REPORTAGE / 2004–2010

横山春光の中国武術留学記

河南省・最後の夏の始まり

武縁

2008年5月下旬、河南省で過ごす4度目の夏が始まりました。気温40度を超える河南省の夏は、5月下旬から始まります。

私は麻林城老師に命名して頂いた『日本中国伝統功夫研究会』のサイト作りに苦戦していましたが、没頭すると寝食を忘れる私の性格を知っていてくれる、友人の新聞記者カメラマンさんや小朱に食事に呼び出されて、何とか食べることを忘れずに過ごしていました。

ある日、当時河南省鄭州市で流行っていた「ブランコ食堂」(椅子がブランコになっている)に連れて行って貰ったのですが、ブランコが前後に揺れるので非常に食べ辛く、食事が終わってから、友人と笑ってしまったことがありました。

北京にご在住の麻林城老師からは「練功において何か疑問があれば、いつでも電話をしてきなさい」と言われていたのですが、一生懸命質問を考えて電話をしても、「そんな質問しかできないのか?まったく伝統武術をわかっていない質問だ」と叱られるので、徐々に心が萎縮していました。それまでの中国留学では、肉体的に厳しく指導して頂いたことはあったのですが、精神や思想に対して厳しく教わったことがなかったのです。麻林城老師に電話を掛けるたびに電話越しに叱られて酷く落ち込んでいたのですが、老師は具体的に何が悪いのかを教えては下さらないので、延々と一人で考え続けなければなりませんでした。

私は何度も、老師のいらっしゃる北京に行ってしまおうか、と思ったのですが、まだ河南省を離れる決心がつかず、パソコンに噛り付いては『日本中国伝統功夫研究会』のサイト制作に没頭してみたり、煮詰まって太極拳館に行って練習をしてみたり、カップルだらけの夜の公園で八卦掌の練習をしてみたり、ソワソワと落ち着かない日々を送っていました。

その頃、太極拳館では児童班(キッズ・クラス)が開講されていて、友人の教練が指導を担当していたので、私も子供達に混ぜて貰い、太極剣や中国武術の基本功を練習して気晴らしをしていました。そのキッズ・クラスの中に可愛い女の子がいて、2人でじゃれ合ったりしていると、教練に「こら!そこの2人!遊んでると居残り特訓だぞ!」と叱られたりしていました。

河南省、4度目の夏は静かに過ぎて行きました。何匹かお腹を壊した野良猫を介抱して動物病院に連れて行きましたが、獣医さんに「残飯を食べて食中毒になって衰弱した猫は治療方法が無いんだよ、その仔の生命力に頼るしかない」と言われました。私は一匹目の猫の死に直面した時ほど取り乱さなくなり、命が終わるまで見守ることにも少しずつ慣れましたが、やっぱり涙はこぼれました。

北京へ行こう、と何度も思いました。それは、3年かけてやっと馴染んだ土地を離れて、もう一度ゼロから始めるということでした。北京へ移れば、一人で生活をしながら、黙々と八卦掌を練功する日々になるのだろうと思っていました。

でも、もう少し、もう少し河南省にいたい。