REPORTAGE / 2004–2010

横山春光の中国武術留学記

「研究会」発足を決意

武縁

2007年12月22日、北京市の郊外で麻林城老師に八卦掌をご指導頂いていたその頃、河南省の裴(ペイ)さんという通訳さんから連絡がありました。

「程(チェン)さんが亡くなった」

程さんは卜文徳老師の親戚で、河南省に来てから何かとお世話になった恩人でした。私は頭の中が真っ白になりました。つい2か月前に会ったばかりだったのです。

私は麻林城老師に事情を伝え、程さんの葬儀に参列するため、翌日の12月23日に河南省へ戻りました。

葬儀には、程さんの生前の人柄を偲んで沢山の人達が参列していました。親友だった裴さんは気丈に振舞っていましたが、最後に程さんにお別れを告げる時、本当にまたすぐに会えるような口調で「好走(ハオゾウ/気をつけて行っておいで)」と声を掛けている姿が、痛々しく感じました。

家族のため、会社のため、一生懸命に働いた程さんは、過労だったと聞きました。日本に留学していた頃の経験を生かして、昼休みも取らず、連日出張を重ねて働いていた程さんのことを、親戚の方々は「日本に行ったから仕事人間になってしまった、可哀想なことをした」と囁いていて、私はとても申し訳ない気持ちになりました。

身近な人の死を目の当たりにして、私は改めて「人間はいつか死ぬのだ」と思いました。それは明日かもしれない、30年後かもしれない、もしかしたら今日かもしれない……。急に「時」という概念が手のひらから零れ落ちていくような、身のすくむような怖さを感じました。

私は葬儀から自宅に戻ると、居ても立っても居られなくなり、またすぐに北京の麻林城老師のもとへ戻ることにしました。そして麻林城老師に、ある申し出をしました。

「麻老師、私は日本に帰国して、麻老師の八卦掌を研究する『研究会』を発足したいと思います。初めは5〜6名ほどしか人は集まらないかもしれません。しかし、きっと本当に学びたい人達が、少しずつ集まってくると思います」

麻林城老師は、その時は「許す」とも「許さない」とも仰いませんでした。その後、麻林城老師は研究会の名称を考えて下さいました。

『日本中国伝統功夫研究会』

この日から、私は当時まだ現実には存在しなかった『日本中国伝統功夫研究会』の会長となったのです。

私は、本当に満足していました。満足して、これからは日本に帰って、慣れ親しんだ自国で体と心を癒しながら、志を同じくする仲間と麻林城老師の八卦掌を研究し、定期的に北京に通いながら教えを頂こうと思っていたのです。

ところが、河南省の自宅に戻ってから、日本に帰る準備をあれこれと考えているうちに、自分がこの3年半、毎日の練功にほとんどの時間を使ってきたことに気がつきました。生活環境といえば、武館か、公園か、アパート。通学途中の商店で食材を買う以外は、たまにスポーツ用品店にジャージを買いに行くのみ。中国の文化や思想、武術の理論についても、もっと学んでおきたいと思いました。

それに、日本に帰って仲間を探すには、インターネットを介してWEBサイトで呼びかけをするしかありません。

(帰国することはいつでもできる。『日本中国伝統功夫研究会』のWEBサイトだって、中国でも作れる。もう歩むべき道は見つかったのだから、慌てて帰国することはないじゃないか。ちゃんと準備をしてから日本に帰ろう!)

河南省は歴史の古い地域です。私は中国留学の終了を延期して、麻林城老師からご指導頂いた八卦掌の練習に取り組みながら、『中国』という国の思想を学ぼうと、思いを新たにしたのです。