REPORTAGE / 2004–2010

横山春光の中国武術留学記

急性膵炎の疑い

北京・程派八卦掌

数日後、陳式太極拳を学んでいる友人が、後輩を連れて私の住んでいる郊外まで来てくれました。「日本から来ている女性が伝統武術を真剣に学んでいる話を後輩に聞かせてやりたいんだよ。中国でも女の子で伝統武術を学び続ける人は珍しいんだよ」と言うので、お昼ご飯を一緒に食べながら、武術の話をしました。

付き合いで、ビールをコップ一杯だけ飲むことになったのですが、少し口をつけた瞬間、気持ち悪くなりました。中国のビールはアルコール度数が低いので、瓶ビール一本くらいでは酔わないのですが、その日はコップに半分飲んだだけで気持ち悪くなりました。別れの挨拶も早々に家に帰ると、まだ午後3時でした。

一緒に暮らし始めたばかりの元甲(ユェン・ジャア)がお腹を空かせて待っていたので、冷蔵庫に入れてあった加熱済みの鶏肉を取り出し、常温になるまで待ってから、子猫用のキャットフードと一緒にお皿に入れてあげると、ユェン・ジャアは夢中になって食べていました。いつもなら元気にご飯を食べるユェン・ジャアの姿を見るのが一日の数少ない楽しみの一つだったのですが、その日は体がつらくて、すぐに寝室に行ってベッドに横になりました。

一時間後……。朝から何となく違和感のあった左腰が徐々に痛み始め、夕方になる頃には、断続的に発作のような激痛が押し寄せてくるようになりました。そして止まらない嘔吐。何度もトイレに駆け込むと体力が奪われ、次第に歩くこともできなくなったので、ベッドの横で洗面器に吐きました。胃が気持ち悪いのか、腰が痛くて気持ち悪いのか判断できませんでしたが、明らかに風邪でも食中りでもない、今まで経験したことのない症状だったので、嘔吐を繰り返しながら気が遠くなりました。

いつものように“病院に行こう”という発想が浮かばないまま、外が暗くなる頃には、腰の激痛と治まらない嘔吐で、本当に死んでしまうかもしれないというくらい最悪の状態になっていました。

嘔吐する体力も尽き果て、ベッドの横に置いてあった洗面器に顔をうなだれ、片手で床に這いつくばっていると、何か軽くて柔らかいものが腕に触れる感覚がありました。気のせいだと思ってまたベッドに横になり、耐え難い苦痛に唸り続け、吐けないのはわかっていましたが気持ち悪いので、また片手で床に這いつくばって洗面器の中に吐こうとすると、さっきと同じ柔らかいものが、また腕に触れてきました。朦朧とした意識で腕を見てみると、ユェン・ジャアが私の腕の横におとなしく座っていて、小さな小さな前足で、私の腕を撫でていました。

私は声にならない声で「ユェン・ジャア」と呼んでみました。ユェン・ジャアは「ニャァ〜」と一声鳴いて、私の顔をジッと見つめ返していました。寝ている時以外は一秒たりとも可愛らしい仕草を見せない、暴れん坊で、凶暴で、噛み付くか、引っ掻くか、蹴ることしか知らないユェン・ジャアが、何度も何度も、白い手袋をしたような小さな前足で、私の腕を優しく撫でていました。

私は気合で携帯電話を探し、河南省時代からのカメラマンの友人に電話を掛けて、病院に運んでもらいました。

運ばれたのは夜中で、診断の結果は結石と“急性膵炎の疑い”でした。結石には大して動揺しませんでしたが、急性膵炎は何のことだかわかりません。医師が「急死する可能性があるので、2日間入院してもらいます。水も食品も摂らないように。膵臓が自己消化して急死しますから」とやけにアッサリ言ってくるので、(そんなバカな)と思ったのですが、友人が深刻な顔をして医師の言いつけを守るように何度も何度も忠告をしてくるので、私はおとなしく入院することにしました。

腰の激痛は薬で治まったのですが、水が飲めない苦しさは尋常ではありませんでした。点滴を打ち続けているので脱水症状にならないことは頭では理解できるのですが、しかし私の体は「水ってもんは、口から飲むんじゃ〜!」と激しい反抗を続け、水が如何に人体にとって切実であるかを実感しました。人格が変わってしまうほど苦しかったです。

「我要喝水ー!我要喝水ー!(ウォー・ヤオ・ハー・シュイ/水を飲ませろー!水を飲ませろー!)」

「我求求你〜,让我喝一口水好吗〜(ウォー・チウチウ・ニー、ラン・ウォー・ハー・イーコウ・シュイ・ハオマ/お願い〜、一口だけでもいいから水を飲ませてください〜)」

一時間おきにそう叫んで暴れて、でも水は飲ませてもらえず、あきらめてバタン、を繰り返しました。しかし入院の2日目は、医師の診断により急性膵炎の疑いも薄くなってきて、友人も安心したのか少しだけ水を与えてくれ、水を口に含んで満足して寝ている私の姿を面白がって携帯電話で写真を撮ったりして、最後には無事に退院できました。

私が入院している間、中国茶店の杨渊さんにユェン・ジャアの世話をして貰っていたのですが、「あの子猫、凶暴じゃなかった?」と聞くと、「そんなことないよ、普通だったよ」と言っていました。

自宅に帰ると、ユェン・ジャアはちょっと元気がない様子でした。「ごめんねー、もう大丈夫だよ〜」と話しかけて、一緒に鶏肉を茹でて食べました。私はすっかり体が衰弱してしまっていたので、(麻林城老師から突然電話が掛かってきて練功に呼ばれたらどうしよう……)と焦ったのですが、あまり病気になってばかりいると「見込みがない」と思われるのではないかと心配で、なんとか早期回復に努めました。

そして今は、ユェン・ジャアの行く先も考えなければなりません。ふと思いついて、「ねぇねぇ、ユェン・ジャア、日本料理食べてみたくなぁい?」と呼びかけて、“ねこまんま”を作ってテーブルの上に置いてみました。私なりに窮地を凌ぐ斬新な生活のユーモアのつもりだったのですが、猫のユェン・ジャアには通じたのか通じなかったのか、器用に椅子からテーブルに駆け上ると、鰹節だけを平らげて、ついでに口の周りと前足にご飯粒をたくさんくっつけて、とてもイヤ〜な顔をして私を見ていました。