種目『伝統陳式太極単剣』の順番が回ってきて『上場』した時、私の心の中は、すでに澄みきった湖のような静寂で満たされていました。

私は近視&乱視な上に裸眼なので、いつもはボンヤリとしか周りが見えていません。ところが太極剣の起勢を始めた瞬間、会場内の全てが手に取るように見えるような気がしました。

演技の数分間、私の頭の中にあったのは、卜文徳老師の「眼じゃ、眼法じゃ!敵を見るのじゃ!」という声の響きと、(中国語で手続きをして、競技のルールも把握して、病気にもならず、無事に大会に出場できてよかったなぁ……)という思いだけでした。

練習中はダルくて重くて、思うように動かなかった体が、本番では軽々と動けました。

卜文徳老師の「常日頃から厳しい鍛錬をしとかんと、大会で発揮できんじゃろうが!」という言葉が、剣先に響いていました。

最後の型である“太極剣還原”を終え、一礼をして『下場』し、荷物の見張り番をしてくれているヘソ兄さんの所へ向かう途中。

……

「横山さん、高得点だよ!優勝じゃないの!」

誰かが私の肩を叩いて、そう言っているような気がしました。

私は荷物の事しか考えていなかったので、そのままヘソ兄さんを探しに行きました。

「優勝だよ!」

ヘソ兄さんが、笑顔で言いました。

私はまだ何の事を言っているのかわからなかったので、「え、ジュアン兄さんが優勝したの?」と聞いてみました。

「違うよ、みーちゃんが剣で最高得点だったんだよ!」

(そんなバカな!?)

転ばないで、制限時間内で演技を終わらせた事だけで大達成感を感じていた私に、『優勝』という二文字は、あまりにも非現実的でした。

私の年齢の枠の『女子青年組』は外国人の人数が少なかったので、私は中国人の選手と一緒に競わなければなりませんでした。共に競技した中国人の女性達は逞しい方が沢山いたので、まさか自分が入賞するとは、最初から念頭に無かったのです。

ジュアン兄さんは外国人枠で競い、二種目とも優勝しました。ジュアン兄さんは実力派で最初から優勝を考えていたので、金メダルを首に掛けて貰った時も「これで韓国の師匠に面目が立つ」と安心していました。

大会最終日の閉幕式で、各種目の優勝選手の表演があり、私も出るように主催者側から要請がありました。でも、私は辞退しました。なんだか私はまだまだ、そんな晴れ舞台に立って良い程には成長していない様な気がしたのです。

河南省武術協会の会長に金メダルを首に掛けて頂いて思ったのは、卜文徳老師。日々私を支えてくれた韓国の同志たち。“なんだかんだ”言って私を上達させてくれる表演隊の男の子達。太極拳館の教練方。近所の八百屋のおばさん。アパートの大家さん。私は、とてもとても多くの人達に支えられて、この金色のメダルが自分の手の中にあるような気がしたのです。そして、そういう方々への感謝の気持ちの方が、金メダルよりも遥かに重かったのです。

ジュアン兄さんは勿論、韓国の師匠の為に、閉幕式の優勝選手の表演の舞台に立派に立ちました。

閉幕式が終わり、皆さんが帰り始めた頃、ヘソ兄さんがやっと気がついて、私の初大会出場の記念写真を撮ってくれました。

私たち3人が外へ打ち上げの食事に出かける途中、会場の出口の所で、主審判員を務めていた方に呼び止められました。

「あなた、横山さんだね、いや、美麗だった、君の剣はもっと伸びるだろうから、これからも“下功夫”(精進するの意)しなさい!」

そう言って、笑顔で励まして下さいました。

太極拳館の鄭冬霞(ジェン・ドンシィア)教練も、こう言ってくれました。

「ふふっ、私は優勝すると思ってたわよ、でもそう言うと横山さんがプレッシャーに感じると思って言わなかっただけよ。でも、これで終わりではないわ、もっともっと大会に出て、自分を磨き上げなさい!」

大会は「祭り」の様なものです。そして祭りの後には、必ず寂しさが漂います。

私は、河南省へ来たばかりの頃に見に行った、2年に一度開催される通称「年会」と呼ばれる、陳式太極拳愛好者なら一度は必ず出場してみたい!と願う、更に大きな大会に出場する目標を立てました。

初出 2011年3月