REPORTAGE / 2004–2010

横山春光の中国武術留学記

陳式太極拳「老架二路」

師を探して

一方、太極拳の練習にも変化が起こり始めていました。

太極拳館の教練陣は、一定期間ごとに入れ替わります。ちょうど私が毎日朝から晩まで考え続けて行き詰まっていた頃、地方から張喜群という名前の教練が訪れ、私が受講できる夜の枠で『陳式太極拳 老架二路』の班を開講しました。この練習内容が、当時の私にピッタリ合ったのです。

それまで私は、太極拳は『老架一路』と『単剣』に絞って練習していました。『新架一路』と『新架二路』も少し授業を受けてみましたが、自分には『老架一路』で十分だと感じたのです。私は『老架一路』が好きでした。大きく雄大で、伸び伸びとした風格が、私の心と体を強くしてくれたからです。『単剣』は体力的には辛かったのですが、その無骨で飾り気のない動きが(これをやらなければ、剣がただ美しいだけの舞いになってしまう)という危惧感を私に与えたことと、大会で良い成績を挙げることができたので、外せませんでした。

『老架二路』は激しい動きが多いので、自分には無理だと思っていました。しかし演武を観るのは大好きでした。男らしくて、力強くて、威風堂堂とした『老架二路』の風格は、見ているだけで心が元気になるからです。

最初は(型だけでも真似してみようかな?)という気持ちで受け始めた張喜群教練の授業でしたが、“ぼくとつ”とした人柄の張教練の指導法は無駄がなく、『老架二路』の風格を実に良く表現して下さり、私は知らず知らずのうちに『老架二路』に夢中になっていました。毎晩、太極拳館に出向き、『老架二路』に打ち込みました。

張教練は、私を一度も“ひ弱”だとは言いませんでした。むしろ「やれば出来る!」と言って、真剣に指導して下さいました。月が替わって新しい生徒が入ってくると、「メイダイヅ(私の中国名)と、あと数名は、隅で老架二路の自主練をしていなさい」と言い、新しい生徒達への指導が終わると私達の動きを見て、細かい指導をして下さいました。

「ドッカン!ドッカン!」という豪快な『老架二路』の動きは、疲れるというより、雑念が吹っ飛んで気分爽快でした。なんだか、もう何も考えずに、とにかく思いっきり飛んだり跳ねたり拳を打ち出したりしていました。

そのうち、仲間ができました。気がつくと、私を合わせて5名ほどでしたが、毎晩同じ顔ぶれのメンバーで『老架二路』を練習していました。

……、仲間ができたのです。

でも私は知っていました。仲間とは、ずっと一緒にいられる訳ではないことを。太極拳館の教練には「本館を発展させる為に、各地に派遣される」という任務がありましたし、生徒も一定期間を過ぎると太極拳館を去っていきます。私は2年目にして、既に“老学生”(古い学生)だったのです。しかし、だからどうする訳でもありません。ただその時を、一生懸命に打ち込むだけです。

私は食欲旺盛になり、大好物の馒头(マントウ)と炒菜(野菜を炒めた料理)を自炊して、元気一杯、つかの間の仲間との充実した太極拳の時間を楽しみました。中国北部の主食は米ではなく小麦です。私はどうやら毎日米を食べなくても平気なようで、特にマントウは私の体質に合っていました。熱々のマントウと、生姜や葱で香りをつけて炒めた野菜は、質素でしたが最高に美味しかったのです。

張喜群教練は、間違いなく素晴らしい教練でした。彼を慕って学んでいた生徒達も、誰一人私を“日本人”だとか“ひ弱”だとか、特別な目で見ませんでした。張喜群教練の『老架二路』班では、出来るとか出来ないとかを気にせず、ただ純粋に学ぶ楽しさと、動く喜びを感じていました。

私は思う存分に練習をしました。

そして3か月が過ぎると、張喜群教練も仲間も、太極拳館を去ることになりました。

別れにはもう慣れていましたが、最後に仲間内だけで張喜群教練の送別会を開いたとき、私は少しだけ涙ぐんでしまいました。

すると張教練に「なに泣いてるんだ、泣くエネルギーがあったら、今すぐここで『老架二路』を練習しろ!」と叱られ、仲間は笑い、私も笑いました。

後日談

張喜群教練の送別会では、太極拳館での授業を修了して河南省を離れる、東北地方出身の生徒も一緒に送り出しました。

その少し前から、私も老架二路チームのみんなと仲良くなり、寮で一緒に昼食を食べるようになっていました。この東北地方出身の生徒は、実は料理人としてかなり本格的に働いていたらしく、みんなで料理をしていると、徐々に指示を出し始めました。最後にはみんなが「好的,厨师!(はい、シェフ!)」と返事をして、テキパキと動いていました。

私は最後に、彼から红烧鱼(魚の煮込み)の特別な作り方を教えてもらいました。仕上げに大根の千切りとパクチーを乗せるのです。

料理が得意な男性はほかにも数人いましたが、みんな最初は隠していました。知られると毎回作らされるのが嫌なのだそうです。だけど、結局すぐに料理が得意だと打ち明けてしまい、気がつくとキッチンのリーダーになっているので、少し笑ってしまいました。