REPORTAGE / 2004–2010

横山春光の中国武術留学記

麻林城老師を探しに

師を探して

半年以上の間、私は毎晩練習が終わると、家に帰って寝るまでの間、集めた武術の資料やVCDを食い入るように観ていました。窓辺に2m以上に及ぶ長さで“ずらっと”並べてあった大量のVCD群を、来る日も来る日も見比べていたのです。

そして気がつけば、繰り返し観ている映像は、一枚に絞られていました。

『八卦功夫』というタイトルのVCDに収録されていた、中国武術協会規定の八卦掌の套路や、各流派の伝統八卦掌・器械(武器)の演武の中の、一人の老師の動きです。

(この方だ、この老師の動きだ、これが私の求める八卦掌の動きだ)

繰り返しその老師の演武を観ていると、数か月前に買って来て2〜3回しか観ていなかった八卦掌の教材VCDシリーズを思い出し、急いでその一枚を再生してみると、正に『八卦功夫』のVCDの中で見つけた老師のものだったのです。

老師の名は……、麻林城(マー・リンチェン)老師。

大きく大きく膨らんだ期待と同時に、(見つかったからといって、この老師に指導をして頂けるとは限らない。一般の学生を受け入れて下さるのだろうか?そして中国は果てしなく広い。もし麻林城老師が河南省から遠く離れた所に住んでおられた場合、私はこの河南省と陳式太極拳と、そして沢山の思い出を全部捨てて、行ったことも無い土地へ、一人で赴けるのだろうか?)という思いが湧きました。いつも即断即決の私が、その時ばかりは決断を下せませんでした。

それでも私は、麻林城老師が映っているVCD以外を、すべて押入れに仕舞い込みました。もう、どの老師が自分の探すべき師なのか、答えが出たからです。そして、当時ほとんど情報を公開していなかった生粋の伝統武術家、麻林城老師の連絡先を探し始めました。

しかし、その糸口はまったく見つかりませんでした。

……

2007年7月下旬。太極拳の練習も八卦掌の練習も放り出して通い詰めていたヨガ・センターで瞑想(迷走だったかもしれません)をしながら、(もう、中国武術の道は諦めようか)と思っていた頃、ようやく「麻林城老師の連絡手段が見つかった!」という吉報が入りました。

依頼をしていたのは、太極拳館の生徒の曹さんという方でした。曹さんから「メイダイヅ、やっと麻林城老師の生徒という陳さんという人の連絡先が見つかったよ!」という知らせを聞いた私は、「はっ」と我に返り、やはりここで中国武術を諦める訳にはいかない、という気持ちが甦りました。

今度ばかりは即断即決で、その日のうちに、麻林城老師が合宿を行っているという河北省の僻地へ向かうための列車の切符を買い、翌々日には、ガイド役を買って出てくれた曹さんと一緒に、まずは北京へ向かう夜行列車に乗りました。朝の6時半に北京西駅に到着し、そのまま河北省の北部にある合宿所へ向かう長距離バスに乗ると、疲労と暑さと排気ガスで吐きそうになりましたが、何とか昼過ぎには合宿所に到着しました。

本当に麻林城老師にお会いできるのだろうか。バス酔い半分、期待半分の夢のような気持ちで、フラフラと曹さんの後を着いて行き、恐る恐る合宿所となっている武術館の門をくぐると、な、なんとっ、タイムスリップでもしたかのような光景が、私の視神経を通して脳に送られてきたのです。

(い、いつの時代に迷い込んでしまったのだろう、しかも男の人しかいない……)

まるで虎のような体格をした男性たちが大勢で、殺気むんむんの八卦掌を鍛錬していたのです。

自分がとても場違いな所に来てしまったような気がして完全に気後れしている私をよそに、ガイド役の曹さん(男性)は、突如としてテンションが上がったようでした。門の入り口にいた監視員さんに麻林城老師の居場所を聞いた曹さんは、臆することなく武術館の中に入っていくと、さらに殺気濃度の濃い集団の中心で指導を行っておられた麻林城老師を見つけ、挨拶の言葉を述べると、私の紹介などすっかり忘れて、「自分は武術に大変興味がありまして!!」と熱く語り始めたのです。

(写真:麻林城老師の八卦掌の指導風景)

突然訪れた珍客にも丁寧に、そして冷静に対応して下さった麻林城老師は、教材ビデオで拝見したご様子より遥かに存在感が大きく、数メートル離れた場所に立っていても、皮膚にヒリヒリと刺激が走るような振動を体に纏っておられました。私はやはりとても圧倒されてしまい、感無量になって言葉が出ませんでした。

曹さんは、想像を超える現場に完全に舞い上がってしまったようで、私が聞いていても支離滅裂な話を延々と麻林城老師に語っていました。その間、麻林城老師は何度か私に視線を投げかけて下さり、しばらくして話が一段落すると、曹さんに「その後ろの女性は武術を学んでいる方ですか?」と尋ねて下さいました。

(嗚呼、これでやっと曹さんは自分がガイド役だったことを思い出してくれるだろう)

と私が安堵していると、ところがどっこい、曹さんは「え?ああ、彼女は八卦掌を学びたいそうです」と一言で私の紹介を済ませ、また麻林城老師に熱く“自分が如何に武術に興味があるか”を語り始めたのです。

これはさすがにマズい、と悟った私は、麻林城老師に向かって精一杯の声を出しました。「私は河南省で陳式太極拳を学んでいました、そして卜文徳老師より卜氏八卦掌の指導を頂いておりました。しかし自身の無知と未熟さ故、本質に触れることは不可能であると断念しました。そこでもう一度初心に返り、麻林城老師より正統な八卦掌を学びたいと決心した所存です!麻老師の八卦掌を学ばせてください!」

麻林城老師は、「申し訳ありませんが、いま私は中国中央テレビ局の依頼で、武林大会に出場する選手の指導を行っています。また日を改めて来て下さい」と仰いました。

一瞬失望しかけましたが、麻林城老師はお忙しいにも関わらず、私達を武術館の門まで見送って下さいました。どうしても諦め切れなかった私が「麻林城老師、いつ頃ご連絡差し上げればご都合が宜しいでしょうか?」と伺うと、「では、あなたの学んだ八卦掌を見せて下さい」と仰り、門の前で私に演武する機会を与えて下さったのです。

恥も緊張も何もありません。そんなちっぽけな自我など浮かび上がってくるはずもないほど、私は必死に麻林城老師の教えを求めており、またこれまで必死で練習してきたのです。

卜文徳老師よりご指導を頂いた『老八掌』を見て頂くと、麻林城老師は「8月以降に連絡して下さい」とだけ仰り、「今日は大変忙しく申し訳ありませんが、これで訓練に戻らせて頂きます」と、私達のような突然の訪問者にまで礼を尽くして、静かに武術館へ歩いて戻って行かれました。

殺気立った大柄の若い男性選手陣の中で、小柄な麻林城老師の風格は異質でした。もちろん、本物の中国伝統武術家と向き合った怖さも感じましたが、それよりもずっと奥の深い静けさを感じました。