REPORTAGE / 2004–2010

横山春光の中国武術留学記

北京功夫

北京・程派八卦掌

2009年9月上旬、朝晩の公園の空気に秋の訪れを感じ始めた頃、私は写真を撮るために、中国武術留学の出発点である馮志強老師の『北京・志強武館』のあった場所を訪ねてみることにしました。

初めて『北京・志強武館』の門をくぐったのは、飛行機が到着したその夜でした。薄暗い庭で学生が無極站を行っているのを見た時の憧れ、空気や色や音がまったく日本と違ったこと。太極拳の授業中に泣き出してしまった私を見て、目を真っ赤にして一緒に泣いてくれた卢春(ルーチュン)先生の優しさ、その後も顔を合わせるたびに私の手を握ってくれて「手が冷たいよ、体に気をつけて」と声を掛けてくれた御心遣い。色々な思い出を胸に、私はバスに乗って北京市の中心へ向かいました。

バスを降り、懐かしい路地裏へ向かおうと思ったのですが、道は確かなはずなのに、どこにも入り口が見つかりません。大通りを何往復かしましたが、とうとう取り壊されている場所が、自分が一番懐かしく愛おしく憶えている場所であることがわかりました。留学2日目、水を探して彷徨った、あの懐かしい路地裏の街並み。中国の人々の生活の息遣いが溢れていた、あの小道、餃子屋さん、初めて豆乳と揚げパンを食べた露店、編み物をしていた女性たち、小さな椅子を修理していたお爺さん。みんなどこに行ってしまったんだろう……。その場所には、綺麗な公園が作られるという看板が立っていました。

その場に長く居ることがつらかったので、私は『北京・志強武館』を遠くからでも見てみようと思い、武館に向かって歩き始めました。当時毎日通っていた道を歩いていると、つい昨日も歩いたような、いや前世ほど昔に歩いたような、不思議な感覚に襲われました。帽子を深めにかぶり、足早に門のある角を曲がりました。

そして、絶句しました。

あの懐かしい『北京・志強武館』。私を中国伝統武術界に導いてくれた、あの武館。ずっとそこにあると思っていた、あの建物が消えていたのです。残されていたのは、隣接していた按摩学校の無人の校舎だけです。太極図の形をした中庭は何の痕跡も残さず、無機質な空き地になっていました。後から『北京・志強武館』は別の場所に移転したということを聞きました。

9月中旬、昼間はまだまだ残暑を感じる北京で、私は黙々と八卦掌の練功を積んでいました。

屋外は蚊が多くて集中できないので、もっぱら室内での練功を行っていたのですが、長方形の部屋で八卦掌の基本功の走圏を行うのは中々に難しく、歩いているうちに徐々に楕円形になってしまいます。そこでコンパス代わりの回転式モップを使い、円線上に硬貨を置き、ビニールテープで円線を描き、真ん中に『太極八卦マークの茣蓙(ござ)』を置いて、とにかく真円を歩けるように、毎日毎日黙々と茣蓙の周りを歩き、足に叩き込みました。来る日も来る日も、同じことの繰り返しです。麻林城老師からの連絡も、稀にしかありません。上達している感覚はありませんでしたが、もう後には引けませんし、「とにかく、やるんだ!」ということ以外は何も考えられなくなっていたので、一日一回30分の無極桩と、八卦掌の基本功である“八大単転掌の定歩”と“八大母掌の定歩”を、ただひたすらに歩き続けました。

時間を見つけて、八卦掌第二代継承者である程廷華が武館を開いていた『北京崇文門外』に行ったりもしました。

気分転換は、朝ごはんの帰り道に通過する公園で「ボーっ」とすることでした。蚊が寄ってくるまでの僅かな時間を見計らって練功をしていると、子供たちに囲まれることも多くありました。「こらこら、あの人は練功してるんだから邪魔しちゃダメよ!」と、大抵は子守りをしている大人に注意されていましたが、子供なので耳に入りません。無邪気に興味を示して私と一緒に動きたがるので、とても可愛くて一緒に遊んだりしていました。

ワンちゃんのお散歩をしている人も多く、ほぼ毎日同じ時間に遭遇します。公園で見かける犬たちは、表情豊かです。血統書付きの名犬から、今流行の小型犬、それから伝統的なチャウチャウも可愛いですが、雑種の狆(ちん)が多く、その歩き方と表情の愛らしさは、思わず笑みが零れます。飼い主の方は皆さん自分のワンちゃんをとても可愛がっているので、あまり近づきすぎると、主人を守るべく奮闘するワンちゃんに「ワン!ワン!」と吠えられて退散する羽目になるのですが、遠くから見ていると逆に寄って来てくれることもありました。

ある日などは、気持ち良さそうに散髪をしてもらっているワンちゃんを見かけて、その無防備っぷりに目を取られて、綺麗に散髪が終わるまで見入ってしまいました。