REPORTAGE / 2004–2010

横山春光の中国武術留学記

卜氏八卦掌のルーツを辿って

師を探して

2006年12月、もうすぐクリスマスという頃、小路はある一つの問題を解決しようとしていました。『卜氏八卦掌』の『系譜』を整理することです。

海外、特に欧米で武術館を開くには、“功夫”だけでなく、どの流派の何という武術を継承しているのかという『系譜』が非常に重視されるのだそうで、カナダで武術館を開くことを目標にしている小路にとって、これは避けて通れない問題でした。

そもそも、小路はいきなり卜文徳老師に巡り会えた訳ではありません。最初に出会ったのは、中国の公園でよく見かける『簡化24式太極拳』だったそうです。『簡化24式太極拳』は、1956年に中国の国家体育委員会が、楊式太極拳を基に、広く普及させるために編成した套路です。

小路はそれだけでは満足せず、太極拳のルーツを探す中で『陳式太極拳』に辿り着いたそうです。私と同じ河南省鄭州市の『陳家溝太極拳館』に暫く通ったものの、自分の求めるものをなかなか学べない“もどかしさ”から河南省中の武術家を探し始め、そうして卜文徳老師に出会ったのだそうです。

小路は「俺は卜老師の眼に惚れたんだ!」と言っていました。私も同じく、卜老師の“壮絶なまでの純粋な武魂”に魅入られた一人です。

卜老師はそれまでずっと、「わしの八卦掌は、わしが習得してきた色々な武術の良い特徴を取り入れて、自分なりの八卦掌に造り変えたからルーツは無いんじゃ」と仰っていました。しかし、インターネットと古本屋の資料を駆使して学びを進めていた小路は諦めず、「いつ、どこで、何という名の老師に八卦掌を学ばれたのですか?」と質問を繰り返して、とうとう聞き出すことに成功しました。「やっと卜老師から聞き出せた!」と興奮気味に言った小路は、「俺は明後日、その村に行く!自力で『系譜』を探してくる!」と宣言し、私はとっさに「私も連れて行って!」と言っていました。卜老師も小路の情熱に根負けしたのか、我々の“『卜氏八卦掌』ルーツ探しの日帰り旅”を許可して下さいました。

……

早朝、夜明け前に出発し、長距離バスを乗り継いで『馬坂村』に着いたのは午前10時過ぎでした。レンガ造りの家が立ち並ぶ、黄土色一色の、まるで乾燥した迷路のような村を歩きながら、小路は屋外で作業をしている村人を見つけては「この村で八卦掌という武術を継承している方はいませんか?」と聞き込みを始めましたが、何人に聞いても「知らない」と言われます。それでも諦めない小路の背中を見ながら、私は(中国北部の農村とは、こういう所なんだ)と改めて実感していました。日本の農村は自然豊かなイメージがありますが(私も農村育ちなので)、ここは土地そのものが乾いていて、土が痩せているのです。水とは本当に命と呼べるものなんだ……、と思いながら歩いていました。

小路は今度は古い家を探して直接庭へ入って行き、長く住んでいるであろう村人に聞き込みを始めました。土台はレンガでも、木や竹を使った風格のある母屋と、小さいながら手入れの行き届いた野菜畑のある家で、「清貧」という言葉を私に思い起こさせました。家の中から出て来たのは、ごく普通のお爺ちゃんでした。突然の珍客に少し驚いているご様子でしたが、「ほいほい、何の御用ですか?」とほのぼのとした声で、藁でできた出入り口の仕切りを「ザラザラ」と開けながら、ゆっくりと歩いて来られました。

小路が「この村で以前、“張福善”という老師が滞在され、八卦掌を教えていたことがあると聞いたのですが」と尋ねると、お爺ちゃんは急に笑顔になりました。「おお、おお、知っとる、知っとる、懐かしいのう、あの頃は何やらあっちこっちから武術を学んでいる者が来て、張老師に八卦掌を教えてもらっていたよ。わたしも隅っこで一緒に練習していたよ」

私が(わ〜、本当に見つかった!)と、のん気に驚いていると、お爺ちゃんは「ウチのボロ屋の中に当時の写真があるから、観て行ったらいいよ」と家の中へ案内してくれました。壁には鍬や鎌に混ざって“本物の槍”が飾ってあり、小路が小声で「おい、あの槍に付いてるフサ、あれは本物の牛の尻尾の毛だぞ、今じゃみんな化学繊維の表演用の派手なフサばかりだ、あれは本物の武器だ」と言いました。

写真を観せてくれたお爺ちゃんに、「今でもその武術館が残っているから案内してあげよう」と武術館の館長さんのご自宅へ案内してもらい、その後、館長さんの案内で武術館へ向かいました。武術館には、これまた本物の刀や剣が、まるで農機具のようにゴロゴロと立て掛けてあります。小路が館長さんに、卜老師の学んだ八卦掌が実際どのような動きだったのか見せてほしいとお願いすると、館長さんは「自分は当時子供だったので、あまり憶えていない。先輩なら詳しい動きを憶えているから……」と、お爺ちゃんに演武を頼んだのです。

(お、お爺ちゃん、90歳を超えているのに、大丈夫かなぁ)

そんな余計な心配をよそに、遠慮がちに演武を始めたお爺ちゃんは、じわじわとオーラを放ち始め、寸分たがわぬ正確さで八卦掌の技を繰り広げていきました。

(おおおっ!凄い、お爺ちゃん、格好いい!)

中国は広いです。『馬坂村』は河南省でもほとんど知る人のいない小さな小さな村で、そこで質素に一人暮らしをしているお爺ちゃんが、「私はただ練習するのが好きだから、毎日欠かさず取り組んでいるだけだよ」と言って、深い功夫と境地を持っているのです。

(人間って、なんて偉大なんだ!)

興奮した私が、演武を終えたお爺ちゃんの姿に見入っていると、なななななんとっ!館長さんがお爺ちゃんを相手に『散手(サンショウ/自由組み手)』を始めたのです。そしてお爺ちゃんは、もう50歳は過ぎている館長さんを、まるでやんちゃな男の子でもなだめるように、ヒラリ、ヒラリと身をかわして技を決めていったのです……

お爺ちゃんの動きは「習ったことを憶えている」というよりも「体が自然に反応している」という自然な動きで、私は素直に大感動をしました。

ちょっと“はしゃいで”しまって照れたご様子の館長さんが、「そこの女の子、君は何の武術を学んでいるんだい、我々にもちょっと観せてもらえないかな?」と言うので、小路の顔をチラリと覗うと(ここは受けるべきだ)という顔をしています。私は陳式太極拳を、ちょっとだけ演武させて頂きました。

「うん、腰が緩んでいて、なかなか良いじゃないか、頑張ってしっかり精進しなさい!」

館長さんからそうお言葉を頂いた私は、なんだか恥ずかしくてモジモジしてしまいました。寒いし、着ぶくれしてるし、カルチャーショックで頭が「ポーっ」としていたので、なんだか急に、自分が小さな子供に戻ったような気分になったのです。

目的を果たした小路は大満足で、私も高名無き隠居者の凄腕お爺ちゃんに会えた感動で胸が一杯で、記念に皆で写真を一枚撮りました。

(写真:『馬坂村』にて記念写真、右から館長さん、お爺ちゃん、小路、私)

お礼を述べて帰ろうとする私達に、お爺ちゃんは「ちょっと待ってて、持ってくるものがあるから」と言って、颯爽と自転車で行ってしまいました。自転車を乗りこなすその姿を見て、小路は「嗚呼、現代の人々が長生きをする為には、本当にこうやって毎日練習することが必要だ!」と歓声を上げていました。

暫くして戻ってきたお爺ちゃんは、どこかの商店で買ってきた沢山の“お菓子”を、大きな袋で2袋も持ってきてくれました。小路は「大先輩、そんな気遣いは無用です、お邪魔したのはこちらの方なのですから、これは持って帰ってご自身で召し上がってください」と何度も丁重にお断りしたのですが、お爺ちゃんはどうしても渡そうとしてくれて、渡したり渡し返されたりの繰り返しです。私はただ見ていることしかできませんでした。

なんとかお爺ちゃんの好意を「受け取らない」という礼節で収めた私たちは、改めてお礼を述べると、日没前に長距離バスを乗り継いで、河南省鄭州市へ戻りました。