2009年2月、激しい体調不良からなんとか回復した私のもとへ、河南省の友人のカメラマンさんから電話が掛かってきました。
「やぁ、メイダイヅ、元気でやってる?身の回りのこととか大変じゃない?じつは来週出張で一週間ほど北京に行くことになったんだけど、ちょうど北京市内に学生時代の女の子の友達がいるから紹介してあげるよ」
そう言うので私が「是非ともお願いいたします」とお返事をすると、翌週、余(ユー)さんという素敵な女性を連れて、私の自宅を訪れてくれました。
その日は3人で一緒に北京ダックを食べに行ったのですが、色々とお話をしていると、余さんも北京でカメラマンのお仕事をしているらしく、私が「女性カメラマンですか、格好良いですね!」と言うと、「ううん、私はあまり才能がないから兼業なの、本職は主婦よ」と笑いながら、愛用の使い込まれたNikon製のずっしりと重いカメラを見せてくれました。扱い方や、センスのある話し方、そして話している時に綺麗なラインを描いて動く目線に隙がなかったので、(きっと才能がないというのは謙遜をしているのだろう)と思いました。
帰りに余さんは「中国の北方人は殆どの人が餃子を作れるのよ」と言って、次に会う時に餃子の作り方を教えてくれると約束してくれました。河南省にいた頃にも小朱に餃子作りを教えて貰ったことがあるのですが、練功が忙しく疲労困憊していた私は、説明を聞いている時も……、実際に作っている時も……、出来上がって食べている時も……、半分居眠りをしていたので、作り方を殆ど憶えていなかったのです。
余さんは翌週に来てくれました。一緒に餃子の皮用の小麦粉を買いに行き、私の大好物の茴香(ホイシャン/ウイキョウ、フェンネル)という香味野菜を市場で買いました。茴香は北京の特産野菜で、胃腸に良いと言われていて、なにより美味しいので、私は気持ちがウキウキして、余さんの後について歩きながら、今にもスキップを踏みそうな勢いでした。
自宅に戻ると、さっそく餃子の皮の生地をこねました。河南省で作った時も、つい無意識に太極拳を練功している気分になって生地をこねすぎてしまい、モチモチと弾力がありすぎる皮になってしまったのですが、この時もやっぱりこねすぎてしまいました。私が餃子の皮をこねると、どうしても気分が練功モードになるので、水餃子なのに皮が讃岐うどんのように力強い歯ごたえになってしまうのです。それはそれで食べごたえがあって自分では美味しいと思っているのですが、他の人が食べて美味しいと思うかはわかりません。
餃子の皮作りのコツは、水を入れ過ぎないことです。はじめはパサパサでも、こねればこねるほど粘りが出てくるので、最初に水を入れ過ぎると後からユルユルになってしまいます。そうなると小麦粉を足さなければならず、あげくの果てに食べきれない量の生地になってしまうので、くれぐれも気をつけなければなりません(私は三回に一回はそういう失敗をするのですが、残ったら翌日それこそ讃岐うどん風にして食べるので、あまり気にしていません)。
まんまるの生地の手触りと重さは、もう、それだけでシアワセです。この練り上げられた小麦粉と水の混合体は人肌に温かく、何かの優しい生き物を連想させるので、そのままずっと手の中に収めていたい衝動に駆られ、棒状にして中華包丁で切り刻むのはとても忍びないのですが、このままでは永遠に食べられないので、意を決して皮作りに進みます。
水餃子は皮が命です。手作りの水餃子の皮は、たとえどんなに出来不出来があっても、たとえ破れて中の具が出てしまったとしても、市販の皮に比べたら遥かに美味しいです。ツル〜ン♪とした歯ごたえを求めるため、焼き餃子のような“ヒダヒダ”の折り目はつけません。ヒダヒダをつけると、噛んでいる時に“具”と“ヒダヒダ”が喧嘩をするので、口の中が大変な事態になってしまいます。ですので水餃子の皮を包む時は、最初に真ん中をギュッと挟んでくっつけて、あとは両手の人差し指と親指を使って両サイドを挟んでくっつけます。慣れればとても簡単です。「熟能生巧(シューノンションチャオ/習うより慣れろ)」です。
余さんは「日本人留学生、中国の餃子を作る!」とか言いながら写真を撮ったり、「ちゃっちゃと包まないと、皮が乾いちゃうよ」「具は少なめに入れるほうが美味しいのよ」と餃子製作の口頭指導をしていたので、私は一人でせっせと全工程をすませ、無事“薬膳茴香太極餃子”を完成させました。
このあと中華鍋にたっぷりのお湯を沸かして水餃子を茹でて食べたのですが、余さんに「この皮、すっごい歯ごたえ……、練武の人が作った餃子って感じ」と冷やかされました。2人でお腹一杯水餃子を食べて、しばらくお喋りをした後、余さんをバス停まで送っていく途中にもう一度食品市場に寄ると、私が買ったことのない食品の説明をしてくれました。季節野菜の選び方や、お米の選び方、美味しい黒木耳の選び方、色々なことを教えてもらって、とても役に立ちました。
それから2週間ほど毎日真面目に自炊をしていたら、順調に体重も戻り、体力も徐々に回復してきました。少しずつ八卦掌の練功にも身が入るようになり、元気も出てきた頃、再び余さんから電話が掛かってきて、「日本語を学びたいっていう友達がいるんだけど、今度会ってもらえないかしら?そうだ、あなた毎日一人で練習ばかりしているんでしょ、たまには外に出てみない?北京野生動物園に一緒に行こうか!」と言うので、出掛けることにしました。
郊外にある真冬の『北京野生動物園』は恐ろしく寒く、また動物の種類も非常に少なく、全然活気はなかったのですが、久しぶりのお出かけだったので、良い気晴らしになりました。比較的人気のあった場所は半分氷に覆われていた池の畔で、水鳥達が、飼育員さんがやって来ると始まる“ランチタイム”を待ち侘びていました。水鳥たちを見ていると、飛翔できる体と、水面上で活動できる体の美しさに、氷中に命の芸術作品を見ているような気分になりました。
私がボーっと池の淵に形成されていた複雑な氷の形状を眺めていると、余さんの友人が「日本語を学ぶのって難しい?」と聞いてきたので、「基礎はありますか?あと、日本語を習得してどんな目的がありますか?」と質問すると、「まだ何も勉強していないし、今は特に具体的な目的はないんだけど、中国語が話せる日本人の留学生がいるって聞いたから、これは何かのチャンスかな?と思って、なんていうか、そういう風にただ何となく思いついただけなの」と言っていました。それまでも何十人もの中国人の知り合いに「日本語を教えて欲しい」と言われたことがあり、しかし結局私は“ある程度日本語で日常会話ができる人の練習相手”しかできないことがわかっていたので、そういう風に説明をすると、「それはそうよね……、基礎から学ぶにはやっぱり専門学校に行かないと難しいわね」と言って納得してくれました。
余さんも、その友人も、頼みごとを断られたからといって気分を害したりしません。「無理なら無理でしょうがないよね、別の方法をゆっくり考えようか」という風に、とても自然体です。私も慣れていたので、「そうそう」と調子を合わせながら、閑散とした北京野生動物園内を3人でぶらぶらお散歩しました。
「本当にここは動物園なのか?」というほどガラ〜ンとした園内で、唯一、元気に愛想良くふるまってくれたのが、ラクダさんでした。(寒さに強いラクダさんもいるんだな〜)と思って挨拶をしていると、余さんに「危ないよ、噛まれたらどうするの!」と注意されたのですが、とても人を噛みそうな雰囲気ではなかったので、「没事儿,没事儿,它挺热情的,我想跟它交朋友(メイシャール、メイシャール、ター・ティン・ラーチンダ、ウォー・シャン・ゲン・ター・ジャオ・ポンヨウ/大丈夫、大丈夫、とっても人懐っこいよ、私、友達になりたい)」と言ったら、好きにさせてくれました。