REPORTAGE / 2004–2010

横山春光の中国武術留学記

中国四川大震災の日

武縁

2008年5月12日の午後、私は自宅のアパートでベッドに寄りかかり、麻林城老師からお預かりしていた八卦掌の資料の翻訳をしていました。住んでいたのは3階でした。

なんだか揺れているな、と感じましたが、(ああ、地震か)と思っただけで、すぐまた資料に目を落としました。日本人の私でも地震が怖くないわけではなかったのですが、小さな揺れには慣れていたのです。

その日の夜、知り合いの新聞記者カメラマンさんから電話が掛かってきました。

「メイダイヅ、大丈夫?こっちは大変な大混乱だよ。会社のビルの階段を大勢の職員が一斉に駆け下りて、怪我人や錯乱した人が出たんだ。みんなどうしていいのかわからなくて、近くの公園や食堂に集まって大騒ぎだよ!」

「えっ、そんなに大した揺れかたじゃなかったよ、大丈夫だよ」

と私が言うと、

「ああ、そうか、君は日本人だったね。日本は地震が多いから建物の耐震性が高いのかもしれないけど、中国の建物はそうじゃないんだ。君の部屋、天井がひび割れたりしてない?とにかく気をつけて、ここは日本じゃないんだから、わかったね!」

と言って、電話は唐突に切れました。

私はボロアパートの天井と壁を一通り眺めてみましたが、何も変化はないようなので、とりあえずその日は出掛けずに自宅で過ごしました。

翌朝、今度は太極拳館の事務室の知り合いから電話があり、昼食を一緒に食べようと誘われたので、行きつけの『江湖食堂』(“江湖(ジャンフー)”とは、武功のある者が渡り歩く世界を意味する言葉です)に行くと、食堂内の人々の話題は全て昨日の地震に関することでした。

皆が恐慌している中、私だけが事の重大さを認識しておらず、騒然とした食堂内を見渡して「どうしてこんなにみんな怖がっているの?」と聞くと、やっと四川省の状況を伝えられました。

皆は、河南省で自分たちが経験した揺れを、口々に話していました。「俺は昨日から頭の中がグラグラしていて、歩くのもおぼつかない」「私は気持ち悪くてずっと吐き気がする」「一睡もできなかった」「職場にビール瓶を逆さまに立てて置いて、倒れたらすぐに逃げられるようにしてある」「生まれて初めて地震にあった」と、大変な怯えようでした。

「日本人は地震に慣れているから、全然怖がってない!普段は中国人と変わらないけど、今はやっぱり日本人だね!」

と突然言われた私は、申し訳なくて身の置き場がなくなり、日頃TVニュースも新聞も見ないので、何を話したら良いのかわからず黙っていると、話題は逸れて、地震の予言者の話になりました。

「ところで、この大地震を予言した人がいたらしい。インターネットの書き込みで時間まで正確に予言してたらしいよ。その人は地震雲を見て正確な位置と時間を割り出したそうだ」

「いま中国全土のネットユーザーがその人を探しているらしいんだけど、突然ネット上から消えてしまったんだって」

みんなが不安を紛らわそうと、色々な話をしていました。私がその場に呼ばれたのも、きっと地震に慣れている人を側においておきたかった、という思いからだったのかもしれません。アメリカの竜巻の被害にまで及んだ議論は、運ばれてきた料理が冷め切ってしまうまで続き、「とにかくみんな気をつけよう、貴重品は身につけて、何かあったら携帯電話で連絡を取り合おう」と言って別れました。

考えても、考えても、ただ漠然と「練習をしなければいけない」ということしか思い浮かばなかったので、周囲の恐慌と、自分の立場と、今やらなければならないこととが、頭の中でぐるぐる回って収拾がつかず、落ち着かない日々が続きました。

知り合いの新聞記者カメラマンさんからは、この四川大震災で日本が中国にたくさんの援助をしたらしく、反日感情が一時落ち着いていると聞きましたが、その頃の私はどう受け止めてよいのかわからず、ただ黙っていることしかできませんでした。