REPORTAGE / 2004–2010

横山春光の中国武術留学記

精神力と体力の限界

卜文徳老師のもとで

2006年9月。

8月に鄭州市で出場した太極拳大会の後、日本で秋に予定されていた表演会に、私も出場する話がありました。韓国へ帰ったばかりの友人たちに国際電話でその話をすると、「3人で一緒に参加できないだろうか?」と意気投合しました。

しかし、その話を日本の関係者に伝えたところ、人間関係のことがあり、私たち3人で参加する話は実現しませんでした。その事情は、この留学記には書きません。

友人たち2人は、そのために休みを取ってくれていたのです。

同志とも呼べる友人たちとの別れは、想像していた以上の大打撃でした。

金メダルは壁に掛けていましたが、3日後には棚に放り込んでしまいました。それを見ると、3人で切磋琢磨した日々を思い出して辛かったからです。

鍛錬の日々は、変わらず続いていました。

私は、精神力、体力、共に限界でした。

ある日、いつもの様に自分を叱咤して、卜文徳老師のご自宅の前の練習場所へ行きましたが、卜老師の顔を見ると、突然、体が震え出しました。その場に崩れ落ちそうになった私は、寸前で最後の気力を振り絞って「卜老師、最近体調が思わしくありません、少し国へ帰って休みます」と言い、自宅へ帰りました。

千代の富士の引退会見とは程遠いですが、その時の私は本当に、振り絞っても、振り絞っても、一粒の気力も出てこなかったのです。

数日後の2006年9月13日。東京へは戻りたくなかったので、私は死んだような顔をして、中国から福岡へ飛び、実家の宮崎県に帰りました。

荷造りをした時、悩みに悩んだ末、「これも自分の努力の証だ」と思ってスーツケースに放り込んだ金メダルを母に見せると、母は大喜びをして、「近所の公民館で敬老会があるげなから、みんなに太極拳を見せてやってくれんけ!」と頼んできました。私は「表演服がないから、できん……」と言って断りました。

実家では、かつて私が使っていた部屋が、猫達の部屋になっていました。私がその『猫部屋』で、猫達と一緒に寝たきりになっていると、何も食べない私に、母はうどんを作ってくれましたが、食べ終わるのに難儀しました。

私の母は昔から私には無関心でした。私の様子を見ても何も言わず、何も聞いてきませんでした。私も何も喋りたくなかったので、その時ばかりは母の無関心さがむしろ助かりました。

しかし、あまりにも私の様子が尋常ではなかったのか、ある日、母は私を地元のちょっと高級な『お寿司屋さん』に連れて行きました。

母が注文して私に食べるように勧めるお寿司を、私は無理やり喉に詰め込みました。一貫食べ終えるごとに母の緊張が緩むのが伝わってきたので、私は続けて何貫も何貫も食べ、そしてトイレに行って吐きました。

吐いては食べ、吐いては食べ、そして、一緒に家に帰りました。

初出 2011年3月