REPORTAGE / 2004–2010

横山春光の中国武術留学記

無極桩による自己整体

北京・程派八卦掌

2009年8月下旬、先日の入院騒ぎから数日が経ち、なんとか体調も回復してきた私は、麻林城老師から以前教えを受けていた『無極桩(ウージージュアン/立禅)』を行うようになりました。

「病後や激しい体力の消耗から早期回復するには、無極桩を一日30分行うと良い。可能であるならば、陰陽の変化が行われる正午が適している」

と指導を受けていたので、早速正午を挟んだ30分、毎日『無極桩』を行うことにしました。「30分以上立つ必要はない」ということだったので、最初は携帯電話で時間を設定して30分が経過したら音が鳴るようにしていたのですが、心が静まり返っている時にいきなり電子音がすると心臓に悪いので、目覚まし時計を“なんとなく見える場所”に置いて立つことにしました。立ち始めの最初は息が苦しかったのですが、慣れてくるとジッとしていることが自然になり、確かに回復している感覚がありました。

そして、ある不思議な錯覚が生じていることに気がつきました。いつも10分を経過したあたりから、右つま先が開いているような感覚が生じるのです。無極桩を行う準備の時に必ず両足のつま先を平行にして立っていたので、右つま先だけ動くハズはないのですが、気になりだすと止まらなくなるので、我慢できずに足下を見て自分の両つま先を眺めてみると、やはり右つま先は平行のままです。開いてなどいません。

(おかしいなぁ……)

と思いながらも引き続き立っていると、やはり右つま先が開いている感覚が戻ってきます。その錯覚は日増しに深刻になっていきました。最初の頃は違和感を感じるのは“右つま先”だけだったのですが、次第に“右股関節”、そして“右腰”にまで及びました。30分の無極桩の後、回復感は得られるのですが、どうも納得がいきません。試しに、右つま先を錯覚しているのと同じくらい開いてみると少し楽になります。同じように“右股関節”と“右腰”の位置も違和感のない位置に調整してみると、かなり楽になります。しかし、楽な姿勢で無極桩を行うと、なぜだか終わった後、少し疲れています。違和感を感じながらも、師に教わったとおりの要求で無極桩を行うと、やはり回復感が得られます。

(一体全体、どっちが正しいのだろう?)

私はその答えが知りたくて、麻林城老師からの連絡を心待ちにしていました。体調もほぼ元通りの状態に回復し、朝食に大好物の鸡蛋饼(ジーダンビン)を食べられるくらいになると、屋外で思い切り体を動かしたくてウズウズしてきました(私は、食欲を感じる食べ物は“直感”を信じて食べていました)。

そんなある早朝、滅多に鳴らない携帯電話が“けたたましく”鳴りました。間違いなく麻林城老師からの電話の音であると確信して出てみると、やはり老師ご本人でした。

「いま何処に居るんだ?」

「はい、自宅におります!」

「6時半にいつもの公園に来なさい」

「はい、わかりました!」

「ではそのように」

「はい!」

「プー、プー、プー……」

いつもながら、緊張で全身に冷や汗をかきました。それでもこの時は数日間悩んでいた疑問を解決したいという衝動があったので、私は牛乳とビスケットを胃に流し込むと、意気揚々と練功場所に向かいました。

その日の練功の指導が終了し、理論のお話になった頃、私は思い切って麻林城老師に、無極桩を行う際に出現する錯覚について質問をしました。

「老師、私の右股関節は歪んでいるのでしょうか?」

そう質問すると、麻林城老師は、こう答えて下さいました。

「歪んでいるのは関節ではない、神経だ。違和感を感じても正しい姿勢で立っていれば、体は自然と整ってくる」

麻林城老師のお答えは、いつも即答で簡潔です。私はその意味を理解しました。身体の使い方については、河南省時代から仲間と研究していました。以前太極拳館で学んでいた頃、ある教練が、表演用のいわゆる“見栄え”のする型と、内面の力が繋がっている“正しい型”を比較して見せて下さったことがあるのですが、この違和感は、それまでの自分の身体の使い方と関係しているのではないかと思いました。私はその時、その型の違いが及ぼす異なる結果について熟考していなかったのです。私は知識として正しい動きを知っていましたが、それを実践する切羽詰まった事情がなかったので、“なんとなく”それまでの習慣の動きで練功を行っていました。そのことで、自覚できるほどの苦痛を感じることがなかったからです。

無極桩という、ただジッと立っているだけの練功法から、自己を見つめ、自己整体を行えるようになりました。

そんな私のリハビリ生活の中、迷い猫のユェン・ジャアは、すくすくと育っていました。口の届く範囲のものは、とりあえず「ガブガブ」と噛みつきます。暴れ疲れたら、お気に入りのクッションの上でゴロゴロです。目に入れても痛くない、猫可愛がりで、私は毎日ユェン・ジャアと過ごす時間を大切にしていました。