REPORTAGE / 2004–2010

横山春光の中国武術留学記

迷走

武縁

2008年3月上旬、私は北京市の郊外にご在住の麻林城老師のもとへ伺い、今後の学び方についてお話ししました。麻林城老師が案内して下さった落ち着いた中国茶店で、重厚な木目のテーブルに向かい合って座った時、私の表情は、おそらく木人のようだったと思います。緊張の極みに達した私は、今にも気絶しそうでした。

北京に常住して指導を受ける、という話は、麻林城老師はお引き受けになりませんでした。専門の武術館を開いていないこと、他に仕事を持っていて時間も不規則であること、私には既に十分に中国武術の基礎があること、女性一人で長期間、水土の合わない土地で修行するのは酷であること。それらを理由に、日本に帰って環境の良いところで体を養いながら練功を重ね、条件が許されるのであれば年に数回北京へ来て八卦掌を学ぶのが一番良い方法だ、と仰いました。八卦掌の指導そのものは、責任を持って続けて下さると仰って下さいました。

話はそれ以上は進まず、私はひとまず河南省に戻りました。

河南省へ戻った後、私はそれまでのアパートを引き払い、もっと狭い部屋へ移りました。練習用に大きな鏡を買ってきて設置したのですが、部屋があまりにも狭かったため、鏡を見ながら八卦掌の走圏(ゾウチュエン/円を歩く練功法)を行っていたら、膝が痛くなってしまったのです。

自宅での本格的な練習は不可能であると判断した私は、暇を見つけては公園の人気のない場所を探しました。ところが春になり陽気が良くなった公園内は人山人海(レンシャン・レンハイ/人が溢れ返っている様子)で、太極拳の練習ならあまり目立たないのですが、さすがに中国といえど、公園で女性が一人で八卦掌の練習をしている姿は非常に珍しいらしく、すぐに見物人に囲まれて「バシャ!バシャ!」と携帯のカメラで撮影されてしまいます。結局練習にならず、早々に退散すること5度目にして、とうとう諦めてしまいました。

悩みに悩んだ末、私はとりあえず、今できることを考えました。

「日本中国伝統功夫研究会のWEBサイトを制作しよう……」

それが、いま河南省にいる自分にできる、具体的な準備だったからです。将来に向けて、何か一つだけでも形を作ろうと思いました。

狭いアパートの中で、歩かずに行える八卦掌の基本功を行い、早朝まだ薄暗いうちに公園へ向かい、人が増える前の短い時間でしたが走圏の練習を行い、しかしそれだけでは圧倒的に体力が落ちていくので、一日に一回、太極拳館に行って太極拳の練習も行いました。新しい套路には手を出さず、基本功の纏絲勁(チャンスージン)と老架一路だけを練りました。

しかし、この頃の私の頭の中はグチャグチャでした。

太極拳の練習も、思うように身が入らず……。日本に帰ることにも、まだ踏み切れず……。さりとて、北京に住んで指導を受ける話は断られたばかりで、改めて訪ねるにも、練習不足で追い払われることが怖くて行けず……。気持ちばかりが先走って、アクセルとブレーキを同時に踏んでいるような状態が続き、時には何も手につかない日が、度々ありました。自信を失くして夜中にガタガタ震えることもありました。朝起きて、不安で叫び出したくなることもありました。

この頃から、気分が落ち込んだ時は、写真を撮るようになりました。きっかけは、新聞社の取材を受けた時に担当してくれたカメラマンさんの影響です。「風景や花を撮るのはシニア層の視点だ」とカメラマンさんには言われましたが、私はやはり草花や景色を撮るのが好きでした。束の間だけでも、人間界から逃避したかったのです。

(もう十分、現実離れした状態でしたが)

草花は、素直で美しいと感じました。