2007年11月。私は、ヨガ・センターに通うことができなくなっていました。センターの中で起きた深刻な人間関係のもめごとに巻き込まれ、私についての根も葉もない噂を流されて、そこに私の居場所はなくなってしまったのです。
太極拳館に戻っても、人への不信感は拭えませんでした。
(このままここにいたら、私の心は壊れてしまう)
そう思った時、私の頭に浮かんだのは、7月に河北省の合宿所で一度だけお会いした、麻林城老師の顔でした。私は麻林城老師のもとで八卦掌を学ぶため、北京へ行こうと決めました。
12月中旬、すでに中国北部に酷寒の冬が訪れていたある夜、私は河南省の鄭州駅で北京行きの夜行列車を待っていました。
見送りはいらないと思っていたのですが、ヨガ・センターで友達になった、同じ年頃の小朱(シャオ・ジュー)という女の子が見送りに来てくれました。私は駅の待合室で、中国に来てから起こった色々な出来事を思い出していました。
(本当に、つかれた……)
常に極限状態でした。でもいつも、何かを掴もうとしていました。体はボロボロでしたが、心は満足していました。
「北京は河南省より寒いよ、どこで練習するの?」
小朱に聞かれたので、「たぶん公園だよ」と答えると、「体に悪いよ、小美(シャオ・メイ/小朱は私をそう呼んでいました)は身体が弱いんだから、無理しちゃダメだよ!」
「大丈夫だよ、老師にはちゃんと自分の体質のことは伝えるから」
私がそう言うと、小朱は「まったく……小美はどうしてそんなに中国武術に痴迷(チーミー/魅入られる)しちゃったのかしら。結婚もしなければ恋愛もしない、朝から晩まで鍛錬!鍛錬!少しは自分の身の振り方も考えなさい!」と、怒った振りをしました。心の奥では応援してくれていることが伝わってきたので、私はただ笑い返しただけでした。
北京行きの夜行列車には乗り慣れていたので、寝台車に乗り込むと、すぐに眠ってしまいました。私は寝台列車が好きです。家のベッドでは寝付きが悪いのに、寝台列車の狭苦しさと暗さと人の気配と程よい揺れが心地よくて、すぐに眠ってしまうのです。
翌日の早朝、北京西駅に時刻どおりに到着した列車を降りると、麻林城老師がホームまで迎えに来て下さっていました。麻林城老師は北京の郊外に住んでいらっしゃったので、私は行き方がわからなかったのです。
厳格な面持ちの麻林城老師は、車でご自宅のある郊外へ向かう途中、私に中国伝統武術についての概念を深々とお話して下さいました。
(これは今までの学びとは違う。麻林城老師は私を特別扱いしようとされていない。一人の人間として対面して下さっている……)
私は、改めて麻林城老師に自分のことを伝えようと思いました。北京の馮志強老師の『志強武館』で陳式心意混元太極拳を1年間学び、それから河南省に渡って、陳正雷老師の『陳家溝太極拳館』で陳式太極拳を2年半学び、同じく河南省にご在住の卜文徳老師から卜氏八卦掌を学んでいたこと。麻林城老師は車を運転しながら、黙って私の話を聞いて下さっていました。
「しかし、練功しても、練功しても、私には何も残らないような気がするのです。これまでの鍛錬で多少の骨格や筋肉は強くなりましたが、心は空っぽなのです」
私は更に話し続けました。
「私は今まで、ただ闇雲に鍛錬を重ねていれば良いと思っておりました。しかし徐々に、それは間違いだと気がつきました。問題は、私の考え方と方向性なのだと気がつきました」
麻林城老師は車を運転しながら、なおも沈黙のままでした。
私は自分が見当はずれなことを話しているのではないかと、にわかに不安になり、沈黙に耐えられず、とにかく言わなければならないことを早く言わなければと焦りました。しかし焦れば焦るほど支離滅裂になっていきそうな予感がしたので、ひとしきり考えた挙句、思ったままを伝えることにしました。
「私は大量の八卦掌の資料を調べ、麻林城老師の八卦掌こそが、私が全人生を懸けて学ぶべき功夫だと直感しました!」
もう、馬鹿が付くほど単刀直入でしたが、それ以外なんと言って良いのかわからなかったのです。
麻林城老師は、私の言葉には何もお答えにならず、中国伝統武術界の保守性と礼節の厳しさ、多くの練功者がそれすらも知らず、ただ形だけの技を練習しているに留まっていること、また本当の中国伝統武術の功夫は今も確実に存在していること、これらのお話をして下さいました。私は全神経を集中させて、麻林城老師が何を仰ろうとしているのかを感じ取ろうとしましたが、ただ圧倒されるばかりで、底知れぬ思考の深さに、一言も言葉が出てきませんでした。
練習場所となる公園の近くに旅館を見つけると、私は素早く荷物を置き、麻林城老師と共に公園の入り口にあった『阳阳小吃(ヤンヤン・シャオチー)』という飲食チェーン店に向かい、朝食をとりました。麻林城老師は「ここは清潔で値段も安いから、食事はここで済ませるといい」と仰って下さり、私は熱々の素菜包子(スーツァイ・バオズ/野菜まん)を緊張と共に喉に流し込みながら、「麻林城老師、色々とご配慮くださって、ありがとうございます!」と申し上げました。
指導を受ける前に、私は麻林城老師に、自分が虚弱体質であることと、これまでの練習で右アキレス腱と右股関節を痛めていることを伝えました。麻林城老師は私の足を見ると「いま習得している八卦掌の動きを行ってみなさい」と仰ったので、言われたとおり動きを見て頂くと、「何の問題もない」と仰いました。
河南省での鍛錬で身体を壊した経験があったので、私は「麻林城老師、私はもう31歳になります。激しい鍛錬は恐らくできないと思います。心身を健やかにできるような練習がしたいと思っています」と正直に話しました。見栄を張ったって仕方がありません。私も本気で、そして本音で麻林城老師と向き合うしかなかったのです。
麻林城老師は、こう仰いました。
「八卦掌は武術である。その武術性を失っては、高い健康効果を得ることなどできない。武術性、体の健康、心の修行、これらは本来一つのものであって、分けることなどできない」
麻林城老師の口調は明晰で穏やかでした。私は黙って、麻林城老師の指導法に従うことに決めました。
練習場所の公園の池には氷が張っていて、その上を吹いてくる氷点下の寒風は骨を刺しましたが、初めて受ける八卦掌の練功法は、その一つ一つが、ダイヤモンドのように私の体の中で輝きました。特につま先を内に入れる扣步(コウ・ブー)と、つま先を外に開く摆步(バイ・ブー)は衝撃でした。
(ああ、やっぱり、やっぱり、そうだったんだっ!)
ずっと体の奥に押さえ込んでいた不自由感が、解放されたような気がしました。
そして、初めて麻林城老師の八卦掌の動きを肉眼で見ることができたその時……、私の心と体は歓喜で震えました。とても人間の動きとは思えない、まさに「地に舞い降りた龍」のようでした。空間が、時間が、麻林城老師と共に動き、変化していました。その生き生きとした躍動感、変幻自在、伸縮自在、千変万化、そして無数に展開される螺旋の動き……。眩暈がしました。直視しようとすると、平衡感覚が狂いそうになりました。残像が見えるのです。ただ高速で動いているのではないことは、未熟な私にもわかりました。麻林城老師は時空と共に変化し、それと同時に絶対的な静寂を宿していました。
どんな言葉も、麻林城老師の八卦掌を表現することはできません。その時、私がどれだけ嬉しかったかも、言葉で表現することはできません。
指導は氷点下の冬空の下、毎朝4時間に及ぶものでした。しかし不思議なことに、古傷のアキレス腱も股関節も、まったく痛みは生じませんでした。むしろ全身の歪みが整っていく感覚を覚えました。
ただ重心移動を行いながら歩いていることが、こんなに素晴らしいことだったなんて!