2007年1月14日。中国へ渡って2年と3か月が経った頃、私は鄭州で31歳になりました。
小路は、午後の練習が終わったら「卜老師と一緒に、卜老師のご自宅で誕生日をしよう」と言ってくれていましたが、同じ日の昼に、老架二路の仲間たちにも誘われていました。
春節を間近に、一人、また一人と太極拳館を去っていく仲間が増えていたので、いつもみんなが集まる寮のリビングでは、毎日が送別会のような特別な雰囲気でした。
私は、卜老師の練習は午後からだし、今日は誕生日だから、少し遅れても許してもらえるだろう、と考え、いつものように美味しい東北料理と、もうすぐいなくなる仲間と話をしているうちに、私の誕生日だということもあり、宴会状態になってしまい、気がつくと楽しさと勢いで飲んでしまったビールと疲れで、私はいつの間にかソファーで眠ってしまっていました。
気がつくと、小路の奥様が目の前に立っていて、私は水浸しになっていました。
「什么? 什么意思?(何? どういうこと?)」
不意にとはいえ、仲間に囲まれて気持ちよく眠ってしまっていた私は、何が起こったのか咄嗟に理解できずに、片手に空のコップを持って、私を叱っている小路の奥様を見て、頭に来ました。
「你干什么! 我很累,我不想练功,我要开心一点,不行吗?(何するの! 私は疲れてるの、練習したくないの、少しくらい楽しくしたいの、だめなの?)」
と、驚きと恥ずかしさと悔しさと疲れで、混乱していた私は、言い返しながら泣き出してしまいました。
小路と卜老師との約束をすっぽかした私が悪いのはわかっていました。
だけど、練習に終わりがない、仲間もいなくなる、誕生日くらい、休みたい。それだけなのに、どうして叱られて水をかけられるんだ。という憤りが抑えきれずに、泣きながら言い返しました。
小路の奥様とは面識があったので、もちろん心配して怒っていたのだと思います。
しかし、太極拳館の仲間が、二人を追い返してしまいました。
翌日、今度はトントンと、トントンのご両親の程さんご夫婦が心配して私の自宅に来ました。これも、小路の奥様が心配して、呼んだというのです。
私は、ただ自分の誕生日を仲間と過ごしただけだったのに、どうしてこんな大ごとになるのかわからず、「一人にしてください」と言って、ドアを閉めてしまいました。
自分でも、なぜこんなに反抗期みたいになっているのか、わかりませんでした。
自分が誕生日の約束を守らずに、卜老師のところに行かなかったから、自分が悪いのはわかっているのですが、憤りが収まらないのです。
心配してくれていた小路夫妻と、程さんご夫婦。そして、遅くまで私が来るのを小路と待ってくれていた卜老師に、心から申し訳ないと思ったのですが、その心がどうしても苦しくて、すぐには素直に謝れませんでした。
それでも、二、三日自宅に閉じこもって毎日寝ていると、体力と気分が回復したのか、数日後には冷静になり、卜老師に謝りに行きました。
いつもは厳しい卜老師でしたが、意外にも全く私には怒らず、「無事で健康ならよい」と言って、普段どおり接してくれて、その日も八卦掌の練習をして帰りました。
そして、その年の春節は、卜老師のご自宅で、ご親族と一緒に過ごしました。


春節が過ぎてしばらく経ってから、私は、小路が卜老師のもとを去っていたことを知りました。
つづく