REPORTAGE / 2004–2010

横山春光の中国武術留学記

小さな金魚「小鳳」の命

北京・程派八卦掌

2009年3月、まだ厳しい寒さが残る北京の冬、私は一人暮らしの寂しさに耐えかねて、金魚を数匹飼い始めました。

その中に、少し体が小さくて、ほかの金魚たちに突かれて、ちょっと弱っていた金魚がいました。インターネットで調べたところ「体力が戻るまでは別の水槽で休ませたほうが良い」と書いてあったので、大きめの洗面器に移し替えて様子を見ることにしました。金魚といっても鯉に近い種類で、泳ぐ姿がとても美しく、頭の上に丹頂鶴のような赤い模様があったので、名前を“小鳳(シャオ・フォン)”とつけました。

私が「はやく元気になってね〜」と話しかけると、上目遣いにこちらを見て尻尾を振るので、私は日に日に“小鳳”が好きになりました。何度も近くの金魚飼育用品の専門店に行って、店員さんに“小鳳”の症状を相談して、水の交換の仕方や餌のあげかたを質問しました。八卦掌の練習の合間に“小鳳”の様子を見て話しかける、そんな日が何日も続きました。

でも“小鳳”の症状は、悪くなる一方でした。もともと小さかった体がどんどん痩せていく姿を見て、私は胸が痛くて、何度も何度も「絶対良くなるからね」と話しかけました。痩せていきながらも“小鳳”は、私が様子を見に近づくと、尻尾を振ってこっちを見ていました。

体の艶が薄れていく“小鳳”の症状を専門店の店員さんに話すと、「その症状ではもう助からない」と言われました。私は悲しくて胸が張り裂けそうになったので、「洗面器ではなくて、元々の水槽に入れて他の金魚たちと一緒になったら元気になりませんか?」「自然の池に放したら生きていくことはできませんか?」と色々な質問をしましたが、店員さんは、何も答えられないという顔をしていました。

どうすることもできず、痩せて色が薄くなって今にも消えてしまいそうな“小鳳”を見ると、悲しくて悲しくて、涙がこぼれました。それでも“小鳳”は、時々元気な様子を見せてくれました。そのたびに私は「絶対良くなるよ、元気になるよ、治るよ。そしたら他にもたくさんお魚たちが泳いでいる大きな公園のきれいな川に連れていってあげるからね。そこで大きな鯉になろうね」と話しかけました。

この“小鳳”と一緒に買ってきた金魚たちですが、実は買ってきた直後の2日間で、4匹の金魚が死んでいました。私は露店で金魚と水槽を売っていたおじさんの言葉を鵜呑みにして、水槽の大きさに対して多すぎる数の金魚を入れてしまっていたのです。しかし、先に死んでしまった金魚たちは、まるで生きているかのような姿で死んでいました。私にはそれが、自ら死を選んだような姿に見えました。もしかしたら、遺伝子レベルで自分がほかの金魚たちより劣っていることを知って、種としての生存を優先したのかもしれない、と当時の私は考えました。そのような姿を見ていたので、私は“小鳳”の生命力を信じていたのです。

“小鳳”は、絶対に死にませんでした。痩せて、何も食べなくなって、体が傾いて、そして……背骨が曲がっても、絶対に死にませんでした。私が話しかけると、曲がった背骨をなんとか動かして、尻尾を振っていました。

私は、自分が寂しかったから、“小鳳”に生きていて欲しかったことに気がつきました。最後の“小鳳”の姿を見て、私は、涙は目からではなく心から流れるものだと知りました。

「小鳳、ごめんね。私はもう一人でも大丈夫だよ。ちゃんと練習できるよ。寂しくないから、もう頑張らなくていいよ。ありがとうね」

そう話しかけて、“小鳳”の傍から離れました。

3時間後に“小鳳”の様子を見に行った時、“小鳳”は死んでいました。

私は団地の中に植えられたばかりの木の根元に、“小鳳”を埋めました。春が来たら“小鳳”は木に吸い上げられて、小さな葉になって、太陽の光を浴びて、柔らかな風に吹かれる。そう思いながら、曇った冬空を見上げて、“小鳳”の居なくなった部屋に戻りました。

それから半日間、私は泣き続けました。小さな体でそっと私に寄り添ってくれていた“小鳳”の命の優しさに、私は泣きました。