5月末
2009年5月末、麻林城老師から八卦掌の基本功である“八大単転掌”の厳格な手直しを受けた私は、毎日自主練功に励んでいました。
「決して急いではならない、しかし怠ってもならない。毎日最低4時間は練功しなさい。そしていま一番大切なのは八大単転掌の下積みだ。八大単転掌に大部分の練功時間を費やしなさい」
そう言い付けられた私が素直に「老师,我知道了(ラオシー、ウォー・ジーダオラ/老師、わかりました)」と返事をすると、「八大母掌は残った時間で、しかしこれもしっかりと練功しなさい」と仰ったので、結局は全ての動きを一生懸命練功しなければならないのだな、と肝に銘じました。
そんなある日、友人の女性カメラマンの余さんから電話が掛かってきました。共通の友人である河南省のカメラマンさんが北京に出張で来ているので、一緒に出掛けようと言うのです。私はようやく練功のペースを掴み始めたばかりだったので、まったく気が乗らなかったのですが、余さんが「北京に留学しているなら、一度は胡同(フートン)を見なきゃ、日本に帰って後悔するわよ」と言うので、困り果てた私はモゴモゴと口ごもった挙句、結局「好的,那我就去看看吧(ハオダ、ナー・ウォー・ジウ・チュー・カンカン・バ/わかった、じゃあ見に行ってみるよ)」と言って、連れて行って貰うことにしました。
胡同というのは北京の昔の街並みのことで、今でも北京市の数か所に点在しています。私は北京市の郊外に住んでいたので、待ち合わせのバス停で余さん達と合流すると、さっそく逛街に繰り出しました。その日はとても暑く、もともと方向音痴で地理に興味のなかった私は、自分がいま居る場所が北京のどのあたりにある胡同なのかよくわからないまま、余さん達の後に着いて一緒に歩きました。
初めて歩く北京の胡同は、日本で言う『映画村』のようでした。住民なのか、自分達のように逛街をしている人達なのか、いまいち様子がつかめませんでした。いろいろなお店が立ち並んでいましたが、どのお店も営業熱心な店員さんは見当たらず、お客さんなのか店長なのか判別できない人達が、のんびりお話をしていました。
チラっと寄ったお店の旗袍(チーパオ/チャイナ・ドレス)が、鮮やかな“中国紅”で印象的でした。チャイナ・ドレスは見かけるたびに(せっかく中国に留学してるんだから、一着くらいオーダーで作りたいなぁ)と思っていたのですが、きっと着る機会もないだろうし、着たら仆步(プーブー/両脚を大きく開く歩法)ができないので、いつも諦めていました(チャイナ・ドレスを着ている時まで仆步しなくてもよいのですが、いつなんどき練功しなければならない状況に追い込まれるかわからない……と、ついつい考えてしまうのです)。
目的も無くぶらぶらと歩いていると、アジアン風な喫茶店がよく目に付き、その頃になってやっと「ああ、ここは観光地化されているんだな」と気がつきました。私は観光者ではなかったので、なんだか“チャイナ・タウン”に訪れたような気分になり、(どうしよう、せっかく連れてきてもらったのに、あまり楽しくない……)と思いました。目に映るものは全て美しいのですが、感動がありませんでした。
どうやら私は思っていることが顔に出やすいらしく、余さんに「どうしたの?あなたは外国人だからこういう街は楽しいでしょう?」と聞かれたので、正直に「私、あまり観光地は好きじゃないんです」と答えると、「ああ、そうね、メイダイヅはもう5年も中国にいるんだものね。ディープな場所で生活してきたから、こういう場所は新鮮じゃないわよね」と言って、少し静かな路地を選んで歩いてくれました。
てくてく歩いていると、レトロな雰囲気の美容院があり、窓辺でワンちゃんが散髪(散毛?)されていました。どう考えてもその場所にペット美容院があるとは思えなかったので、(きっと飼っているワンちゃんが熱中症にならないように、お店の人がカットしてあげてるんだな〜)と思うと、少し楽しくなってきました。ちょっと歩くと見慣れた雰囲気の商店があったので、(ああ、この辺りは地元の人達が生活しているんだな)と思い、ペットボトルの水を買って飲んでいると、段々居心地も良くなってきました。
そして突然、「ドド〜ン」と現れたのが『鐘楼』です。しかし、あまりの暑さに意識が朦朧とし始めていた私は、余さんの説明してくれる『鐘楼』の解説が何も聞き取れなくなっていました。胡同ツアーの三輪車(浅草でいう人力車でしょうか)のおじさん達も、容赦なく照りつける陽射しから逃れるように休憩していました。私もヨロヨロと木陰に避難すると、しばらくは動けなくなりました。「何かを食べなければ!」と思ったのですが、ランチタイムはどの飲食店も人が一杯で入れなかったので、お昼過ぎまで木陰で休憩し、午後になってやっと空きはじめたお店で餃子と刀削麺を食べると、元気を取り戻し、さらに胡同ツアーを続行しました。
胡同の路地には、赤いちょうちんがぶら下がっていました。青い空と赤いちょうちんのコントラストを見ながらよく観察してみると、観光者と地元住民の人たちの違いが雰囲気でわかるようになってきて、それはそれで興味深いと思いました。
更にずんずん歩みを進めると、結婚写真を撮影している風景に出くわしました。(あ〜、別次元の世界のようだ)と指をくわえて見てしまいました。率直に言うと非常に羨ましかったのですが、暑さのお陰であまり惨めな気分にもならず、ただただ真夏の太陽の下で熱い愛を誓い合う新婚さんを「まぶしー」と目を細めながら見ていると、すっかり観光者気分になることができました。
何より!
そう、何より私が大きく反応を示したのが、太極拳の彫像でした。少なくともこの彫像の半径5m以内は私の価値観が通じる場所だ、と意気揚々とした私は、「この彫像とまったく同じポーズを取っている記念写真を撮ってください!」と余さんにお願いして、何枚も何枚も同じ写真を撮って貰いました。
「差不多了吧〜(チャーブドゥオラ・バ/もう大体同じでしょ〜)」
と呆れる余さんに、「いや、まだ指の角度がちょっと違うんですよ、ほらこれ、この指、違いますよね。あと腰の座りかたも違う。嗚呼、かかとの高い靴なんか履いてくるんじゃなかった。もう一枚、あと一枚、最後、もう一枚だけ撮ってください!」としつこく懇願すると、「学习狂……(シュエシー・クアン/学習狂)」と呟かれました。
そして二番目に反応したのが、複雑な屋根瓦と電線の間を美しく練り歩いていた猫ちゃんです。「猫!(マオ!)」と私が指を差して叫ぶと、「危険標識なんて我輩には関係ないね!」という格好良い猫ちゃんの写真を撮ってくれました。凧の専門店(中国語で凧は“风筝(フォンジョン)”といいます)では、雄大な鷹の凧を買っていた外国人の観光者が記念写真を撮っていました。
6月初旬
6月初旬、麻林城老師はお仕事の関係で出張することが増え、私はまだまだ練功不足であったので、毎日単調で地味な八卦掌の基本功をコツコツと積んでいました。一日は長く、練功を行うには十分な時間がありました。誰にも会わない日は、食料を買い出しに行った時に市場の人と簡単な会話をする以外は、殆ど言葉を喋りませんでした。日々は単調で、時々骨にしみるような孤独や、押し潰されそうな将来への不安にも襲われましたが、不思議と練功に対して「飽きる」ということはありませんでした。
日常生活でも悩まされていた首の痛みと腰痛が、ほぼ感じられなくなっていたからです。特に、右股関節の歪みの改善は顕著でした。一番酷い時は、無意識に右脚を引きずっていたこともあったほどで、仲間に指摘されても、にわかには信じられませんでした。歯を磨いている時にふと気がつくと両足の親指が浮いていて、愕然としたこともあります。
八卦掌の基本功をはじめた最初の一週間は、右つま先を内側に入れる扣步(コウ・ブー)がまったくできませんでした。内側に入れるどころか、つま先を真っ直ぐにして立つことすらおぼつかない有様でした(そんな状態でも二週間続けたら、随分可動域が広がりました)。「正しい姿勢でバランス良く歩く」、そんな簡単なことができない、ということを八卦掌の基本歩法は直接的に自分の体に教えてくれるので、飽きるというより私は夢中になったのです。
非常に厳格で、また簡単には学生を受け入れない麻林城老師から教えを頂いている、というのは私にとって夜中に何度も悲鳴を上げたくなるほどのプレッシャーであり(自分で選んだ道なのに、と思うと不甲斐なくもありました)、恐ろしくて逃げ出してしまいたくなることも数え切れないほどありましたが、教えて下さる練功方法があまりに素晴らしかったので、私はなんとか耐えることができていました。
ちょうどその頃、留学ビザが切れる直前だったので、私は練功と同時に一時帰国の準備をしていました。麻林城老師にそのことは伝えてあったので、しばしの時間、プレッシャーから解放され、穏やかな気分になっていました。
そんなある日、数日前に北京の胡同に連れて行ってくれた余さんから電話が掛かってきました。なにやら趣味で、同じ北京に住んでいる美術学校で同級生だった人と写真の素材サイトを作るらしく、北京の伝統的な風景を撮影しに行くので、「興味があったら一緒に行かないか?」と言うのです。今度は面白そうだったので、二つ返事で連れて行って貰うことにしました。
前回、観光地化されている北京の胡同を私が「あまり魅力を感じない」と言ったので、今度は伝統的な風情が残る胡同に行くことになり、まず目的地の近くにあった『北京魯迅博物館』に寄りました。「はい、これ」と言って余さんに入場券を渡された時、「魯迅は日本に留学したことがあるから当然知っているでしょう?」と聞かれたのですが、私は知らなかったので、大変面目ありませんでした。
「魯迅は医学を学ぶために日本に留学したんだけど、でも当時の中国人を救うのは医学ではなく、文学による精神改革だ!と気づいて、それを実践した人なんだ」
と余さんの友人が教えてくれました。私は子供の頃から文学が好きだったのでとても興味が湧いたのですが、如何せん日常生活を送るためと、あとは武術を学ぶために必要な中国語ばかりを身に付けてきたので、博物館に展示してある資料やオブジェの文字が難しすぎて理解できず、大変残念な思いをしました。(いつか、将来余裕ができたら、たくさん中国語の本を読んで、もう一度来てみたいな)、そう強く思いました。
文字は殆ど理解できませんでしたが、魯迅が実際に住んで執筆をしていた家屋を見学することができて、胸が躍りました。
(激動の中国を生きた魯迅が、ここで何を思い、筆を走らせたのか……)
『魯迅博物館』の中にある当時そのままの北京の伝統的家屋は、とても、とても静かで、(知らないと恥ずかしいから勉強しよう)という気持ちではなく、(あのころ魯迅はここで、どんな気持ちで生きていたのだろう)と、自然にそういう気持ちが湧いてきました。中庭は家屋と同じく質素で、しかし古き北京の文化の佇まいをしっかりと残していました。何より静けさが際立っており、文学者がここに住んでいたという説得力がありました。「将来、もう一度ここを訪れたい!」、私はあまりそういう気分になることが無かったので、とても印象深い場所でした。
『魯迅博物館』を出た後、近くの胡同を歩きました。余さんたちはアートな写真を撮っていたのですが、私は生活感のある風景が好きだったので、お願いして何枚か撮ってもらいました。河南省には無かった風情です。なんだか胸が「キューッ」と締め付けられるような、郷愁に似ているような、似ていないような、何とも表現し難い思いに駆られました。
余さんたちも気分がノッてきたらしく、北京の文化の歴史を語りながら、パシャパシャとカメラのシャッターを切っていました。
「ここは北京の中心部だから、土地を売れば大変な額になるんだけど、胡同に住んでいる人たちは胡同の生活を愛しているから、どんなに便利で裕福な生活ができるとしても、絶対にここを離れない、という人が多いの」
余さんはそう教えてくれました。私はふと、河南省にいた頃、太極拳の仲間と大会出場のため地方に遠征に行った時、メンバーの中の1人が「最近はどこに行っても同じような建物と道路と街並みばかりで、ぜんぜん遠くに行った気がしない、面白くない」と言っていたのを思い出して、(こういう伝統的な生活様式が無くならないで欲しいなぁ)と、しみじみ思いました。
しみじみ、しみじみ……。それはもう大変感慨深く、しみじみと歩いていると……
「ドド〜ン!」
と頼もしい“おっちゃん”が通り過ぎて行きました。
(おおおっ!北京胡同は永久に不滅なり!)
狭い路地を原付バイクで縦横無尽に乗り回している“おっちゃん”がリアル過ぎて、なぜだか安心しました。屋根の上を見上げれば、猫の親子も「オラオラ」と言わんばかりに幅を利かせています。練功も大切ですが、たまには北京の街を歩いて、呼吸をして、食べて、感じて、文化と交流することも必要だな、と思いました。
帰り道の途中で、自転車やバイクの修理屋さんを見かけたのですが……、看板が、輪の中に象られた、「車」一文字!
一撃で何屋さんかわかります。
ナイス・センス!