2009年7月下旬、雑誌取材の連絡が落ち着いた私は、また練功の日々に戻りました。
この時期、麻林城老師はお仕事が大変お忙しく、練功の呼び出しの連絡も時間帯が不規則だったので、私は毎日を緊張の中で過ごしていました。来る日も来る日も、八卦掌の基礎である定歩の八大単転掌(八つの型をとって圏を歩く)を行いました。北京の夏は蒸し暑く、夏バテ気味になっていましたが、それでも毎日できるだけ長い時間、八卦掌の練功を行いました。
これまでのような劇的な心身の変化は、もうありませんでした。次の段階に進むには、まだまだ繰り返し練功しなければならないと感じていました。
型は正しく行えるようになったのですが、なぜかバランスが安定しないのです。練功方法の正確さは実感できていました。ただ、体得までは至っていませんでした。というより、練功すればするほど、自分の熟練度の低さが露呈されていました。
(こんなにシンプルな動きなのに、どうしていつまでたっても安定しないのだろう……)
動きが正確に行えるようになっても、それは『体得』ではありません。何百、何千、何万回とその動きを反復して、汗を流し、苦練を重ね、初めて自分の動きになるのです。“生身の自分”と向き合うのですから、このことに本心から気付いた時は、途方に暮れました。
この時期、私は教わった八卦掌の基本功を繰り返していました。ただ、「今」という一瞬一瞬の時を、八卦掌の鍛錬に打ち込みました。
「この一歩が、必ず私を目的地へ導いてくれる」
それを信じて、緩やかに流れてゆく日々を見つめながら、私は北京の夏を生きていました。