REPORTAGE / 2004–2010

横山春光の中国武術留学記

表演服の縫製師さんとの出会い

卜文徳老師のもとで
表演服の縫製師さんとの出会い

2006年3月末。私の不手際で、練習場所に無断で知り合いの青年を連れて行ってしまったあと、体調を崩されていた卜文徳老師は、たった2日で回復されたらしく、直々にご連絡をくださいました。

「だんだん日の出も早くなってきたから、明日からの早朝練習は“もうちょっと”早めにおいでなさい、ほほほ」

とのことでした。

(もうちょっと、って…)

私は卜老師の体調が回復したことが嬉しいやら、ほっとしたやら、安心したやらで、苦しかった気持ちが一気に軽くなり、相変わらずの卜老師節に、思わず心の中でツッコミを入れてしまいました。

それまでは、真冬だったので、朝の7時過ぎに練功場所である金水河沿いの広場へ到着していればよかったのですが、春が近づいたせいか、今度はとうとう6時には練功場所へ行かねばならぬことになってしまったのです。

当然、朝ご飯なんて食べる時間はありません。聞くところによると「早朝練功は空腹で行うのが良い」とのことでしたが(胃の悪い人は牛乳などを軽く飲んで、胃壁への刺激を避ける)、私はどちらにしろ連日の疲労で、早朝から何か食べる気にもなれなかったので、毎朝、目覚ましが鳴ると「うりゃ!」と気合を入れ、顔も洗わず(洗ってすぐ外に出ると、敏感な肌が排気ガスに触れるのがイヤなので)、寝惚け眼で薄暗い鄭州市の大通りを渡って、練習場所へ向かいました。

毎朝、金水河沿いを、胸いっぱい、肺いっぱい、たっぷりと排気ガスを吸ったり吐いたりしながら、卜文徳老師の御言付け通り、そんなに若くもない体に鞭打って走り込みをしました。

もう、「身体に悪い」などと悠長なことを言っていられる状況ではないことは、すでに自分自身に何度も思い知らされていたので、恍惚とした精神状態のまま走り込みをし、ストレッチをし、ストイックで単調極まりない基本功を繰り返しました。

卜文徳老師の眼光には『怠け心・発見レーダー』が搭載されているので、私は体力の限界が近づくと『心のスイッチをオフにする』という技を、必然的に身につけました。

そうすれば、体からの「もう限界だ、運動を止めてくれ!」というサインを無視できるのです。

いや、本来はそんな大事なサインを無視してはいけないのですが、仕方がないではありませんか。相手は“河南省で超有名な『中華武林百傑』の一人に選ばれた大武術家で武魂の漢・卜文徳老師”なのです。「排気ガスが苦しいので走れません」なんて、言えません。

そんな私の毎朝の唯一の楽しみは、朝練後の朝食でした。包子(バオズ=肉まんや野菜まん)、熱干麺、豆腐脳、各種お粥、油条(揚げパン)など、中国の朝食メニューは豊富です。午前中はさらに太極拳館へ行かなければならなかったので、空腹に任せてお腹いっぱい食べるわけにはいきませんでしたが、それでも朝食はひとときの安らぎでした。

毎朝、朝練が終わると、排気ガスで煤けた顔のまま、貪るように朝食を食べました。

朝食を食べ終えると、いったん自宅のアパートに戻って小休憩し、午前中は太極拳館の授業を受けなければなりません。

私の留学ビザの発行元である『河南中医学院』へは、昨年の暮れに“職業技能・初級按摩師”とやらの資格を取って以来、ごくたまに中国語の授業に顔を出すくらいで、殆ど通わなくなっていました。

毎日、毎日、同じような単調な日々を送っていましたが、それでも一日がとてつもなく充実していました。

早朝は卜老師との練功、午前中は『陳正雷太極拳館』。纏絲勁(てんしけい)と、全部で74式もある套路(型)の反復練習は、一人ではとても続けられない単調な練功ですが、太極拳館へ行けば、それを毎日一緒に繰り返す教練の方々と生徒の皆さんがいました。

そんな毎日を積み重ねるうちに、「私は虚弱だから無理」とは、いつの間にか思わなくなっていました。鍛えれば、自分の身体も変わる。

寝ても覚めても、2006年の中国武術界の空気の中で、30歳という時間を過ごしていました。

そのせいか、ときどきタイム・トラベルをしているような感覚に襲われることがありました。何千年もの歴史を持つ中国武術という伝統の世界と、宮崎の片田舎から東京に夢を見て飛び込んだ自分の過去が頭の中で入り混じり、何度も生まれ変わっているような錯覚に陥るのです。

そんな日々を送っていたある日、太極拳館の常連の学生である老刘(劉さん、「老」は姓の前に付けて、目上の人を呼ぶ敬称)に、「君ストイックすぎるよ、他の外国人みたいに、もっと仲間を食事に誘ったり、カラオケに行ったり、ダンスをしたり、買い物をしたり、エンジョイしないと精神的に参っちゃうよ!」と言われました。

そんな事言われたって、誰を食事に誘ったらいいのかわからないし、カラオケやダンスをする気分にもなれないし、買い物といっても、たまに本屋に行って格安で売られている色々な武術のVCDを買うくらいで、他には練習以外、特に興味のある事もありません。

そんな私に呆れた老刘は、私と同い年くらいの広東省から太極拳館に学びに来ていた小暁(暁ちゃん)を連れて、太極拳の表演服なる物を作りに行こう、と誘ってくれました。

さすがの私も、この誘いには乗りました。

「太極拳の表演服」なんだか凄く必要な気がします。

さっそく、老刘と広東訛りが可愛らしい小暁と3人で、まずは安く表演服を作ってくれる、という服装店へ行ってみる事にしました。

しかし、このお店は大ハズレで、出来上がった表演服は寸足らずもいい所だったので、私たち(太極拳の表演服を作り隊)のリーダーであるおじさんは怒って代金を返金してもらい、他のお店を探してくれました。

そうして見つかった武術服店の縫製師さんが、解姐(親愛の情を込めて“解”姐さんと呼んでいました)でした。

解姐は幼い頃から武術を学んでおり、なんと武術の審判員の資格まで持っているのです。ですから、どんな場面に、どんな拳種に、どんな表演服が最適か!?熟知しているのです。

解姐が作ってくれた私たち(太極拳の表演服を作り隊)の表演服は、どれもピッタリで、老刘も小暁も大満足しました。

それ以来、私たち『太極拳の表演服を作り隊』は解散してしまったのですが、私は定期的に一人で解姐の武術服店に通うようになりました。

私はどちらかと言うと職人気質な性格なので、同じく口数の少ない典型的な職人タイプの解姐が好きになったのかもしれません。

武術漬けのストイックな日々の唯一の心のオアシスが、解姐とのアーティスティックな会話と、解姐が作ってくれる表演服でした。

表演服は注文してから仕上がるまで、早くて2週間、解姐が忙しい時期は2か月ほどかかります。

忘れた頃に、解姐から電話が掛かってきました。

「春光さん、あなたの表演服できたわよ」

初出 2011年2月

後日談

解姐とのお付き合いは、中国留学を終えたあとも続きました。その後、解姐に作ってもらった表演服は、今では一生分あります。