2006年9月。
一時帰国していた私は、実家の自分の部屋で寝込んでいました。さすがに普通ではないと察したのか、母は無気力になっている私に、こう言いました。
「あんた、韓国に行ってきね! 気晴らししてきたらいいっちゃが! ついでにキムチの作り方も教えて貰ってきてくれんけ?」
……
2006年9月19日。私は福岡から仁川へ飛びました。
仁川空港では、ジュアン君とヘソ君が迎えてくれました。グチャグチャだった私の髪を見るなり、二人は私を美容院へ連れて行き、中国の過酷な環境で傷んでいた髪を綺麗にしてくれました。そして、言いました。
「ねぇ、みーちゃん、今一番何がしてみたい? 僕らは中国でたくさんみーちゃんにお世話になったから、何でも付き合うよ!」
私は朦朧とした意識のまま、答えました。
「うん、わたしね、太極拳と八卦掌を元気一杯練習したい……」
「あのね、みーちゃん、武術以外の発想は浮かんで来ないのかな?」
……浮かんで来ませんでした。
他にやりたいことなんて、一つも思い浮かばなかったのです。
二人は一週間以上、ホテルに滞在していた私の話を、交代で聞いてくれました。私は、励まされるばかりでした。
たまに気分が回復して韓国の街へ出かけると、日本人の留学生を多く見かけました。みんな綺麗な服を着て、楽しそうで、友達がいて、おしゃべりをしながら一緒に歩いていました。私はそれを見て、羨ましく思いました。
(なんで、わたし、テコンドーを学ばなかったんだろう……)
と、突拍子もないことまで考えました。
私がなかなか元気になれずにいる間に、ジュアン君はお母さんの体調が悪くなり、実家へ帰らなければならなくなりました。その後も、ヘソ君が最後まで私の話を聞いてくれました。
ソウルのビジネス・ホテルに連日引き篭もり、「ボー」っと、韓国語で何を言っているのかわからないテレビ番組を観ていた、あるときのことです。
突然、テレビの画面から、中国の映像と中国語が眼と耳に入ってきました。
どの地域かはわかりませんでしたが、中国の厳しい環境で必死に生活をしている人たちの番組でした。その映像を観た瞬間、私はどうしようもなく懐かしい気持ちに襲われました。
(なんで? どうして? 韓国の方が清潔で楽しくて人も優しくて良い事ばかりなのに、どうして埃と排気ガスまみれの中国の生活が恋しくなったりするんだ?)
理由なんてわかりません。
とにかく、突然「やる気」が復活したのです。
そして同時に、これで本当に、ジュアン君とヘソ君との“お別れ”になると思いました。
「私、戻るね!」
ヘソ君は、既にわかっていたような顔をして、空港まで送ってくれました。
2006年10月4日。中国行きの飛行機に乗る前に、仁川空港でヘソ君に手を振りました。そこから先を、私はよく覚えていません。
そのあと、私たちは自然に連絡を取らなくなりました。
初出 2011年3月