2008年10月1日、中国の大型連休である『国慶節』(通称『十一(シーイー)』と呼ばれています)に、河南省の太極拳館で『十一提高班(シーイー・ティーガオバン/短期レベルアップ・クラス)』が開催されました。
私はもう、河南省を去る時期をいつにしようかと考えはじめていたので、この提高班に参加するつもりはなかったのですが、黄高飛(ホヮン・ガオフェイ)さんという非常に良い太極拳の動きを行う拳友に「十一提高班を担当する黄忠偉(ホヮン・ジョンウェイ)老師は本物の動きを指導して下さる方だから、絶対に参加したほうが良いよ!」と強く勧められ、また直接黄忠偉老師に「メイダイヅは必ず参加するように」と指名されました。(どうしよう、心はもう北京の八卦掌にあるのに、こんな中途半端な気持ちで受けてもいいのだろうか?)と迷ったのですが、迷っていると満席になって参加できなくなってしまうので、思いきって参加しました。
期間は一週間で、午前2時間、午後2時間、計28時間という本格的な提高班で、参加人数は20名ほどでした。
私はそれまで、太極拳の大会に向けて見栄えのする動きを練習することが多くなっていたので、(これを機に、本物の太極拳の動きを感じることはできないだろうか)と、淡い期待を抱きました。その期待は、一日目で叶いました。
黄忠偉老師は授業のはじめに、表演用の動きと伝統太極拳の動きを見せて下さり、私たちが見よう見まねで動いてみると、明らかに違う筋肉を使っていることがわかり、多くの参加者が感嘆の声をあげました。表演用の動きは、動作を大きく見せるために“開”を大きくとります。そのぶん体力を消耗し、長く続けていると疲れが抜けにくくなることは、早い時期から感じていました。ではどうやってそれを改善したら良いのかがわからなかったので、仕方なく自分なりに工夫をし、色々と試行錯誤しては挫折をし、ということを繰り返していたのです。太極拳館の教練たちからも「メイダイヅはもう型は正しく行えているから、あとは内面を練る段階に進まなければならない」と言われていたのですが、それは弟子入りをしなければ学べないことだと聞いていたので、悩みに悩んでいたのです。
私はすでに八卦掌の師に巡り会えていたので、他の老師に学ぶことは心苦しかったのですが、ここまで取り組んできた太極拳を中途半端にしたまま河南省を離れたくなかったので、最後の卒業授業だと思って、一週間の提高班に臨むことにしました。
黄忠偉老師の指導法は、緻密で的確でした。
実は、黄忠偉老師と私は、2005年の夏、同時期に河南省の太極拳館に来たという共通点がありました。出会いは、2005年に河南省鄭州市で開催された国際太極拳合宿での交流会です。留学生として出し物を依頼された私は、中国で人気がある歌だからと思って、千昌夫さんの『北国の春』を陳正雷老師の前で歌ったのですが、実はその歌は陳正雷老師の十八番だったらしく、会場が騒然とし、大失態を犯した私を、黄忠偉老師は見事な口笛の伴奏と手拍子で助けてくれたのです。
当初、黄忠偉老師と私は、太極拳館で共に学ぶ学生でした。しかし黄忠偉老師は僅か3年間で、太極拳の非常に奥深い拳理と技術を習得されました(もちろんそれ以前に武術や太極拳の経験はあったそうです)。拳友に聞いた話では、黄忠偉老師はもともと機器の設計の仕事をしていて、「自分が本当にやりたいことは設計ではない!」と一念発起して家族を説得し、太極拳館の狭い寮に住み込み、三十代後半という年齢をものともせず太極拳の学びに没頭し、深く拳書を読み、設計士であった経験を生かして太極拳の動きを人体力学として捉え、ただならぬ集中力で練功を積まれたそうです。なにより、「太極拳を心の底から愛している」ということが、如実に伝わってくる老師でした。
指導も熱心で、あまりに奥深い技術を惜しげもなく教えて下さるので、私が提高班の中盤で「黄老師、どうしてこんなに深いことを私たちのような一般学生に教えて下さるのですか?」と質問をすると、「みんな、集まりなさい。メイダイヅが今とても良い質問をしてきた」と仰り、
「メイダイヅは中国に来て4年経つ。言葉の壁、反日感情、そして決して丈夫とはいえない体質というハンディを抱え、非常に苦労をして太極拳を学んできた。だからわかるのだ、本物の動きを学ぶことがいかに難しいことかを」
「では、なぜ私がメイダイヅの言うように惜しげもなく自分が会得したことを伝えるのかというと、それは自分も同じように苦労をしたからだ」
「たとえ自分が指導をした学生が、自分のもとから離れてしまっても、いつかどこかの地で太極拳を行ったとき、ふと自分の指導したことを思い出してくれたら、それは自分にとって非常に嬉しいことである。だから私は自分の技術を隠そうとは思わない」
「よく私の友人が私のことを“恐竜”と呼ぶ。すでに絶滅してしまった種のように、私は変わり者だから……」
黄忠偉老師は、遠くを見つめ、そう語られました。私はこの話を聞いた時、(もしこの老師に、私がまだ河南省に来たばかりの頃に太極拳を学ぶ機会に恵まれていたら、きっと心より慕って師と仰いだかもしれない)と思いました。
提高班で、黄忠偉老師から学んだことは、三つあります。
一つは、正しい練功法です。しっかりと体の内外の筋肉をバランスよく使って練習をすると、脚の筋肉は熱くなります。そして確実に両脚の重心移動を行うと(これを“虚実分明(シューシー・フェンミン)”といいます)、太腿は焼けたヤカンを乗せられたような熱を感じます。それまで無理な鍛錬で筋肉を傷めたことが何度もあったので、この違いには愕然とするほど驚きました。
二つ目は、『差之毫厘,谬以千里(チャージーハオリー、ミウイーチエンリー)』という教えです。この言葉は「はじめは僅かな誤差でも、時を重ねれば大きな過ちとなる」という意味です。私は太極拳の“単鞭”という動きを行う時、僅かに右肩が上がる癖があったのですが、黄忠偉老師は私の上がっている右肩ではなく、左足の重心の置き方と右股関節を指摘して下さいました。枝葉を見ても問題は解決できません。問題は幹・根にあるのです。黄忠偉老師はこう仰いました。「メイダイヅ、お前は過去、一日に多い時で何回“老架一路”を練習していた?」。私が「毎日10回以上練習していた時期があります」と答えると、「老架一路には7回の単鞭がある。一日で70回も誤った練習を行っていたことになる。もしそれを十年続けていたら、その過ちは取り返しのつかないことになる……」
私にとってこの言葉は、本当に体中が痛くなるほどの『痛感』でした。
そして三つ目は、「愛」です。太極拳を愛する、黄忠偉老師の心。そして、それを支持する黄忠偉老師の家族の方々の心。三十代後半の男性にとって、設計士という特殊技能を手放して太極拳の道を選ぶ、この決意はただ事ではないと思いました。
黄忠偉老師の太極拳には、愛と謙虚さがありました。そして見栄えのする派手な動きではなく、本当に心地よい動きを、私たちに指導して下さいました。
提高班の最終日、上海から学びに来ていた新聞社の記者が、私のことを記事にしたいと取材と写真撮影を依頼してきたので、それを受けました。
提高班の終了後、同じ参加者だった元社交ダンサーのおじさんに声をかけられました。「メイダイヅ、最後に大会に出場しないかい?今月末に河北省の邯鄲市で太極拳大会があるんだ。邯鄲市は陳式太極拳のホーム・グラウンドじゃないから、採点は厳しいかもしれないけど、成績なんてどうでもいいじゃないか。若いのも2人一緒に行くんだ。たまには地方に遠征して、色々な流派の太極拳の仲間と交流してみようじゃないか!」
私は、この大会に出場することにしました。