REPORTAGE / 2004–2010

横山春光の中国武術留学記

陳式太極拳四天王 陳小旺老師

師を探して

2007年8月。私は、2年越しの目標であった中国焦作国際太極拳交流大賽、通称『年会』と呼ばれている、陳式太極拳の本場で行われる最も大きな大会への出場に臨む準備に取り掛かりました。

それは中国に渡って、3度目となる大会への出場でした。初大会では、韓国のジュアン君とヘソ君という同志の応援がありました。2度目の大会では、卜文徳老師のお孫さんである云龍のサポートがありました。しかし3度目は、自分ひとりだけの力で臨むことに決めました。エントリー用紙への書き込みも、競技種目の選択も、競技内容も、構成も、練習も、全部自分ひとりの力でやってみることにしたのです。

大会までの2週間で猛烈な集中力を発揮して套路を仕上げた私は、たった一人で、外国人選手が滞在しなければならないホテルへ長距離バスで向かい、団長(大会出場のルール説明会議に出席しなければならない)、コーチ(選手のサポート)、選手(競技を行う)の三役をひとりでこなし、荷物の見張り番も、待機場所の確保も、ましてや記念写真を撮ってくれる人もいない状況で、大会に臨みました。

その年は酷暑でした。多くの外国人選手が河南省に到着した時点で体調を崩している、という噂を耳にしました。

私は大会の全種目と出場選手の名前、そして競技日時が記載されている分厚い冊子を手にして、大会2日目の午前中に行われる『女子陳式太極短器械伝統套路』、簡単に言うと武器の種目に出場するため、剣とストップウォッチ(競技には時間規定があるので、直前まで時間を計らなければならない)と着替えを持って、会場に向かうバスに乗り込みました。同じホテルに泊まっていた香港のチームの選手達が、応援の言葉を掛けてくれました。

「メイダイヅ、剣の審査は、套路の始まりでは“静”、次は“歩法”、そして中盤からは“身法”と“柔勁”を見られるから、決して大きな力を出そうとして硬くなってはダメだよ、細い力でもいいから、雄大に伸び伸びと剣を使ってごらん!」

「好的,知道了!(ハオダ、ジーダオラ/うん、わかった!)」と元気良く返事をすると、私は会場入りしました。

しかし、会場内で私の属している女子青年組の隊列を見た時、何だかとても嫌な予感がしました。名簿に載っていた数名の欧米人の選手が見当たらないのです。それどころかアジアの選手も見当たりません。競技の順番を共に待っているのは、海外で武術館を開き教練を務めている現役の中国人選手ばかりです。私は、プロの中国人選手と共に競技を行わなければならなかったのです。それは構わないのですが、出場棄権選手が大勢出てしまうと、規定人数を満たせず、競技を行っても順位がつかないかもしれないのです。

まわりを見ると嫌な予感が高まるばかりなので、(しかたがない、ここまできたんだ、全力で挑もう)と思い直した私は、剣に心を集中しました。

演技はまずまずでした。得点は出場した選手の中で一番高かったのですが、規定人数を満たさなかったという理由で、授与されたのは銀メダルでした。

私は、抑えきれない虚しさを感じました。

(私は一体何のために、この大会に出場したかったのだろう?)

しかし、まだ競技は終わっていません。翌日には『陳式太極拳 競賽套路(56式)』の出場を控えていたのです。

(今は、演技だけに心を集中するんだ)

……

一番目の剣の種目で現役中国人教練を抑えた得点を獲ったせいか、翌日の『陳式太極拳 競賽套路(56式)』の演技は、我ながら最高の状態で動くことができました。会心の金剛搗碓を終えて退場した後、得点板を凝視していると「優勝間違いなし!」という高得点が表示されました。

私は興奮しました。憧れの『年会』で、苦手だった『陳式太極拳 競賽套路(56式)』の演技において、得意種目であった剣を超える高得点を出せたのです。興奮で体が震えました。

競技後、実際に正式結果が発表されるまで、半日ほどかかります。さすがに2日連続の競技で身体は疲労していましたが、私の心は躍っていました。憧れの舞台で最高の演技をし、金メダルを貰えると信じ込んでいたのです。

しかし、半日待った後、正式結果の張り紙を見た私は愕然としました。結果は、出場選手が規定人数に満たなかったため、審査外、ということだったのです。

文字の意味がわかりませんでした。頭が真っ白になりました。『審査外』という三文字が、なんだかとても酷い言葉のような気がしました。認めたくありませんでしたが、認めるしかありません。順位が付けられなかったのです。銀どころか、銅メダルすら貰えなかったのです。

私は狼狽し、結果を見に来ていた中国人選手達に自分の状況を説明すると、「外国人の女の子で君くらいの歳で陳式太極拳をやっている娘は少ないんだよ、陳式は激しくて難しいから、もっと柔らかい流派の太極拳をやっているんだよ、君もそっちに転向したら?」と言われました。

私は、疲労と失望だけを抱え、しばらくは諦めきれずに会場をうろうろし、同じような状況の外国人選手が落ち込んでいる姿を眼にすると、ホテルに帰って、爆発したように泣きました。泣いて、泣いて、泣きつくした後、心が空っぽになりました。

そして、これからどうしよう?と考えました。閉幕式まで、あと2日あります。

パンフレットを見てみると、『名家講習会』の中に陳小旺老師の講習があることに気がつきました。陳小旺老師は陳式太極拳四天王の一人で、私が太極拳を始めたばかりの頃に、その風格に衝撃を受けた老師です。主に欧米で普及活動を行っておられるため、中国に留学した私は学ぶ機会に恵まれませんでしたが、ずっとお会いしたかった老師でもありました。

私は涙を拭くと、陳小旺老師の講習会場に向かいました。

会場内は「是非、陳小旺老師をこの眼で拝見したい!」という熱烈なファンで鮨詰め状態になっていました。私は中国北部の人たちに比べると特に小柄だったので、大勢の人たちの足元をスルリスルリと縫って最前列に到達し、しっかりと陳小旺老師のお姿が拝見できる場所を確保しました。

陳小旺老師は、発勁動作を解説して下さる時以外は、とても穏やかで上品な老師でした。

講習の最後に質問の時間があったので、私は勇気を出して手を挙げ、「陳老師、太極拳は世界で最も多くの愛好者を持つ武術だと聞いております。その理由の核心は何でしょうか?」と質問をさせて頂きました。

陳小旺老師は、「それは太極拳の運動が人体の生命活動に非常に適しているということと、老若男女問わず、ゆっくりと穏やかに練習に取り組むことができるからです」と答えて下さり、それから静かに私を見て、

「懂吗?(ドン・マ/わかりましたか?)」

と聞いて下さいました。

その深いお声が、じんわりと私の心に振動となって響きました。

私は「我懂了(ウォー・ドン・ラ/わかりました)」と答えると、とても幸せな気持ちになったのです。