2009年10月上旬。8月に保護した迷い猫の元甲(ユェン・ジャア)は、相変わらず大胆不敵でパワフルで凶暴で暴れん坊でした。私の安眠を守る蚊帳も毎日バラバラに破壊されるので、毎日組み立て直していました。それでも寝姿は天使のように可愛く、こんな乱暴な性格の猫を守れるのは私しかいないのではないか、という自分でも驚くような感情が湧き出していました。ただすくすく元気で育ってくれれば、それだけでいい。暴れても、噛んでも、家の中の物を壊しても、なんでもいいから、元気に伸び伸びと育って欲しい。どこかにそう思ってくれる人がいないか、祈るような気持ちで里親を探していました。
そんな頃、里親が見つかったという連絡が入ったのです。
大切な元甲が一生幸せに暮らせるかどうか、私も真剣だったので、里親さんの公開しているブログや紹介文を見て調べました。ブログには捨て猫を保護している記事がたくさん掲載されていたので、(この人は本当に猫好きなんだな)と思い、まずは検討しても良いと思いました。でも里親さんを見つけてくれた友人が、「検討なんて悠長なこと言ってないで、いい加減に早く決意しないと、仔猫がどんどん大きくなったら里親も見つけにくくなるし、情が移って離れる時に余計に辛くなるよ」と厳しく言ってくるので、私もどこかで、元甲と離れたくないがためにムキになって里親さんの問題を見つけようとしているのではないかと思い始め、予想していたより条件の良い里親さんが見つかり、いよいよ別れの時が来たのだと覚悟しました。
決まってからは展開が早く、数日後には元甲を里親さんの家に連れて行くことになりました。
最後の数日間、私は元甲の好きな鶏肉を茹でて、分けながら一緒に食べました。愛しい元甲が大興奮で鶏肉と格闘している姿を見ると、離れ離れになる寂しさから感情が麻痺して、寂しさというより、寒さを感じました。
(こんなに幸せな日々を……、終わりになる……、二度と元甲と一緒に暮らせない……、なぜだ……、これは現実なのか……)
数日後に一人になる自分を想像して、何か大きな間違いを犯しているような不安に駆られ、里親さんとの色々な下準備の意味がわからなくなりました。
(私は中国武術を学びに北京に留学しているのだ。留学はいつか終わる。だから、元甲とは別れなければならないんだ)
かろうじて思い出した自分の身分が、やけに冷たく、黒い鉄のスーツのように感じました。
(本当にそれが正しいのだろうか?愛しい命にただ寄り添って、お互い温めあう生き方を、私は心のどこかでずっと求めていたんじゃないんだろうか……)
(寂しい、寂しい、寂しい……)
それでも、最後の数日は、寂しさと穏やかさに包まれて過ぎて行きました。
いよいよ別れの日の朝、元甲は、私が近くのペットショップで買ってきた一番上等のキャリーバッグの中で遊んでいました。
(嗚呼、元甲、やっぱり気に入ったでしょ。まだまだ小さな元甲が移動中に転ばないように、小さめのサイズで内側のクッションがしっかりしたバッグにしたんだよ。そうね、もうすぐ冬が来るから、出掛けない日はバッグの中で寝たら寒くないよ……)
キャリーバッグを怖がらなかった小さな元甲を見て安心した私は、次の瞬間、心臓が引き裂かれるような寂しさに襲われ、ずっと我慢していた涙が溢れてしまいました。
(だめだ、また元甲を不安にさせてしまう。これは元甲にとって幸せなことなんだ。元甲が生まれた北京の街で生きることができる。日本へ連れて帰るための移動や手続きで、元甲に負担をかけたくない。私のために連れて帰るのは、私のエゴだ)
だから私は全身の力を振り絞って、「元甲、お散歩に行くよ。今日はちょっと遠くまで行くからね。バッグに入ろうね」と言って元甲を抱き上げると、元甲は何の抵抗もせず、自分からキャリーバッグの中に入っていきました。嫌がる元甲を無理やりキャリーバッグに入れることはとてもできそうになかったので、ほっとするべきでしたが、なぜかこの日だけ素直な元甲が切なくて不憫で、涙がこぼれないようにするのに必死でした。
ここから友人の車に乗って里親さんのマンションに向かったのですが、あまり記憶がありません。キャリーバッグを抱きしめて、「元甲、ドライブ楽しい?元甲、新しい遊び場にもうすぐ着くよ。元甲、友達の猫もいるからね。元甲、車に酔ってない?元甲……」と、ずっと話しかけていたと思います。
別れの言葉は言いませんでした。日本に帰っても、私はずっと麻老師を師と仰ぎ、北京の地に何度も通い、そして元甲にもまた会える。そう思うことでやっと元甲から手を離せると思ったので、別れの言葉は言えませんでした。
極度の緊張状態から少しハイになった私は、里親さんの居るマンションの駐車場に着くと、同乗していた誰よりも明るく振舞っていました。そして、最後に元甲とのツーショットを撮ってもらいました。
里親さんの部屋に入ると、猫が快適に運動して睡眠をとれそうな手作りの設備がたくさん置いてあったので、私はまたテンションが上がりました。友人達と里親さんは色々と世間話をしていましたが、私はずっと元甲の側にいました。2か月前に保護した時、私の部屋に初めて入った時は大暴れしていたのに、2回目の新しい部屋では慎重に辺りを偵察していました。私は、極度の緊張からくる妙な高揚感と倒れそうな寂しさを抱えて、フラフラと元甲の後をついて歩くことしかできませんでした。
一通り偵察を終えて納得した元甲が、里親さんの趣味であろうシックなソファーにジャンプした時、その筋肉のしなやかな強さが私のメソメソした心にポーンとキックを入れてくれて、(そうだ、ちゃんと見送らなければ!)と我に返りました。
里親さんに挨拶をして、我々には目もくれず新しい住居の具合を確かめている元甲を、私は抱き上げもせず、最後に元甲の黒くて小さな背中に「じゃあね、元甲、また顔を見に来るからね!」と言って、あっさりとその場を去りました。
帰りの車の中で友人に「あんなに可愛がってたのに、どうしてさっさと帰って来てしまったの?」と聞かれましたが、私は、「だって抱きしめたら私は泣いてしまって元甲が不安になると思ったし、あとで私が居なくなったって強く感じさせたくなかったし……。それに、これから元甲と感情を深める里親さんに、あまり前の飼い主の印象を濃く与えたくなかったんだよ。元甲はこれからずっと長い間、新しい里親さんと暮らしていくんだから、なるべく初めての出会いを邪魔したくなかった……」
それから私は何も喋れなくなり、乗っていた車が里親さんのマンションから離れていくにつれ寂しさが現実的になり、我慢できなくなった私は低い声でうなり始め、震えるように泣きました。友人達は元甲の幸せと、いつでも会いに行けることを繰り返し私に語りかけてくれましたが、私は答える余裕がありませんでした。
小さな、小さな、元甲。二人で過ごした2か月間の夏を、私は忘れない。中国で何匹も何匹も衰弱した仔猫を保護したけど、一匹も生きられなかった。元甲は、中国で私が初めて死なせなかった、唯一の仔猫だった。仔猫たちの命を救えなかった罪の意識を、少し軽くしてくれた。ありがとう、元甲。私が病気の時、前脚で撫でてくれたこと。一緒に鶏肉を茹でて食べたこと。八卦掌の歩法の練習の時、絡んでくる元甲に負けて何度も一緒に遊んでしまったこと。全部忘れない。
温かかったよ、元甲。幸せになって欲しい。今度会う時は、お互い大きくなっていようね!