REPORTAGE / 2004–2010

横山春光の中国武術留学記

北京へ師を求めて

北京・程派八卦掌

2009年1月、3年半かけて慣れ親しんだ河南省を離れ、北京にご在住の麻林城老師のもとへ行く準備をはじめた私は、陳式太極拳を自力で学んでいる知り合いが北京にいることを思い出しました。

その人は、私が2004年9月に日本から北京の馮志強老師の武館に渡ったばかりの頃、私を見かけたことがあったらしく、翌年の2005年8月に河南省で開催された『国際太極拳合宿』でバッタリ再会したのがきっかけで、半年に一度くらいのペースで電話で連絡を取っていたのです。と言っても、私はあまり積極的に人と交流を持つ性格ではないので、自分からその人に電話を掛けたことは無かったのですが、北京への引っ越し準備をはじめてみると、さすがに一人で全ての引っ越し作業を完了することは不可能だと思ったので、思い切って電話を掛けてみました。

大学の臨時講師の仕事をしながら、人生の目標として陳式太極拳を自力で学んでいるその人は、私が「北京に八卦掌の老師がいるので、住むところを探して貰えませんか?」とお願いをすると、快く承諾してくれました。

河南省のアパートに置いてある荷物は、新しい北京の住居が決まらないと動かせないので、私はとりあえず二泊三日分くらいの荷物を持って北京に向かうことにしました。夜行列車に乗り、翌日の早朝6時50分に北京西駅のホームに降りた私は、あまりの寒さに恐れおののきました。

「ひ〜っ!さ、寒い……!」

河南省に3年も居たので、すっかり北京の冬の寒さのことを忘れていたのです。とてもじゃないけれど、麻林城老師に呼ばれて睨まれながら練習をしなければならないという必死の状況下以外(老師からのご指導は四季を問わず公園で行われます)、自力で屋外練習をするのは無理だと即座に判断しました。

私は駅まで迎えに来てくれていた北京の知人に「すみませんが、なるべく家賃が安くて、練習ができるスペースのある部屋を探して貰えませんか」とお願いしました。「好的,就是北京的冬天太冷(ハオダ、ジウシー・ベイジンダ・ドンティエン・タイ・ロン/うん、わかったよ、ほんとうに北京の冬は寒すぎるよね)」と言ってくれた知人は、丸2日かけて何軒もの物件を見て回り、なんと建設中の広々としたマンションを探してくれました。

麻林城老師は北京市の郊外にご在住なので、私もその近くに住居を探していたのですが、いくら郊外といえど、こんなに綺麗で広いマンションは家賃が高いのでは、と心配しました。しかし知人が「大丈夫、まだ建設中で騒音もあるし、公共の暖房も入ってないから格安の家賃らしい。ただ完成したら家賃が跳ね上がるから、そうしたらまた安いアパートを探せばいいよ。とりあえず春までここに住んで練習したら?」と言うので、そうすることにしました。

思い切ると即行動してしまう私は、あっという間に河南省のボロ・アパートを引き払って、北京に引っ越しをしました。あんなに未練を感じていた河南省ですが、行動をはじめてからは、まったく未練は無くなりました。

もう麻林城老師が拒絶できないほど、北京での長期生活の準備を整えてから、私は改めて麻老師に電話を掛けました。

「麻林城老師!河南省では色々としがらみもあり、八卦掌の練習に集中できないので、老師のお宅の近くに引っ越しました!これから宜しくお願いします!」

この台詞は、実は北京の住居を探してくれた知人の入れ知恵です。

「何かを学ぶには、時には“脸皮厚一点(リエンピー・ホウ・イーディエン)”が必要さ」

“脸皮厚一点”とは、直訳すると“面の皮を厚くする”という意味ですが、知人はそういう意味で言ったのではありません。

「どんな老師だって、熱意のある生徒は好きだ。そんなに遠慮して萎縮してオドオドしていても、老師は喜んでくれないよ。追い返されてもしがみ付くくらいの熱意を持って、“厚脸皮(ホウ・リエンピー)”で行ってきな!」

そう言って、私の背中を押してくれたのです。

以前、北京に常住して面倒を見て頂く形は断られていた私でしたが、今回は「わかった、時間のある時に指導をするから、それ以外の時間は自分で練習をしていなさい」と仰って頂けました。私は、北京での一人暮らしをスタートさせました。

まず、弱っていた体力を回復させるために、きちんとした食事を摂ろうと思い、自炊をはじめました。大型スーパーは、いつ行ってもレジに長蛇の列ができていたので、うんざりした私は、近くの市場で食料を調達することにしました。記念すべき“北京八卦掌修行生活”第一食目の自炊メニューは、『里芋と人参と手羽先の和風煮物』と『ワカメ&卵スープ』で、久しぶりにまともな食事を摂った私は、なかなか良い生活になるのではないかと手ごたえを感じました。

しかし、引っ越した建築中のマンションは、その広さゆえに、買ってきた暖房器具のパワーがまったく及ばず、人間が屋内で過ごせる最低温度まで室温が上がりません。一日中部屋の中にいても屋外にいるような寒さから逃げられなかった私は、三日もすると風邪を引きました。

これはマズイと思った私は、いつか誰かに「フナ(川魚の鮒)と豆腐のスープは滋養がつく」と言われたのを思い出し、慌てて近くの市場にフナと豆腐を買いに行きました。河南省にいる頃に、東北(ドンベイ)出身の元料理人という太極拳の学生の友人に魚料理を学んだことがあったので、その時に教わった魚の下ごしらえ方法を思い出し、寒い台所で気合いを振り絞って“鮒と豆腐スープ”を作りました。仕上げに好物の香菜(シャンツァイ/コリアンダー、パクチー、色々な名前があります)をあしらったその出来上がり具合はなかなかの美味で、「ふ〜ふ〜」しながら熱々の鮒とお豆腐を食べると、体も温まり、気分も良くなり、首尾よくそのまま布団に入って寝たのは良いのですが、翌日大変なことになりました。

あたったのです……。

たぶん、鮒に……。

その症状といったら、凄まじいものでした。なにも食べられません、というより、食べ物を買いに行く体力がありません。布団に包まってガタガタ震えながら、(凍死するのが先か、餓死するのが先か、脱水死するのが先か)と考え、誰かに電話を掛けて助けを呼ぼうと思ったのですが、病院に行って待たされるのが嫌だったので、(このまま冬眠して目が覚めたら素敵な春になっていやしないか?)と野生的な発想で己の回復力を信じ、虫のように布団の中で丸まり続けました。

何日間そうしていたのか記憶はありません。しかし治った頃には、ちょっとしたミイラのような顔になっていました。鏡を覗き込んで(死ななかったな〜)と思いましたが、生きているのでこれからなんとかしなければなりません。

前途多難です。衣食住の知恵がなければ、とても武術の修行などできません。